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釘崎先輩が、なにか文句を言おうとしていたのを、蔵乃下先輩が手を上げて静止させた。その掌には、一定の威圧感みたいなものが込められているようだった。
「なにか訳あり、と見ました。もっと詳しく聞かせてくれる?」
「はい、わかりました」
千鶴がいなくなったときのことを、何度もつけた傷みたいにまた思い返して、彼女に伝えた。
なにも彼女は、ある日突然目の前から消えたわけではなかった。ここ二、三日だろうか。気がついたら全く見かけない日が続いていた。クラスも違うし、別段毎日こまめに会ったりメッセージをやり取りしたりするわけではなかったから、気づくのが少し遅れたのかも知れない。だけど、数日間も姿を見かけないのは、やはり異常だと感じた。
最初は寮の彼女の部屋に行った。同じ寮だから、少し廊下をスリッパで歩くだけでたどり着いた。
彼女の個室を見た時、最初にネームプレートに違和感を覚えた。その感覚は、何度思い出しても寒気がした。何も書いていない。彼女の部屋のはずなのに、そこはブランクデータみたいに何もなかった。
なんで? 最初にその疑問符が吐き出された。次に中を調べようと思い立った。彼女がいないのなら、一体何処へ消えてしまったのだろうか。その手がかりがあればいいという展望を抱いていた。
期待は打ち砕かれるために存在した。
室内は、もう何年も使われていないみたいに、ベッドに布団すら、窓にはカーテンすらなかった。私物も、部屋に飾る花も、そこにはなにも残されてはいなかった。
そこで、彼女の存在がこの学校から、風に吹かれる砂みたいに、綺麗に消えてしまったことを悟った。
実際にそんな現象が起こりえるのかどうかなんて、私にとっては些細な問題だった。この現代社会、都会の技術なんかを利用すれば、いくらでも方法はあるだろうと踏んでいた。
問題は、一体誰が何のためにやったのか?
姿の見えない悪意に、私はただ怒りを抱えて振り回すことしかできなかった。
友人に彼女のことを尋ねても、前述の通り、もちろんなにも知らない。覚えていない。誰それ。あんた頭でもおかしくなった。そこまで言われた。
私の頭の正常さを訝りながら、その日は部屋に戻った。ノート型のコンピューターを立ち上げて、明日の予定でも確認しようかと思っていると、メールがいつの間にか届いていたことに気がついた。パソコンは開かない時はとことん開かないものだ。
そこには目を疑う名前があった。
柚木脇千鶴。
あのバカ……何処へ行ったんだよ。品のない文句が口から漏れた。私を弄んでいるのだろうという安堵も少しは感じた。
開くと、文面に後頭部を殴られた気持ちになった。
『どうして探してくれないの?』
罪悪感にも似た感情を、二階から落とされてそれを受け取ってしまったような、複雑な気分になった。
日付は二週間前。そんなに前から、あいつは助けを求めていたのか? 何処にいるんだ? いろいろなことが浮かぶ。私は一体何をしていたんだ……
その日から生徒はもちろん、教員や事務員にまで聞き込みをして回ったけれど、結局何の成果もない。困っていたところに、友人から助言を受けた。
「蔵乃下先輩なら、なんとかしてくれるかもよ」
名前は、確実に聞いたことがあった。
噂ばかりが独り歩きする、蔵乃下しづ先輩。本人に会ったことはない。
だけど、あの変人に頼るのは、少しばかりか大きな抵抗があった。
いや、手段なんて、とっくに選ぶような段階じゃない。千鶴が助けを求めているんだ。なら、私が助けてやらないで、一体どうするっていうんだ。
もう蔵乃下先輩しかいない。
彼女に頼って、駄目だったら他の手を考えよう。
そう決意をして、今日に至る。
「千鶴は……」
蔵乃下先輩の返事も待たずに、私は下を向いて指で指を弄びながら、更に彼女のことを話す。
「ずっと昔からの友人なんです。だから絶対一緒にこの学校に入ろうって言って……。ずっと一緒にいました。彼女には、私がついていないといけないから」
