第15話

 尾張家当主徳川慶恕は本気だった。

 本気で大納言徳川家祥に子供をもうけさせようとしていた。

 少なくとも第十二代将軍・徳川家慶と徳川家祥にはそう見えた。

 それは忌引日に当たる月の半分以上の日数、徳川家慶と徳川家祥に加え、徳川家祥の御簾中・鷹司任子を尾張家上屋敷に招待する事でも明らかだった。


 徳川家慶と徳川家祥だけでなく、鷹司任子の生命力も回復させる気だった。

 本丸大奥に入り、いつ毒殺されるかからない状態、本人は無事でも子供が毒殺されるか分からない状態を避けるために、二之丸のいるうちに妊娠出産させたいのだと、前回の諌言で徳川家慶と徳川家祥にも理解できた。


 しかも手の込んだ方法を使って、鷹司任子の元気を取り戻させていた。

 京育ちの鷹司任子が喜んで食べられるように、京大阪の料理人を召し抱え、京大阪の味付け、料理を取り揃えて提供するのだ。

 京で特に喜ばれる塩鯖と学鰹を提供したのだ。

 山国の京では、生きたまま身が腐るというほど傷むのが早い鰹は食べることができないので、別の魚を学鰹(まながつお)と呼んで食べていた。


 更に京でよく食べられていた鱧の料理。

 特に落としと呼ばれる、湯引きした鱧を梅肉と酢味噌で供してよろこばれた。

 もちろん照り焼きも鷹司任子に喜んで食べられ、食欲が改善された。

 海が遠い京では、江戸の人間が考えるよりも淡水魚が好まれていたのだ。


 そこでほかの淡水魚も鷹司任子に供された。

 鯉はうま煮、鯉こく、甘露煮、梅煮込みにされた。

 鮒は鮒寿司、鮒味噌、昆布巻き、天ぷら、甘露煮、すずめ焼きにされた。

 鯎は甘露煮、塩焼き、天ぷら、燻製、いずしにされた。

 追河はちんま寿司・甘露煮、唐揚げ、テンプラにされた。

 川鯥は甘露煮、唐揚げ、テンプラにされた。

 鮎は甘露煮、塩焼き、てんぷら、燻製にされた。

 さすがに徳川慶恕も、刺身や洗いを提供する危険は冒さなかった。


 どれも鷹司任子は喜んで美味しそうに食べていたが、特に美味しそうに食べていたのは、若鮎を塩焼きにしたものを蓼酢や蓼味噌で食べる事だった。

 次に喜ばれたのが、湯引きした鱧を梅肉で食べる事だった。

 鷹司任子と打ち解けられた頃に徳川慶恕がお願いされたのが、軍鶏を豆乳で煮た鍋もので、これは徳川家慶と徳川家祥も喜んで食べていた。


 もちろん牛の味噌漬けは当然として、軍鶏鍋に牡丹鍋、紅葉鍋に鯨料理といった、鳥獣料理も提供していたが、失敗した料理もあった。

 京でも江戸と同じように豆腐料理が好まれたのだが、大切な水の質が違うのか、鷹司任子に喜んでもらえる豆腐料理が完成するまでに時間がかかってしまった。

 だが食養が成功したのか、徳川家祥と鷹司任子の仲がすこぶるよくなり、懐妊の兆しが見えたのだった。

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