第二話(3) お前は俺のヒーローだ

 下校時刻になって、生徒が教室からそれぞれに散っていった。

 部活に行くやつ、寄り道の予定を話すやつ、まっすぐ帰るやつ。

 学校全体が騒がしくなる中、下駄箱でアツシを見つけた。帰りに駅前のカラオケへ行こう、と誘う友達を断って、一人で校舎を出た。

 やっぱりアツシらしくない。あんなに暗い顔のあいつ、初めて見た。

 俺は気になって、アツシと一緒に帰ることにしたんだ。


 アツシはいつも通り、歩幅は大きいくせにゆっくりと、ぶらぶらと歩いていた。俺もいつも通り、それに合わせてぶらぶらと歩いた。

 俺にとってはいつものアツシとの帰り道だけど、アツシにとっては、俺のいない帰り道はどんな感じなのかな。

「いやー、まさか幽霊が実在するとは思わなかったよ。っつーか正に俺が幽霊なんだけどな」

「……」

「まぁ、これからは心霊番組とか全然怖くなくなるね。むしろ親近感とか湧いちゃうかもね」

「……」

 アツシは答えない。

 そりゃそうだ。一人で歩いてるって言っても、周りにはそれなりに人通りもある。

 それでも、俺は話し続けた。アツシとの帰り道に、あの頃のだらけた楽しさを思い出していたから。

 やがて、いつも俺達が別れる水道橋に着いた。

 この橋を渡れば、アツシの家はすぐだ。でも、アツシは橋の向こう側に目を向けたまま、立ち止まってしまった。

「アツシ?」

 アツシは橋には向かわず、土手を下りて川原に立った。足元の小石を拾って、大きく放り投げた。

 それほど小さい川じゃないから、野球部員でもない限り、向こう岸には届かないんだよな。

 投げて、投げて、だんだん飛距離が大きくなっていくけど、向こう岸にはまだ遠い。疲れたのか、アツシは大きく息を吐いて、その場に座り込んだ。俺も隣に座って、アツシに話しかけた。

「やっぱ遠いよなぁ。一回でいいから向こうまで届かせたかったよ」

「……」

「あ、そういや一回、俺ら怒られたよな。向こう岸で散歩してたじいさんに。こらー、危ないだろがー、っつって、杖突きながら走ってきて。あれは笑ったよな」

「……はぁ」

「それから、小学生に対決申し込まれたこともあった。あいつら意外と肩強くて、」

「あーあ、くそ。何なんだよ……」

 アツシは力なく悪態をついた。これ程テンションの低いアツシは見たことなかったな。

「お、おい、アツシ?どうした?」

「なぁ、ハル。お前は、すげえよなぁ」

 アツシは手の中で小石をいじりながら、小さく呟いた。

 その声は小さかったけど、その分、心からの言葉に聴こえて、俺はすぐに返事ができなかったんだ。

「お前が死んだ時かなり話題になったんだぜ?皆お前の話して、あんなことがあった、こんなことがあった、ってお前の思い出なんか語っててさ。それだけ、皆の記憶にお前が残ってるってことだよなぁ」

「……そんなの、野次馬が騒いでるだけだろ。身近な事件に乗っかって、話のタネにしてるだけだ」

「俺も、最近お前とのことばっか思い出すんだ。お前が死んでから、他のやつらとも色々遊んでるけど、お前とはこうだった、お前ならこう言うだろうな、って比べちまうんだよ」

「……それは、なんつーか、……別れた恋人、みたいな意味でか?」

「いやいや、キモイ意味じゃなくて!上手く言えねえけど、やっぱお前の存在ってでかかったんだなぁ、ってさ」

 石と一緒に拳を握りこんで、アツシはまるで痛みに耐えるように歯を食いしばってた。

 実際に痛んでたのかも知れない。体じゃなくて、心が。

「俺が死んでもこうはならねえよ。空気読んでるフリしてただ周りに合わせてるだけの俺なんか、死んだって誰も思い出さねえよ。ただ、いたヤツがいなくなるだけだ。こんなんじゃ、生きてたって死んでたって同じじゃねえか」


 そうか、アツシは孤独に苦しんでたのか。

 自分を押し殺して輪の中に溶け込んでも、そんな自分を自分で否定してたんだ。

 俺といた時の悩みの無さそうな顔と今のアツシの顔が繋がらなくて、かける言葉が見つからなかった。

「俺だって、何かを遺してえんだよ。俺が生きてたことで何かが変わった、って思いてえんだ」

 いや、一度だけあった。こんな表情で自分の願いを語ったことが。

 あの時はすぐに誤魔化してたけど、今のアツシは一人なんだ。一人で悩んで一人で諦めて、一人で孤独に押しつぶされそうになってる。自分には何もできない、って思いこんでる。

 あの時、俺はアツシに言ったはずだ。悩みを抱えた孤独な親友に対する、俺なりのエールを。

 この時にはもう、俺の声がアツシに届くことを疑ってなかった。ただ必死に、アツシに思い出してほしかったんだ。

 いつもの自分の姿を。軽くて適当で、底抜けに明るい、俺の親友の姿を。


「例えばさ、お前と遊べなくなったら、俺はすげえ寂しいと思う」

 俺が死んでお前にそんな顔させたのは、悪いと思ってる。


「お前がいるから、俺は死にたくねえ、って思うわけだ。お前は俺の命を救ってるんだ」

 お前といた時間は、俺の中に確かに残ってる。お前は俺の世界を変えてるんだよ。


「お前は俺の命の恩人。つまり、お前は俺のヒーローだ」

 だからヒーロー、笑ってくれよ。


 自分には何もできないだなんて、思うな。


 顔を上げたアツシが、驚いたような顔をした。でもまた俯いて、今度は肩が震えだした。

 その反応の意味が分からなくて、俺が様子を伺っていたら、

「……ぷっ、くっ、あっはっはっは!くせー!なーにがヒーローだよ、恥ずかしー!」

「なっ、お前、褒めてやってんだぞ!」

 アツシはひぃひぃ言いながら、腹を抱えてた。

 やがて笑いが収まってきたのか、落ち着いた声で話し始めた。

「はは、あぁ、違うな。恥ずかしいのは俺の方だ。ぐだぐだ悩んで、一人で落ち込んで、全然俺らしくなかったわ」

 アツシは立ち上がって、手の中の石を思いっきり投げた。

 大きな放物線を描いた石は、川に落ちず、向こう岸で他の仲間と出会った。

「そっか。俺も、何かを遺せたんだな」

 目が少し赤くなってたけど、アツシは前を向いていた。

 もう大丈夫だ。これで、いつも通りの明るいアツシに戻ってくれると思う。

「ありがとよ、親友」

「いいってことよ、ヒーロー」

「だからくせーって……、ん?俺一人で喋ってる?うわ、ヤバくね?」

 一人で慌てだしたアツシに、今度は俺が笑った。

 もう俺は見えてないみたいだったけど、俺達は久しぶりに、一緒に笑えたんだ。


 アツシは鞄を拾って、橋へ向かって歩き出した。帰るのか。

 俺も一旦家に帰ろうかな、と思ってたら、ふと思い出したように、アツシが呟いた。

「そういえば、カナちゃん大丈夫かな。あいつの葬式から、ずっと出てこないけど。やっぱ、落ち込んでんだろうなぁ」

 ……何だって?

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