3(事件編)

「ねえ、こっち足りてないみたいなんだけど……」

「え? あ、ほんとだ。何が足りないんだろ」

「これが足りないんじゃない?」

「あ、そうね、じゃあ補充しとかなきゃね」

 キャピキャピという擬音が似合いそうな、女の子たちの声が耳に入ってくる。ああ、女の子の会話が耳障りでなくなったのはいつからだったかな、それはきっと、姉さんたちに植え付けられたトラウマが一つ消え去った記念日だろうに、覚えていないのは勿体無い。

 そんなどうでもいいことを考える余裕ができるくらいに、作業はなんだかんだで一区切りつきそうな気配を見せていた。一時はどうなることかと思ったが、人間やればできるものだ。この分なら、明日あと1日あれば、十分に作業を終えることができる。

「……よし、こっちはOK。泉……もOKみたいだね。いやー、意外に早く終わりそうだ」

「そうだね、ま、カノンがサボらなければもっと早く終わってたかもしれないけれど」

 グサリ、と泉の言葉が僕の胸をえぐる。

「い、泉ー、今更それを持ち出さなくてもいいじゃん、てか、さっきはそんな素振りおくびも見せてなかったけれど、もしかして僕がサボったの怒ってた?」

「さあね」

 怪しげにフフ、と笑う姿が泉には妙に似合っている。もしそれに合わせて、かけている眼鏡を反射させることができれば、完璧に権謀術数に長けた悪の参謀だ。そんなこと言ったら怒られるだろうから、本人には言わないけれど。

 そんなことを考えてると、誰かが後ろから、肩をトントンと叩いてきた。

 振り返るとそこにいたのは高山さんだった。

「そろそろ一区切り、と考えても構いませんよね」

「え? そ、そうだね」

「それでは私は用事があるので、早目に帰らせてもらっても構わないでしょうか」

「ん? ま、まあいいんじゃない?」

 初対面からもう半年経つというのに、未だに馬鹿丁寧な態度も含めて、彼女の性格はよく掴めない。黙ってじっとしていると、日本人形のように整った容姿が目をひく可愛い子なんだけど、いざ会話をすると、どうもその印象が食い違っていくのを感じてしまう。暗い……というわけではないのだけれど、どことなく……そう、どことなく人との関わりを避けているような印象が拭えないのだ。

 とはいえ、高山さんのそんな態度に慣れてきたというのもまた事実であり、

「でもま、そろそろ今日の作業を終了にしてもよさそうなのは事実か。ボチボチ頃合を見て、柳沼やぎぬまを捕まえとかないと」

 副責任者の立場でなぜか鍵を預かっている身としては、そんなことを呟いてしまう。

 柳沼とは、ここ、特別校舎の管理を任されている化学の地味で冴えない独身教師である。

 そもそもこの特別校舎は、校舎に入りきらなかった部屋を無理やり詰め込みました、という印象が拭えない建物になっている。事実、そうなのかもしれない。一階の会議室に始まり、二階の多目的ホールと、化学実験室、三階のパソコン室と美術室といったメジャーどころに加え、運動部用の更衣室、おまけに現像室兼写真部部室だとか、礼法室兼カードゲーム部部室だとかが混在しているのだから。

 話が逸れたけれど、そんな特別校舎を管理しているのが柳沼で、特別校舎の部屋を利用した生徒は利用後、その部屋の鍵を柳沼に返す必要があるわけだ。ただしここで注意しなければならないのは、柳沼が美術部の副顧問も務めている関係で、放課後のほとんどの時間を美術室で費やしているとともに、そこで過ごす時間を邪魔されるのを非常に嫌うということである。そんなわけでここを使い慣れている人間なら、用事が済んでいれば、柳沼が校舎内の巡回のために準備室に鍵を取りに戻る午後六時前後の時間での鍵の返却を狙うわけだ。

「今、何時くらいだっけ?」

 泉が呟く。この部屋には時計がないし、僕自身、今は腕時計もスマホも所持していない。誰かに時間を聞こうと思ったその時、コンコンとノックの音がした。間をおかず、ガラガラと扉が開く音がする。

「ヤッホー、皆、作業は順調?」

 間もなく朗らかな声とともに顔を出したのは、碧さん……そう、この場で言えば山崎先生だった。

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