第16話

 一八四四年、徳川慶恕は着々と地盤を固めていた。

 特に気を使ったのが、弟達の中で最も能力があると思っていた、長弟・松平武成への待遇だった。

 余得は最も多く与えているが、家格の石高が次弟・松平慶比の三分の一、三弟・松平慶孝の半分以下なのだ。


 そこで幕政に直接介入すべく、松平武成を老中格とした。

 これにより現在の老中は、堀親寚、戸田忠温、牧野忠雅、阿部正弘、青山忠良の五人体制に、老中の経験を積む松平武成が加わった。

 更に井伊直亮が大老に復帰した。


 将軍・徳川家慶とすれば、信頼する阿部正弘に老中首座を任せ、徳川慶恕からの資金援助がある松平武成に勝手掛老中をやらせる、新たな体制を目論んでいた。

 元々の策では、尾張城代や福山城代を任せるはずだった、年長の弟達が松江藩や津山藩を継承する事になったので、残った年長の四弟・鎮三郎で十三歳でしかない。


徳川慶恕:尾張徳川家六十一万九千余国

松平武成:浜田藩越智松平家六万千石・老中

松平慶比:松江藩越前系松平家十八万六千石

松平慶孝:津山藩越前松平家十五万石

五男:鎮三郎:1831誕生:母里藩越前系松平家一万石・松平恕鎮

六男:重六郎:1833誕生:

七男:銈之允:1836誕生:


松平義建:高須松平家三万石

松平直諒:広瀬藩直政系越前松平家三万石

遠藤胤昌:近江国三上藩一万二千石


 徳川慶恕は鎮三郎と重六郎を鍛えようとしていたのだが、また思わぬところから養嗣子の話が持ち込まれた。

 それは直政系越前松平家松江藩の分家、出雲国母里藩八代藩主・松平直興だった。


 松平直興は一八一七年に父・松平直方の隠居に伴い家督を継承し、黒川羽左衛門を登用して藩の財政再建のために新田開発や灌漑用水の改良を行ない、母里藩中興の名君とは呼ばれている。

 だが実際には文学肌で、田川鳳朗に俳句を学び、俳句で使った号は十を越えているばかりか、狩野派の絵画、嵯峨様の書道、道具名器の蒐集して、せっかく好転させた藩財政を傾けるような散財を行っていた。

 まあ、小林一茶の「おらが春」にも俳句が残されているほどの才能はあった。


 だが結局、本家や同じ分家の広瀬藩を継承し、津山藩を五万石から十五万石に躍進させた高須松平家の五男・鎮三郎を娘婿に迎え、道具名器の蒐集資金を手に入れようとした。

 

 徳川慶恕としても、松平慶比か松平慶孝を大老格に据え、鎮三郎、重六郎、銈之允に若年寄や京都所司代や大阪城代といった要職を任せ、盤石な体制を築こうとして、鎮三郎を松平直興の婿養子に送り込み、松平直興を隠居させた。

 

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