「仲が良いんですのね」
聖母みたいに微笑みながら、蔵乃下先輩は私を見据える。
窓から淡い光が入ってきて、彼女が神々しく見えた。
「それは心配だったでしょう。彼女がいなくなった時のあなたの損失感。痛いほどわかりますわ」
「はい……彼女、私が着いてないと駄目なんです。いじめられていたんです、中学で。だから、私が守ってあげないと……」
「いじめ? それはひどいですわね……何かあったんですの?」
「はい、彼女、実は機械化能力者で……」
そう口にするのは、いくらか憚られた。友人の知られたくない秘密を、勝手に店先に並べるみたいな行為は、許されるべきではないだろう。背に腹は代えられないとして、自分を正当化するしかなかった。
機械化能力者とは、身体の一部を機械に換装して、その部分に特殊な機能を搭載させた人をそういう俗称で呼ぶらしい。力が強くなったり、足が速くなったり、目が良くなったり、耳が良くなったり、そういった機能だ。
だけど、その機能というもの自体があまり一般人には受け入れがたいらしく、千鶴みたいにいじめに遭うことも、社会では多々あると学校では習ったことがあった。そのうえ、街では機械化能力者による、大小を問わない犯罪が多発しているので、無力な千鶴なんかではどうすることも出来なかった。
蔵乃下先輩みたいな人がそう聞いて何を思うのか、私には想像もつかなかったけれど、彼女は意外にも薄い反応をした後に付け足すみたいにして告げた。
「あら、そうですの。そうそう、わたくしも機械化能力者なのですけど、ご存知ですか?」
「――え、そうなんですか?」
「ええ。そうですよ。嘘をついているように見えます?」
意外だ。見た目では当然わからない。
けれど、よく考えればあの蔵乃下しづが機械化能力者だったところで、さして不思議でもなんでも無いことに気がついた。そもそも変わった人だったっけ。
「じゃあ、機能が搭載されてるんでしょうか」
「はい、それはもちろん。あ、でも内緒ですわ。機能はおいそれと教えるわけにはいきませんの。企業秘密ですわね。わたくしの神秘性に関わってきますので……」
そんなバカみたいなことを言いながら、彼女は口に指を当ててウィンクをした。写真でも撮ってやろうかと思った。
「そうねえ。わたくしの機能について知りたいのであれば、香代美さんと仲良くなって聞き出すのが良いわ。ね、香代美さん」
ニコニコ笑いながら、鈴本先輩に話を振る彼女。
「うーん、そう簡単には教えるわけにはいかないな。この学校でも、しづの機能を知っているのは私だけだからね。その権利を手放すなんて、考えたくもないよ」
「メンテナンスをする私くらいには、教えてくれてもいいと思うんですけど……」
急に釘崎先輩が口を開いたから、誰かわからなかった。
彼女は不機嫌そうな顔をして手を上げていた。
「でも支障ありませんでしょ? だったらそれで構わないでしょ?」
「良くないですよ……必要なパーツなんかが変わるんですから。いい加減教えて下さいよ」
「そうね。機会があれば、お教えしますわ。それまでは内緒」
それきり釘崎先輩は唇を噛んで黙った。
さて、と足を組んで蔵乃下先輩は、私に向き直った。
「まああなたの話は大体わかりましたわ。私達に任せなさいな」
「受けてもらえるんですか?」
「ええ。ちょうど最近暇をしていたところですわ」
「あ、ありがとうございます……」
これほど人に深く頭を下げたこともなかった。しばらく自分の下足のつま先を見つめていると、蔵乃下先輩が私を呼んだ。
「それで、榎園さん。一人で調べていたって言うけど、本当に何の手がかりもないんですの?」
「ああ、はい、実は……」
すこしだけ気にかかることがあった。
「実はy7に、神隠しにあったんじゃないかって、思うんです」
「神隠し……?」
驚いたのか、蔵乃下先輩の片眉が上がった。
一瞬の沈黙があって、外から運動部の喧騒が耳に届いた。
「久しぶりに口にしましたわね、神隠し、なんて。でも、そんな非科学的な現象、実際ありますの?」
