第7話 あの雨の日に起こった事(回想④)〜招待〜

「おかえりなさいませ。瑞波お嬢様」

「あぁ。ただいま。鹿野さん。この間のクッキー美味しかったよ」

「おかえりなさいませ。瑞波お嬢様」

「ただいま。田宮さん。今日も相変わらずかっこいいね」

 もう何度目だろう。マーブル色の輝く石(大理石?)でできた廊下を進む僕らに対し、深いお辞儀とセットで届くその言葉を聞くのは。一体この屋敷にはどれだけの使用人さんがいるんだ? 表に並んでいた人たちを合わせると、ここまででざっと三十人以上はすれ違ったぞ。しかも、その人たちが挨拶をする度に会長は名前と一言を必ずかける。もしかしてここにいる全員の名前を全て覚えているのか? だとしたら凄まじい記憶力だ。さすがは生徒会長。だけど……


「あの……雨真宮会長……」

「……? なんだい? 小堺君」

 

 このだだっ広い廊下を、背を伸ばし胸を張り、堂々と歩む姿はまさに雨真宮財閥のお嬢様そのもの。しかも女性らしい品の良さまで感じられるその勇姿は隣で萎縮し、オドオドしている僕にとっては眩く映る。そう。さえなければ。


「その……もうそろそろ手の方を……」

「手……? 手がどうかしたのかい?」

「えっ……!? いや……その、手を離してほし——」

「お嬢様。浴場の準備が整いました。いつでもご利用可能です」


 僕の言葉にカットインしたのは、メイド姿の使用人さん。どこからともなく現れ一礼と最小限のメッセージを残す。


「ありがとう。咲田さん。最高のタイミングだ」


 いや最悪のタイミングです。咲田さん。おかげで手を離すか離さないかという先ほどの問答がさっぱり流されてしまいました。見てください? 咲田さん。僕より背の高いモデル体型の会長が、中学生にも間違えられる僕の手をグイグイ引っ張っている。この図何かに酷似していると思いません? そうです。まるで“風呂を嫌う弟を出来の良い姉が連れ出している”。そんな図です。僕はもう恥ずかしくて仕方がないんです。しかも、これまでにすれ違った使用人さんたちは全員僕たちに微笑みと柔和な笑顔を向けてきました。きっとあなたも同じような目線を……


「フッ……(鼻で笑う感じ)」


 あーうん。なるほどね……。

 僕は当然、周りに聞こえないように心の中で叫んだ。「いや、そういうパターンもあるんかぁぁぁい!!!」と。


 その後、しばらくしない内に僕たちは目的地の大浴場へとたどり着いた。そこには青い扉と赤い扉があり、上の方には男性女性のマークが彫られていた。どうやらここで男女が分かれるようになっているようだ。僕がようやく会長に手を離してもらえるとホッとしたのも束の間、数分待っても僕の右手から会長の左手が離れない。いや、それどころか段々握る力が増していってるようにも感じた。


「あの……雨真宮会長? その、手を離して欲しいんですが……」

「…………」


 無言。会長は一言も発さず只々繋がった二人の手に視線を落としている。これあの時の車内デジャブ? と僕は思ったのだが、あの時とは決定的に違う箇所が一つ。それは今回、僕が会長の真正面に立っているという点だ。会長より背の低い僕は当然彼女の表情をうかがうことができるわけで——


「え?」


 僕は驚いた。何故なら僕の視界に入ってきた会長の顔が悲哀の色に染まっていたからだ。今までの凛々しい顔が嘘だったかのような愛しい者を亡くした幼子のような悲しげな表情。眉根を寄せ、別れに対し相当な拒絶を見せる頑なな瞳。会長は僕を抱きしめたと全く同じ顔をしていた。


「雨真宮会長……?」

「ゥオッホンッ!!」

「……ッ!?」


 会長と僕は、瀬馬洲さんの放った咳払いに思わず体を跳ねさせた。


「お嬢様。小堺様が困惑しております。どうかその手をお離しくださいませ」


 落ち着いた口調でありながら、どこかその声色には叱咤の檄が込められているように僕は感じた。そしてそれを感じ取ったのは会長も同じようで彼の言葉を聞くなり目を見開き、我を取り戻したかのようにいつもの凛々しい表情を取り戻していった。


「あっ……あぁ。すまない小堺君。私としたことが。ずぶ濡れですぐにでも体を温めたいはずなのに。本当にすまない」

「い……いえ。僕は大丈夫です。会長の方こそ早くお風呂に入った方がいいですよ」

「ははっ、そうだな。後輩である君に気を使わせてしまうとは。なんとも情けない。では……また後で!」

「あっ……はい」


 そう言い残した会長はバツが悪そうに素早い動作で赤い扉を開けると、そそくさと中に入りバタンと音が鳴るほどの勢いでドアを強く閉めた。


「ハァ……全く忙しない。では小堺様。こちらの青い扉の部屋へ。中に入るとそこは脱衣所となっております」


 瀬馬洲さんが優雅な仕草で扉を開けると、中から優しい照明に彩られたいくつものカゴが並ぶまるで旅館のような脱衣所が姿を現した。


「どのカゴをご使用なさっても構いません。念のため貴重品は金庫に保管いたしますか?」

「いえ……大丈夫です。大して入っていませんし、ここの人達が僕のチャチな財布や携帯を盗むだなんて考えられないですから」

「御信用いただきありがとうございます。では貴重品は私共が責任を持って管理いたします。お召し物である制服は当家の使用人が新品同様にクリーニングいたします。どうかご心配なきよう」

「はっ……はぁ。よろしくお願いします」

「では、小堺様。ごゆっくりお湯浴みを。何かありましたら浴場備え付けのインターホンで私共をお呼びください。それでは」

「あのっ……! 瀬馬洲さん」

「はい?」


 僕は心のうちに溜まった疑問に耐えきれず瀬馬洲さんを呼び止めてしまった。会長の長すぎる休みのことや僕を抱きしめた理由、さっきの表情はなんだったのか、などなど聞きたいことが多すぎて言葉を詰まらせていた僕に瀬馬洲さんの一言が突き刺さった。


「小堺様、後ほど全てご説明いたします」


 そう言い残し、頭を下げた瀬馬洲さんはゆっくりと扉を閉め始めたのだが最後の最後、僕の気のせいかもしれないが彼はこう呟いたようだった。


「どうかお嬢様を幻滅しないでください……」


 真っ青な扉はそれ以上の追求は許さないとばかりに、ガチャリと大きな音とともに閉められた……。

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雨真宮会長は今日も僕で《充電》する 七天八地 @sichitenn

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