第13話

「これ何事ぞ!

 このような不始末、如何に左中将でも許されぬ事ぞ!」


 第十二代将軍・徳川家慶は徳川慶恕に激怒していた。

 事もあろうに、東証神君の命日に、生臭物を料理に出してきたのだ。

 如何に幕府の勝手向きを改善し、徳川家祥を輔弼しているからといっても、いや、徳川家祥の信頼が厚いからこそ、驕り高ぶりは許せなかった。

 排斥しようとは思わなかったが、頭を叩いておくべきだと、心底思っていた。

 だが、思わぬ返事が徳川慶恕から帰ってきた。


「お怒りはごもっともではございますが、これも東証神君のお教えに従った結果でございます。

 どうか話をお聞きください。

 聞き届けていただきたくて、あえてこのような事をいたしました」


 徳川家慶は徳川慶恕に仕組まれたのだと思い至った。

 尾張徳川家上屋敷への招待は、逃げようがない状態に追い込むためだった。

 弑逆される心配は一切してはいないが、それでなくとも自分が思いもよらない発案を平気で奏上してくる徳川慶恕が、自分の屋敷に将軍を招待しなければ奏上できないほどの奇策を提案してくると、覚悟を固めた。


「上様、東証神君は自ら薬種を調合し、養生に務めておられました。

 忌引日に気を使い、生臭物を避けられたこともありません。

 その東証神君に倣い、蘭学の知識と養生訓に従って将軍家の献立を調べさせていただいたところ、明らかに気血津液が不足していると分かりました」


 このまま聞けば、東証神君の忌引日に生臭物を食べさせられると恐れた徳川家慶ではあったが、あまりに美味しそうな香りが尾張家上屋敷に、いや、隣の部屋からただよってきたので、聞かずにはおられなかった。


「最近の将軍家の若君達の夭折は、家基公のような毒殺もありましょうが、気血津液の不足による、生命力の低下だと思われます」


 将軍家慶は、慶恕の一突きで抵抗する気力も意志もなくしてしまった。

 祖父一橋治済による徳川家基殿の暗殺。

 父徳川家斉が死ぬまで家基殿の祟りを恐れ、晩年になっても家基の命日には自ら参詣するか、若年寄を代参させていた事を、忘れる事などできなかった。

 それを、慶恕は十分理解した上での献策だ、とても断れるものではない。

 だが、最後の抵抗の言葉が弱々しく漏れた。


「ではどうすればよいと申すのだ。

 生命力の低下ならどうしようもあるまい。

 蘭学であろうと養生訓であろうと、生命力を回復手段など聞いたこともない。

 それに単なる気血津液の低下ならともかく、家基殿の祟りだと言うのなら、どのような手段を使っても避けられるものではあるまい」


「いいえ、両方に対処できる方法がございます」

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