第20話

 天保十五年(一八四四)五月十日の午前五時頃、事もあろうに大奥の長局から火が出て、江戸城本丸御殿が全焼してしまったのだ。

 朝から激しい雨が降っていたにもかかわらず、激しい火勢で瞬く間に本丸中に火の手が広がってしまった。


 恐れ多くも将軍家慶公は、草履を履く間もなく、傘もさす事もできず、安全な場所に逃げなければいけなかった。

 御中臈のおひろの方は、家慶公の御子を懐妊中にもかかわらず、草履を履く間もなくお供しなければいけなかった。

 先代将軍家斉公の正室だった広大院様は、駕籠の用意ができず、最下級の奥女中である御末に背負われて、類焼の確率の低い吹上にまで逃げ、滝見茶屋で休息をとるほどだった。

 家慶公の養女になっていた、精姫こと有栖川宮韶仁親王の第四王女韶子女王は、御広敷の下男に背負われて逃げなければいけなかった。


 類焼の恐れがなければ、一番近い二之丸三之丸に逃げるべきなのだが、本丸が瞬く間に全焼するほどの火事だと、類焼が怖くてそこに逃げる事はできない。

 世継ぎの家祥のいる西之丸に逃げる方法もあったが、絶対に類焼をしないとは言えないので、建物の少ない吹上に避難するしかなかった。


 だがここに尾張藩主・徳川慶恕が、寝間着に陣羽織を羽織っただけで、家臣団を率いてやってきた。

 その姿はあまりに凛々しく、広大院やおひろの方はもちろん、大奥中の女性達の心を一瞬で手に入れた。


 徳川慶恕がここまで早く江戸城に駆けつけられたのは、南蛮の艦隊が江戸湾に現れる危険を想定し、常在戦場の心を持っていたからだ。

 江戸湾に南蛮艦隊が現れ、総登城の太鼓が叩かれた時の事を想定し、常に戦装束の鎧兜を準備していた。

 徳川慶恕は、蝦夷地をはじめとした日本各地に現れる南蛮船に恐怖していた。

 南蛮の国々と徳川家の力の差を知っていたのだ。


 だから、夜番の見張りが江戸城の火の手に気がついた時、家臣達は躊躇することなく直ぐに徳川慶恕を起こし、慶恕は着の身着のままで夜番をしていた家臣団を直卒して、江戸城に駆けつけることができた。

 

 市ヶ谷御門近くの上屋敷を出た慶恕は、市ヶ谷御門ではなく四ツ谷御門まで濠脇を移動し、四ツ谷御門の警備役を叱りつけて直ぐに門を開けさせ、麹町の大通りを一気に駆け抜けて半蔵御門に到着した。

 そこでも半蔵御門の警備役を叱りつけて直ぐに門を開けさせ、吹上に避難していた将軍家慶公をはじめとした人々の安全を確保した。


 慶恕が家慶公を慰めている間に、急ぎ火事装束に身を固めた尾張家第二陣が駆けつけ、家慶公達を護りながら尾張家屋敷に引き上げた。

 少しでも早く家慶公達に安心して休んでもらうために、市ヶ谷御門の外側にある上屋敷ではなく、四ツ谷御門内にある中屋敷に案内した。

 しかも中屋敷を完全に提供すべく、中屋敷詰めの家臣達に引っ越しまで始めさせていた。

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