忘れられなくなった日
ホウボウ
始まり? なのかな
「ね、今日って四年に一度しかないって知ってる?」
雨に濡れた傘。ばさりと露を払った彼女はくるくるとそれをまとめる。
「何の話?」
「うるう年の話」
「ああ、なるほど。そういうことね」
カレンダーなんて滅多に見ない僕。今年がうるう年なんて全く知らなかった。知っていたからと言って別に、どうってことないんだけど。
「不思議だよねー。一年が一日増えるなんて」
「便宜上そうしているだけで――」
「そーいうのはいいの! べつにそういうのが聞きたいわけじゃないから!」
「あー。分かった分かった」
今、めんどくさいって思ったでしょ、と。そう言わんばかりの視線から目を逸しながら僕は玄関の鍵を閉めた。
「鍋食べない?」と――突発的な鍋の誘いが来たのは昼の三時にやっと起きた僕が惰眠を貪っていた昼頃の話だった。昨日からサークルの合宿があったはずだが、世界的に流行した新型ウイルスのおかげで中止に。友人も少なく、アウトドアな趣味もない僕はなにかやるわけでもなく――録り溜めたアニメの録画を朝まで見てそのままコタツで寝落ちする生活を繰り返していた。
当然、食生活にもその堕落生活の影響は及び、レトルトやカップ麺、できあいの惣菜やテイクアウトといった悲惨な状態になっていた。
そんな僕に来た幼馴染からの天啓。手作りの温かみに飢えた僕は即座に「じゃあ湯豆腐で」と返信していた。
「あんたさぁ、『鍋食べない?』って訊いてなんで湯豆腐って言うかなぁ……」
「いや、湯豆腐も鍋だろ」
「鍋じゃないでしょ……」
野菜の下ごしらえをすべて任せて、一人コタツに潜り込む。家を出る前に電源を切ったせいか、ほんのりとした温かさしか感じられない。
「大体、いつも『食材が余っちゃうからー!』ってさ。もう少し考えて買い物したらどうなの」
「うるさいわね……」
まあ、そのおかげで美味しい料理を食べることができているのでそこについては感謝しているが。
「とりあえず野菜は全部切ったしそっち持っていくね」
「あいよー」
* * *
「いやぁ、食った食った」
「ほんとにねー。持ってきた分ほぼ食べきっちゃった」
料理を滅多にしないのに何故かうちに置いてあるカセットコンロ。今日のために準備されていたのか、と思いつつそいつの火を落とす。
「片付けは任せてくれ」
「じゃあ任せた」
んー、と背伸びをしてそのまま寝転ぶ彼女。視線の先にあるテレビからはサバンナで過ごす動物たちとその環境の過酷さが伝わってくる。水の冷たさがしみて痛ささえ感じる。でも、考え事をするにはちょうどよかった。
「あのさ」
言葉が出てこない。
「何?」
「いや、大事な話」
タオルで手を拭いて、コタツへと戻る。手が温まるまでが勝負だ。
「こうやってさ、いつもなんか作ってくれるじゃん」
「うん」
「嬉しいんだけどさ、その……」
「おせっかいって?」
「そうじゃなくて……」
うまく言葉が出ない。
「じゃあ何?」
「ずっと作って欲しいっていうか、うん。そうだな……これからもずっと僕に飯を作って欲しいんだけど――そうじゃなくて――」
「私はあんたの飯炊き婆さんじゃないんだけど」
「…………」
「結婚してほしい」
「――は?」
二〇二〇年二月二十九日。うるう年のその日。何を思ったのか僕は幼馴染に求婚した。それをプロポーズというのか、告白というのかは分からないけど――二人にとって忘れられない四年に一度の記念日になった。
忘れられなくなった日 ホウボウ @closecombat
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