【第九章】
【第九章】
それが自らの回想であることに気づくのに、しばしの時間を要した。それほどリアルな状況が、俺の五感を刺激していたのだ。
その女の子に、俺は悪口を言った。別に、虐めていたわけじゃない。幼馴染の、仲のよかった女の子。名前も顔も忘れたつもりになっていたけれど、あの時の悔し気な、かと言って反論できないもどかし気な顔つきは、今俺の眼前に展開されている。
はっとして、俺は周囲を見渡した。鉄棒があり、滑り台があり、ジャングルジムがある。ここは公園だ。
女の子のそばに立てられていた時計を見遣ると、午後四時半を回ったところだった。日付は、十五年前の十一月を表示している。既に空は薄暗く、そばの幹線道路を行き交う車もヘッドライトを点け始めた。
視線を女の子に戻す。彼女は袖でぐいっと目元を拭ってから、あろうことか公園の外、幅のある車道へ向かって駆け出した。
まずい。
俺は瞬時にそう判断した。しかし、身体はぴくりとも動かない。そう、これは過去にあった出来事――変えようのない事実だ。それが脳内で再生されている。
俺は全身全霊を込めて、口を動かした。危ない、行くなと叫ぶつもりだった。
だがやはり、それは叶わぬ願いだった。幸いだったのは、顔を逸らすことができたということだけ。
彼女が車道に飛び出し、激しいクラクションが鳴り響いたのを耳にし、バン、という聞き慣れない衝撃音を聞いた後の話だ。
「あ……」
周囲の大人たちが、自分の子供を抱き締めたり、事故現場へ駆けつけたり、携帯で救急車を呼んだりする。そんな中、俺にできたのは、短い呻き声を上げることだけだった。
忘れてはいけない。いや、忘れようにも忘れられない。
僕が、彼女を殺した。僕は、いや俺は、未だにその記憶に縛られている。きっと、俺が精神を病んだのは、天罰が下った結果なのだろう。
また誰かを死なせてしまうのではないか。そんな恐怖は、当時五歳だった俺の精神を容赦なく苛んだ。それは、胃袋を真下から業火で炙られるような、また、胸を氷柱で貫通されるような、痛みを伴う恐怖だった。
そうして俺は学校でも孤立し、誰かに助けを求められるはずもなく、疲れ切ってしまった。
そうか。だから今なのか。大学入試を経て、それなりのところには進学できたけれど、もう心は骨と皮でできているようなものなのだ。
生きていくこと。生き残ること。それはいつの間にか、俺にとって最大の苦行となっていた。
※
回想を打ち切ったのは、凄まじい勢いで腕を引かれたことによる痛みだった。そして、誰かの叫び声。
「憲治、しっかりしてよぅ! 早く逃げなきゃ!」
ケイ? ああ、そうか。俺はケイという幼女と旅をしていたのだった。明朝までという、僅かな間だけれど。
「んあ……」
かぶりを振ろうとするが、上手くいかない。
「逃げるんだよぅ、憲治! 急がないと、心が壊れちゃうよぅ!」
「……」
心が、壊れる? どういう意味だ?
そんなぼんやりとした思考は、しかし、次の瞬間に完全に吹き飛んだ。
「きゃあああああああ!」
「ケイ? ケイ、どうした!」
はっとして上を見上げる。そこには、人間大の透明な袋に取り込まれたケイの姿があった。その袋は、大木の枝からぶら下がっている。
「コイツ……! 植物のモンスターか!」
俺は躊躇いなくMP5を抱え込み、狙いを定めた。だが、こいつの弱点はどこだ?
ケイを誤射しないようにそれを推し測るのは、困難を極めた。
だが、今度は見捨てるわけいかいかない。目の前で危機に瀕している人を。
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