第一話(3) どこへだって行けるし、何にだってなれる

 姉ちゃんは帰るなりさっさと自分の部屋に入っていった。

 俺はさっきまでのことがあったから、何となく姉ちゃんのことが気になって部屋まで着いていくことにしたんだ。


 姉ちゃんの部屋は相変わらず男前だった。

 壁にはロックバンドのポスターが貼ってあって、部屋の隅にはサンドバッグが置いてある。本棚には少年漫画と世界の絶景写真集が一緒くたに入ってる。服や大学の教科書が床に散らばってるのも女子力を感じさせない。

 姉ちゃんは窓際で煙草を吸いながら、ギターを弾いていた。

 ギターなんて持ってたっけ?って、それ俺がヨシヒコ叔父さんから貰ったやつじゃん。

 弟の持ち物を勝手に持ち出すのも相変わらずだった。

 何か曲を弾いてるわけじゃなく、ただ音を出してる、って感じだった。単音でちまちまやってるかと思うと、いきなりコードを押さえてかき鳴らしたりして、まるで迷子が親を探してふらふらしてるような、弱々しい演奏だった。

「姉ちゃん……」

 思わず声が出たんだ。さっきの父さん達以上に、いたたまれなかったからさ。

 ふっと、姉ちゃんが顔を上げた。

 俺に気づいたのかと思って身構えたけど、全然違う方を見てて、姉ちゃんは煙と一緒に溜息を吐いた。俺はその場に立ち尽くして、姉ちゃんの様子を眺めていた。

 ギターを置いて煙草を灰皿に押し付けて、姉ちゃんは俯いた。長い髪が顔を覆い隠して、どんな表情だったかは分からなかった。

「ハルカ、あんた、何死んでんだよ」

「え?」

 突然話しかけられたから返事をしたけど、当然それは独り言だったよ。

 でも、俺は話を聞くことにした。最後の会話が喧嘩みたいになったから、ちゃんと仲直りしたかった。なんていうか悲しくない思い出にしたかったんだ。

 姉ちゃんはもう一本煙草に火をつけて、独り言を続けた。

「あんたは何も考えてなかったけどさ、何も考えてなくたって何かになれたんだよ。適当にやってたって、それなりに幸せになれたかも知れないんだよ。なのにさ、何こんな中途半端で死んでんだよ」

 姉ちゃん、俺の死をそんなに悲しんでくれてるのか。やっぱり、家族なんだな。

「あんたが死んだせいで父さんも母さんも暗いし、居づらいから外出ようとしたら門限八時とか言い出すし、うっぜえんだよ!」

「え?悲しんでたんじゃないの!?」

「そりゃ、悲しんでるよ!でも、それ以上にムカついてんだよあたしは!」

「会話が成立してる……」

 姉ちゃんは溜まった鬱憤を吐き出すように続けた。最後の説教の続きみたいだったな。

「あんたがどう思ってたか知らないけどね、あたしはあんたに立派な大人になって欲しかったんだよ。ヨシヒコ叔父さんみたいに、自分の意思で自分の道を決められる、そんな大人に」

「叔父さんは立派な大人って感じじゃなかったと思うけど……」

「そんで、家のことはあんたに任せてあたしは悠悠自適に」

「そんなこと考えてたのかよ!」

「まぁ、半分冗談だけどさ」

 つまり、半分は本気だったってことかよ。本当、人として駄目すぎるな。

「あたしも偉そうに言ってたけど、本当はあんたと変わんないんだ。なんとなく大学行って、なんとなく遊んで、なんとなく生きてる。最近はまともに授業にも行ってないよ」

 微かに息をついた音が聴こえた。苦笑だったんだと思う。

「……ウルスラとアンナはすごいんだ。ウルスラはずっと憧れてた自分の店を持ったし、アンナは稼業を継いで頑張ってる。二人とも、昔はあたしと一緒に馬鹿やってたんだけどね」

 そうか、あの人達も今は真面目に働いてるんだ。

 姉ちゃんの声は一層低くなっていった。

「あたしもね、将来の夢は確かにあるんだよ。ヨシヒコ叔父さんみたいに世界中を飛び回りたい、って。でも、夢は夢。そんなの無理だって分かってる。一生それで食っていけるのかとか、これからは父さんや母さんの面倒見なきゃとか、そもそも世界に出て何がしたいのかとか、色んなものがあたしに絡まってる。……重くて、飛べないよ」

 また溜息を吐いた。まるで重さに耐えられないように、背中を丸めていた。

 姉ちゃんは柄にもなく弱音を吐いてたんだ。


 姉ちゃんは、夢の果てしなさと現実の厳しさに苦しんでいた。

 ずっと抱いていた夢は、自分でも子供っぽいって思ってたんだろう。友達は前に進んでいて、自分だけが置いて行かれてる気分になってしまう。さらに俺が死んだことで、これまで通りの勝手ができなくなってしまった。

 普通に考えれば悩んでも仕方ない状況だと思う。でも、あの傍若無人な姉ちゃんのこんな姿は想像もしてなかった。

 だけどさ、

「あーあ、格好わりいな……」

 全くだ。そんな姉ちゃん、格好わりいよ。

 俯いたまま、俺への独り言を続ける弱い姉ちゃん。

 俺は許せなかった。いつでも上からものを言ってたけど、堂々としたその態度に憧れてたりもしてたんだ。

 姉ちゃんの説教、実は結構胸に響いてたんだぜ?

 無性に腹が立って、俺は、最後にした会話と同じことを言った。


「俺は生きてる」

 俺は、死んだ。


「生きてれば、どこへだって行けるし、何にだってなれる」

 死んだから、どこへ行っても、もう何にもなれないけど、


 姉ちゃんは、生きてるだろ?


 目が合った。

 今度ははっきりと、俺の方を見てた。見えてるかは分からないけど、その目には力がこもってる気がした。

 「……そうだね、あたしは生きてる。どこへだって行けるし、何にだってなれる。はっ、生意気なこと言いやがって」

 口では悪態をついてたけど、その表情は晴れやかだった。

 視線は俺を通り越して、遥か先を見ているように感じた。

「でも、確かにこんなのはあたしらしくねえ。格好わりい自分を受け入れたら、あんたに説教もできやしない」

 もう、姉ちゃんの顔に迷いは無かった。俺の知ってる、いつもの強気な姉ちゃんだ。

「うん。考えてたって始まらないよな。あたしが格好いいって思うあたしでいる、それだけだ」

 姉ちゃんは立ち上がって、窓際によって決意を叫んだ。

「~~ぃよーっし!やってやんよ!」

「頑張れ、姉ちゃん」

「おう!……ってあれ?あたし、何一人で喋ってんだ?」

 俺の声が届いたのかは分からない。けど、姉ちゃんはまた立ち上がった。きっと前みたいに、それ以上にわがままになるだろうけど、姉ちゃんはそっちの方がいいと思ったんだ。

 姉ちゃんは部屋を飛び出して、リビングへ駆け降りていった。

 俺は、とりあえず自分の部屋へ戻った。

 これからのことを考えてみようと思ったんだ。

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