第一話(1) どこへだって行けるし、何にだってなれる

「ハルカ、あんたさ、これからどうすんの?」

「え?アツシんとこ行って新刊読んでくるけど、姉ちゃんも来る?」

「行かねーよ。っつかちげーよ。将来、どうすんのって聞いてんの」

「んー、別に、決めてない」

「決めてないんじゃなくて、考えてないんでしょ?」

「何だよ、いきなり。姉ちゃんに説教とかされたくないんだけど」

「あたしは確かに真面目じゃないよ。でもね、行動してる。やりたいことがあって、なりたいものがあって、そういうのに本気でぶつかってる。あんたと違って、人生に真剣だよ」

「……俺が真剣じゃないって言うのかよ」

「そうでしょ?このまま高校卒業して、大学行って、就職して、それであんたは何がしたいの?これからもずっと今みたいにふらふらしてるつもり?そんな人生でいいの?」

「……」

「そんなの生きてるって言わない。あんたが死んでも、何にも残んないよ」

「……俺は」


 俺にとって幽霊ってのは、フィクションの存在だった。

 本当にいたら面白いけど、まぁ、いねえよな、みたいな感じ。

 そんな存在にいざ自分がなっても、現実感なんてなかった。体が透けてるわけじゃないし、足だってある。常に浮いてるわけでもなく、格好も事故にあった時のままだ。気づいた時には事故現場に立ってたんだけど、車も自分の死体も無かった。

 多分、意識が飛んでるうちに何日か経ってたんだな。まぁ、自分の死体なんて見たくなかったし、とりあえず深く考えるのは止めておいた。

 自分が幽霊だって実感したのは、怪我や服の汚れみたいな事故の痕が消えてることと、自分以外の物に触れなくなったことに気づいてからだよ。

 最初は驚いたな。ちょっと壁に寄り掛かろうとしたら、手がすり抜けていったんだ。つんのめった勢いそのままに、顔から地面に倒れこんだ。ただびっくりしただけで、痛みは特にかんじなかったな。

 理屈はさっぱり分かんないけど、幽霊ってそういうものだ、って納得することにした。幽霊は理屈じゃないんだ、うん。


 ところで、この壁抜け能力。これは男なら誰でも夢見るものなんだ。俺はこの時、ある意味夢を叶えたんだよ。さすがに興奮したね。

 よく見ると、そこは民家の庭っぽかった。目の前には向こうの見えないすりガラス。

 ひょっとしてこの向こうは風呂場とかで、もしかしたら誰かが入ってて、万が一その光景を見たとしてもそれは事故だよ事故、とか考えてる間に俺は壁に向かって全力ダッシュしてた。

 いや、男なら誰でも考えるんだよ。

 まぁ何というか、結果的に、俺のテンションは落ち着いた。

 そこにあったのは、知らない家族の団欒で、両親と小学生くらいの女の子が、今日あった出来事を幸せそうに話しながら晩御飯を食べていた。

 俺がいることに全く気づかず食事を続けてるのを見て、あぁ他の人には俺が見えないのか、って今更そのことに思い至ったんだ。

 家族のことが気になった。

 俺が死んだ後の家の様子が知りたくて、壁をすり抜けて走った。


 家に着いて玄関をすり抜けて、俺は靴も脱がないでリビングへ走った。

 ついさっき他人には見えないって分かったのに、思いっきり叫んびながらドアをすり抜けた。

「ただいま!」

 リビングに入ると、ちょうど晩御飯の時間みたいで、母さんが食卓に料理を並べていた。父さんは缶ビールを飲みながら、旅番組を観ていた。

 姉ちゃんはまだ帰ってないみたいだけど、それはよくあることだ。姉ちゃんに門限なんて無意味だし。

 違うのは、そこに俺がいないこと。

 俺がいないだけで、それ以外はいつも通りの光景に、ちょっとだけ悲しくなった。

 別に期待してたわけじゃないけど、前に姉ちゃんに言われた通り、俺は何も残せなかったのかな。

 食事の準備ができていただきますを言って、二人が向けた視線の先には、俺の、遺影が、あった。


 高校の入学式の写真だと思う。それから写真を撮った覚えはないんだ。

 皆と同じ料理が供えられてて、正直、かなり堪えたな。自分の死を実感したよ。

 思わず空いてる席に座ろうとして、手が椅子をすり抜けて、床に思いっきり尻もちをついた。派手な音がしたけど、やっぱり聞こえてないみたいだ。静かな食卓には食器の音しかない。

 そこで、ふともう一つ変化に気づいた。

 会話が少ない。というか、ない。

 いつもだったら、テレビのコメンテーターの発言に母さんがとぼけたことを言って、父さんが呆れながらも笑って答えて、そんな会話があるはずなのに。

 テレビの音がやたらと大きく聴こえた。

 家族皆が好きな番組だったのに、誰も観ていない。

 静かな食事が進む中、玄関のドアが開く音がした。母さんが箸を置いて見に行くと、

「マスミ、おかえりなさい。ご飯は?」

「……いらない」

 姉ちゃんが帰ってきてた。姉ちゃんは素っ気なく返事をして、自分の部屋へ向かおうとする。

「マスミ、明日はどうするの?」

「別に、何も」

「それなら、ハルカのお墓に行ってきて。あなた、まだ行ってないでしょう?」

「……やることあるから」

 姉ちゃんの顔が不機嫌そうに歪んだ。

 あ、これやばいかも。

 嵐の予感に俺が後ずさると、父さんも玄関にやって来た。

「マスミ、いい加減にしなさい、いつまでもだだを捏ねるんじゃ」

「っるせーな、分かってんだよ!」

 キレて思いっきり壁を殴り、階段を駆け上っていく。

 すぐに降りてきて、玄関のドアを乱暴に閉めて出て行った。


 あんな風に爆発する姉ちゃんは、高校時代以来だったな。

 父さんも母さんも俯いて、黙り込んだ。両親のくたびれた姿なんて見たくなかったよ。

「ごめんな」

 死んじゃったことを謝って、姉ちゃんの後を追うために、俺も玄関を抜けていった。

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