ハッピー・エンド

沖見 幕人

プロローグ その日

 シロが死んだのは十年前。俺が七歳の頃ですごく暑かったのを覚えている。

 シロはウチの飼い犬で、俺が物心ついた頃からずっと一緒に遊んでたんだ。姉ちゃんやカナタと喧嘩した時は、よく泣きついてたっけ。

 ある日、シロがご飯を食べないでずっと寝てるもんだから、父さんに話して医者に診てもらったんだ。

 父さんが帰ってきて俺に教えてくれたのは、もうシロとは遊べないってこと。寿命だ、ってこと。

 シロとお別れする時俺はもちろん泣いてたんだけど、その時感じてたことと言えば、お気に入りのおもちゃを取られたような悲しさだったんだと、今になってからは思う。

 だって次の日には、いつも通り姉ちゃんにいじめられて泣かされて、母さんに泣きついて寝てたんだから。


 ヨシヒコ叔父さんが死んだのは四年前。着慣れない中学の制服を着て葬式に出た。衣替えの直後だったから二回目の冬服はまだ新品同然で、襟が擦れて痛かったな。

 叔父さんは何をしてるのか分からなかったけど、色んな所へ行ってはお土産をくれたり話を聞かせてくれたりした。

 姉ちゃんは叔父さんの話が好きで、帰ってくる度に俺を連れて叔父さんの家へ行ってたな。「今度は私も連れてってよ」って姉ちゃんが言うと、「おう、今度な」って言って叔父さんは笑うだけ。いつもそうだった。

 俺が中学に上がると、叔父さんはお祝いにギターをくれると約束してくれたんだ。

 実際のところ、本当にくれるつもりだったのかは分からない。でも、この約束は何だかいつもと違う気がしたんだ。

 今までお土産を貰ったことはあっても、叔父さんの物を貰ったことは無かったから。

「男に生まれたからには、格好つけて生きねえとな。何が格好いいかってのは人それぞれだけどよ、自分で格好いいって思うことしねえと格好よくなれねえわな」

 次の日には出発して、それから半年後、叔父さんが事故に遭ったと連絡が来た。現地で崖崩れがあって、それに巻き込まれたんだって。

 葬儀の後、遺品から俺はギターを譲り受け、姉ちゃんは大きな旅行鞄を貰ってた。

 後から聞いた話だと、姉ちゃんも叔父さんと約束してたらしい。あの約束は遺品整理のつもりだったのかな。

 その後、姉ちゃんは叔父さんの鞄を使い続け、俺はギターを見事にインテリアにしてた。


 じいちゃんが死んだのは二年前。中学最後の年が始まった春、俺はじいちゃんと別れた。

 じいちゃんは町の端っこに一人で暮らしてて、俺と姉ちゃんとカナタは小さい頃たまに遊びに行ってたんだ。俺達と一緒に裏山で走り回ったり川で泳いだり、元気なじいちゃんだったよ。

 でも、叔父さんの葬式の後から、何となくじいちゃんの元気が無くなって、俺も姉ちゃんもあまりじいちゃん家に行かなくなった。それが当たり前になって、思い出も薄れ始めた頃、じいちゃんが倒れたんだ。

 見舞いに行って久しぶりにじいちゃんを見た時、最初は誰だか分からなかった。

 一緒に遊んでくれてたじいちゃんはすっかり老けて、背も小さくなったような気がして、記憶と現実がぐちゃぐちゃになって、思わず顔を逸らした。無性に悲しくなったんだ。

「そんな顔をするな。残り少ない時間だ、笑顔を見せてくれ」

「そんなっ、……そんな言い方、するなよ」

「……なぁ、ハルカ、人間はいつか死ぬよ。でも、俺が死んでもお前は生きていく。死んだ人間を思い出してやれるのは、生きている人間だけなんだ。俺は、悲しい思い出には、なりたくないなぁ」

 黙っているのも辛くて、俺は俺達の楽しかった頃の思い出を話した。

 でも、確かに楽しかったはずなのに、話していくうちに胸の奥がどんどん重くなった。

 じいちゃんは皺だらけの顔を更に皺くちゃにして、

「楽しかったなぁ」

 俺は結局、笑顔を見せられなかった。


 そしてその日。

 前日の雪が融けきらず凍ったアスファルトの上で、人生初のそして最後の走馬灯を見ながら、俺は十七年の人生を振り返ってた。

 数メートル先の壁に車がめりこんでて、そこで自分が轢かれたことが分かった。

 さっきまで嫌になる程感じてた寒さが段々曖昧になっていくのが、少し怖かったな。

 自分が死ぬってことが分かると、色々思い出しちゃってさ。

 昔のこと。最近のこと。家族のこと。友達のこと。死んでいった人達のこと。生きていく人達のこと。

 何もかも中途半端で、やり残したことばっかりで、後悔ばかり湧いてきた。

 姉ちゃんまだ怒ってんのかなとか、課題やってなかったとか、借りてた漫画返してねえやとか、叔父さんのギターどこ置いたっけとか、ちゃんと言葉にすればよかったなあとか。

 色んなものがいっぺんに溢れてきて、最後はずっと、死にたくねえな、で頭の中埋まってた。徹夜した後の朝みたいに瞼が重くなってきて、考えるのも面倒になって、そして、


 その日、何も終わらせられなかった俺の人生は、沢山の未練を残したまま、終わった。



 で、幽霊としての新たな人生が始まったわけだ。

 正直、俺が一番驚いてると思う。

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