第三話(4) 最期は笑って見送るよ
再びカナタの家に辿り着いた頃にはすっかり夜も更けていた。草木も眠る丑三つ時だ。
さすがにカナタも眠ってるだろうけど、そんなのは関係ない。一刻も早くあいつを救いたい、起こすことはできなくても、あいつの目が覚めてから一番に伝えなきゃいけないんだ。
この時の俺は少しハイになってたと思う。でも冷静になろうとすると、あの壊れたカナタの姿が浮かんできて、とにかく傍にいたいってそれだけしか考えられなくなってたんだ。
こんな風に誰かのために必死になったことはこれまで無かった。
多分、これからも無いと思う。
この時、俺は気付いてたんだ。俺がこうして、ここにいる理由に。
思った通り、カナタは眠っていた。
俺が逃げ出した姿勢のまま、まるで許しを求めているように体を伏せたその姿は、酷く悲しいものだったよ。
部屋の灯りは消えていた。カーテンの隙間から入る月明りだけが、今のカナタの世界を淡く浮かび上がらせていた。
俺はカナタの正面に座って、カナタの想い、苦しみ、そしてこれから俺が伝えるべきことについて考えた。
カナタは俺を失って病んでしまった。俺の死がカナタを苦しめている。
でもそれは、こいつが俺との時間を失くしたくないと思ってくれているからなんだろう。俺との思い出を、大切にしてくれているんだろう。
その気持ちはすごく嬉しい。それを生きているうちに確かめられていれば、あるいはこんなことにはならなかったのかも知れない。
でも、人は死んだらそれっきりなんだ。
カナタは俺との思い出にしがみついて悲しみを誤魔化しているんだろうけど、それは誤魔化しているだけで、苦しみが消えることはないと思う。
やっぱり俺は、カナタには笑顔でいて欲しいと思ってる。
生きている人には、前を向いて欲しいんだ。
「んぅ……」
カナタが微かに呻いた。苦しそうに体が動いて、小さく寝言を言った。
「ハ……ル……?」
カナタは薄く目を開けた。焦点の定まらない目は、俺のいる空間を見ている。
「カナタ……」
これも気のせいなのかも知れない。今までも、俺は何も出来ていなかったのかも知れない。
それでも、例え俺がやってきたことが自己満足でしかなかったとしても、俺は何かを遺したい。
俺だってさ、生きてきた証が欲しいんだよ。
だからカナタ、思い出してくれ。あの日、俺がお前に伝えた言葉を。
「人は死んだら思い出になるんだってさ。思い出になって生きてる人の中に残るんだって」
お前が俺を思い出してくれるのは、本当に嬉しいよ。俺はお前の中に確かに残ってるんだな。
「別れる時に悲しかったら、思い出す度に悲しくなるだろ?俺はお前との思い出を悲しいものにしたくない」
でも、お前は俺を思い出して泣いてるじゃないか。俺はお前にとっての悲しい思い出になりたくないんだ。
「だから、最期は笑って見送るよ。お前を思い出す度に笑えるようにさ」
俺の死を笑顔で塗り替えてくれ。俺を思い出す時は、笑っててくれよ。
俺を幸せな思い出のまま、見送ってくれ。
カナタは静かだった。
俺を見るその表情からは俺の声が届いたか分からないけど、それまでと違って落ち着いてるように見えた。
「……そうだよね。ハルなら、そう言うと思ってた」
カナタは言う。静かに涙を零しながら、それでも、その目には悲しさは無い。
「ハルのお祖父ちゃんも良いこと言うけど、ここでそれを言っちゃうのがやっぱりハルらしい」
まるで憑き物が落ちたよう、って言うのかな。カナタは何かを諦めたような、何かを決意したような、そんな俺が見たことのない表情で、
「分かってる。きっと、これも幻覚なんだよね。思い出のハルは優しいけど、いつまでも甘えてちゃ、ダメだよね」
体を起こして俺に向き合った。それはきっと、俺との思い出に向き合ってたんだろう。
月明りの中で陽だまりのような笑顔を見せるカナタは、少し大人びて見えた。
「楽しかった。嬉しかった。暖かかった。……幸せだった」
俺に向けた別れの言葉。一つ言う度に、カナタの目から涙が零れた。
でもその涙は俺の心を痛めない。
俺は、カナタを救えたんだ。
「……ハル、大好きだったよ。今まで、ありがとう」
「こっちこそ、ありがとうな。カナタ、これからも元気で」
「うん……、うんっ……」
これが、カナタの流す最期の涙になればいい。
明日になれば、きっと元のカナタに戻ってるはずだ。明るく元気な、そのままのカナタでいて欲しいと思う。
いつかは俺を忘れてしまって、隣には別の誰かがいたとしても、カナタには幸せでいて欲しいんだ。
カナタは泣き疲れて、また眠った。
俺は最後にカナタの寝顔を目に焼き付けて、部屋を出た。
もう、思い残すことは無い。
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