「はい。私はもうこれしか無いと思って、詳しく調べていったんですけど、本当にいなくなってしまった生徒も存在するっていう噂が何件かあって……いや、私もこういうオカルト方面は全く信じてないんですけど、ほら、昨今の技術があれば、なんとかなるんじゃないかって……」
「なるほど……神隠しねえ……」
蔵乃下先輩は腕を組んで溜飲を下げたようだったけれど、他の三人の部員は、もはやあまり真剣に話を聞いていないみたいだった。
これが嫌だったんだ。
この、私が絶対おかしい人、みたいな扱いになる瞬間が。
以前のトラウマを思い出して泣きそうになった。
「わかりました。そういうことがある、と仮定します」
それでも蔵乃下先輩は、未だ真剣だった。この人に頼んで良かったらしい。
「でもy7って、詳しくはないんですけれど、そんなことが可能なんですの?」
蔵乃下先輩は、ぐるりと首を回して釘崎先輩に尋ねた。
さてこのy7というものについて、説明しなければならない。
適当に意味のない文字を、ふたつ選び出して名付けられたとされるこれは、校内専用のネットワークサーバー。この学校では、インターネットへの接続が全面的に禁止されている代わりに、このy7がその役割を担っている、というわけだった。生徒全員に配られる端末と持ち込まれたパソコンに類する端末は、この校内で使用すると全てy7に接続される。
その機能は、主に時間割や年間スケジュールの確認の他に、新聞部の取材によって更新されるニュース欄が目立つ。我が校にいる以上、新聞部のニュースから情報を得ないと、外部の都市で何が起きているのかを微塵も知ることが出来ない。
その他に、学校が許可した書籍、それに教科書、部活動の出版物などのダウンロード販売も行われている。それらは端末にビュアーをインストールすれば読むことができる。
さらにはヘッドセットディスプレイにも対応したチャットルーム、校内を再現した仮想空間など、何に使えば良いのかわからないものまで用意されていた。
「神隠しが可能なのかはどうかは、流石にわかりません。でもy7ってセキュリティが甘いんです。だから、何があっても……不思議じゃないと思います。そこに人格データを押し込めることだって、技術的には可能です。それを神隠しと呼ぶのかはわからないけど……」
釘崎妃麻はそういう方面に詳しいのか、スラスラと答える。
旧式のノートパソコンからずっと目を離さない。性能を追求すると、こういう旧来のコンピューターにたどり着くとなにかで読んだことがあった。確かに、現在配られている指輪型端末の空中投影ディスプレイは、少々画面の解像度が低いと感じる。
「でも、私は使ってないんです、y7。嫌いで」
「あら、じゃあどうしてるんですの?」
「ちょっといじれば、インターネットに接続できるようになりますよ」
「あー、悪い人ですわね。感心しませんわ……」
「ちょっと、先生なんかには言いつけないでくださいよ……」
「じゃあ、そこの監督生さんにでも告げ口したらどうなるかしら」
そう言いながらも、蔵乃下しづの顔は悪戯を仕掛ける子供のようだった。
釘崎先輩はバツの悪そうな顔を見せながら、またパソコンに視線を戻した。それしか楽しみがないのだろうか。
「まあ、わたくしには神隠しが本当にあるのかはわかりませんわ」くるりと私を向く彼女。「だけど、あなたの顔を見れば理解できます。一人の友人がいなくなってしまった人の顔ですもの。この件は、準・文学部全員で当たらせてもらいますわ」
「ちょっと、しづ先輩……」
不満げに、釘崎妃麻がまた口を挟んで立ち上がった。
「考えてください。こんなのどう見たって……」
「妃麻さん」
蔵乃下しづは横目で彼女の方を見る。
妃麻先輩は、口をつぐむ。
「…………」
「わたくしは、困っている人を放っておくなんて、そんな外道みたいな行為は出来ませんわ」
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