第一話(2) どこへだって行けるし、何にだってなれる

 姉ちゃんは俺の三歳年上で、大学二年生だ。

 昔から乱暴で、俺はよく泣かされてた。高校生の頃が絶頂期だったけど、ヨシヒコ叔父さんが死んでからは段々と落ち着いていったんだよ。

 姉ちゃん、ヨシヒコ叔父さんのことは本当に尊敬してたから。

 今では、外面だけは普通の女子大生だ。それでも、たまに俺をいじめてきてたけど。


 通りに出ると、姉ちゃんの後ろ姿が小さく見えた。

 駅の方に向かってるみたいだ。姉ちゃんの背中を目指して急いだ。

 姉ちゃんが夜をどう過ごしてるのかは知らないんだ。家にいることもあるし、朝まで帰らないこともある。

 中学から高校までは暴走族をやってたから、何をしてたかは想像できたけど、高校の途中で抜けてからは、回数の減った夜遊びは謎に包まれている。

 生きてた頃は、こんな時間に姉ちゃんに着いていくなんて命懸けだったからできなかった。でも今は懸ける命なんてない。

 俺は心配半分興味半分で、姉ちゃんを追いかけた。

 しかし、どこに行くんだろう?本屋で立ち読み?朝までカラオケ?なんか想像できないなぁ。

 俺が行き先を想像をしてると、姉ちゃんは駅前の外れにある雑居ビルの地下へ降りていくのが見えた。

 表に出てる看板を見ると、『Bar Butterfly』?つまり、バーなのか。

 怪しげな大人の世界を想像して俺は今更不安を感じてたけど、ここで帰るのもつまらないし、と恐る恐る階段を降りていった。


 入ってみると、そこは別世界だった。

 静かに流れるジャズ。カウンターの向こうに宝石みたいに輝くウィスキーボトル。

 店内は灯りが少なかったけど、一目見て客が少ないことは分かった。まさに大人の隠れ家、って感じだ。

 テレビとかで見るバーのイメージそのものな雰囲気に、俺はしばらく見とれてたよ。

 姉ちゃんが入ったのを見て、バーテンダーと客の一人が声をかけた。

「マスミさん、いらっしゃいませ」

「ヘッドぉ、こっちぃ」

 げ、あの人達は……。

「よっ、ウルスラ。バランタイン、ロックでね」

「かしこまりました」

「うわ、アンナどんだけ飲んでんの?」

「ヘッドが来るのが遅いからさぁ、もう帰ろうかと思っちゃったよぉ」

「あたしが呼んでから全然時間経ってないけど……、相変わらずウワバミだね、あんたは」

 姉ちゃんはカウンター席に着いて、バーテンダーと客と三人で話してた。相手の二人の方も、実は俺の知ってる人なんだ。


 チーム『クリムゾン・バタフライ』。

 俺達が住むこの町を実質シメてるレディースで、その悪名はこの辺の不良どころか県内全体まで轟いてるらしい。

 俺の姉ちゃんはこのチームの頭をやってたんだけど、噂によると歴代最強だったんだってさ。チームを抜けて結構経つけど、いまだに姉ちゃんの影響力は絶大で、一部では存在自体が伝説化してるんだとか。俺が弟だって知られた時は、しばらく友達出来なかったんだよなぁ。

 ウルスラさんとアンナさんはチーム時代からの姉ちゃんの友達なんだ。

 褐色肌で落ち着いた雰囲気のウルスラさん。金髪碧眼で陽気に笑うアンナさん。二人とも二メートルは下らない長身に抜群のスタイルを持つ最恐のお姉様方だ。

 昔、冗談で一度抱きつかれたことがあるけど、あれはハグっていうよりホールドって感じだったな。ガチガチの筋肉で圧迫されて、本人達には絶対に言えないけど、女性じゃなく熊か何かに襲われてる気分だったよ。


 そんな人達がいると分かると、途端にそこが危ない場所に思えてきた。幽霊になってなかったらすぐに逃げてたよ。

「マスミさん、どうぞ」

「サンキュ。んじゃあとりあえず、アンナの次の恋に、乾杯」

「えぇ?なんで振られたの知ってんのさぁ。ごくごく」

「アンナは相手に依存するからいけないんですよ。男は優しくリードする、くらいの気持ちでいないと」

「んだよぉ、自分が上手くいってるからってえっらそうにぃ」

 普通のガールズトークに聞こえるかも知れないけど、相手は皆、潰した他の暴走族から奪ってる、って聞いたことがある。どんだけ肉食系だよ。

「しかし、マスミさんが元気になられたようで良かったです」

「え、あたし?」

「そうだよぉ、こっちから誘っても全然ノってくれないしさぁ。心配してたんだかんねぇ?」

「いや、あたしは別に、ただ、親がちょっとね……」

「ご両親が?」

「……うん。何か神経質っつーか、正直、ちょっと居づらいんだよね」

 ん?姉ちゃんは家に居づらいから出てきたのか?ただイラついてたわけじゃない、ってことか。そりゃ姉ちゃんもガキじゃないし、理由くらいあるよな。

「……この店さ、調子どう?もう一年経つけど」

「え?あ、はい、少しずつですがお客も増えています。何より、昔の仲間が顔を見せに来てくれるのが嬉しいですね」

「そっか。アンナは?親父さんの牧場、上手くいってんの?」

「ん?まぁ悪くはないかなぁ。皆病気もなく大きくなってるしぃ」

「……そっか、二人ともすごいな」

 姉ちゃんは呟きながら、グラスを見つめていた。

 ウルスラさんが注いでから一口も飲んでないグラスから、からん、と氷が鳴った。

「マスミさん、何かあったんですか?」

「ヘッドぉ?話聞くよぉ?」

 ウルスラさんもアンナさんも心配そうに姉ちゃんを見ていた。

 この二人、普段は危ない人だけど、こうして見ると良い友達なんだな。

 二人の視線を受けて、姉ちゃんはグラスの中身を一気に飲み干した。財布からお札を出してウルスラさんに手渡した。

「ごめん、今日はもう帰るわ」

「え?ちょっ、あの、多いですっ、お金」

「じゃ、次来た時にその分飲ませてよ」

「ヘッドぉ、大丈夫ぅ?」

「何でもない。悪いね、また呼ぶから」

「絶対だよぉ?」

「あの、また来て下さいねっ」

「うん、じゃあね」

 姉ちゃんは颯爽と店から出ていった。

 立ち振る舞いは格好良かったけど、何故だろう、後ろ姿は頼りなく見えたんだ。

 俺も一緒に出て、今度は並んで家まで帰った。

 帰り道、姉ちゃんはずっと俯いてた。

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