第五十四話:爆弾と長官室
唐突にレーシュネが壁に埋め込まれた回転取手を引く。そこには多種多様なスイッチやら豆電球が配されており、彼はその中の赤色のボタンを全力で叩きつけるようにして押した。
それと同時に耳をつんざくようなサイレンが聞こえてきた。行政庁中に響き渡って反響している。レーシュネはデスクに戻って受話器を取りながら、こちらに振り返って手を伸ばした。
「非常用サイレンを発報した。これから災害対策本部に連絡して避難の誘導を行う。君たちはここに残っていてくれ」
「何故です?」
「こんな事もあろうかと執務室は防爆仕様のセーフルームになっている。むやみに逃げるよりもここに居たほうがいい」
「さすが、長官の執務室だけあってしっかりしてるぜ」
タールが感心した様子で言いながら頬を掻いた。シアも残ることに反論は無いようだったが、俺は一つだけ心配になっていることがあった。
「おい、リーナはどうなる?」
「アラームや避難誘導で彼女も逃げるでしょう」
「だが俺は絶対に動くなと言ってしまった。もし、律儀に言いつけを守っていたらどうする?」
爆発に巻き込まれて、リーナが無残な姿で発見されれば自分はこれからどうしようもなくなるだろう。脳裏に村の惨劇が想起される。
「俺は彼女が爆破に巻き込まれるのを指を咥えて待っているつもりはない。行ってくる」
「おい、アレン! 待っ――」
タールが引き止めるのも聞かずに執務室のドアを開け、飛び出す。受付の方まで全力疾走すると出入り口が人だかりで溢れていた。
「一体、避難誘導は何をしてるんだ……」
ぼやきながらもリーナの姿を探すと言った通りに椅子に座っている彼女の姿が見えた。彼女はうつむいて瘧に罹ったように震えながらもそこから動かないように頑張っている。
「リーナ、無事か?」
「アレン……!」
リーナは俺の姿を認めるとすぐに立ち上がって俺に抱きついてきた。ふわりと甘い香りが漂う。服の上から彼女の温かさを感じることができて安心した。俺は彼女の頭を撫でてやる。すると頬を赤らめながらも彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「よしよし……ここから脱出するぞ。リーナ、もう少し頑張れるか?」
「うん、アレンが居るなら」
「ああ、脱出できればこれからずっと一緒だ」
我ながらクサい台詞を吐きながら、出入り口のほうを見る。未だに人だかりが収まる様子はない。落ち着いてよく観察してみると人が出ようと押しかけているわけではないようだった。ガラスを叩いているような音と共に「出せ」「ここから出せ」とパニック状態になった職員たちの叫び声が聞こえてくる。出入り口はガラス張りであり、自動ドアだ。故障しただろうか?
ふと、目の端に防火斧があるのに気づいた。腕っぷしに掛けてはからっきし自信がないが、これなら脱出出来るのではないだろうか? 壁に備え付けられた防火斧を乱暴に引き抜いて、群衆に離れるように何度も呼びかけた。パニックになっている職員たちは俺の怒号で目を覚ましたようだった。すぐに俺とその後に付いてくるリーナの通る道を開け、その意図を汲んでガラス窓から離れる。
安全を確認し、俺は防火斧を振るった。
「おりゃっ!」
だが、ガラスはびくともしない。傷一つ付かないのは奇妙だったが、何度も斧を振り下ろした。しかし、全く割れる気配はなかった。
全力疾走と斧を振り下ろしたことで大分体力が削れていた。息も絶え絶えの状況の俺をリーナは心配そうに見上げてくる。ふと窓の外を見ると、そこには見覚えのある人影が顔に嗜虐的な微笑を湛えて立っていた。
「レシェール大臣……! 何故そこに突っ立っているんですか。このガラスをどうにかしてくださいよ!!」
「君か、つくづくうるさい人だな」
「……はい?」
「そのガラスは防爆・防弾仕様だ。ちょっとやそっとじゃ破れないよ」
「見殺しにするつもりですか⁉」
「ああ、我々は居留区に爆弾があるのは知っていた。だが個数が合わなかったのだよ。最後の一つがここにあるということを理解できるまで我々は動くことが出来なかった」
「そんな、まさか」
「そうだよ、君は泳がされてたんだ。おかげで連邦人協力者が混ざってるのは行政庁内だって分かったんだよ」
「ならもういいでしょう! ここから出して、一人づつ素性を調べればいい」
「そうはいかない。ここを破壊すれば混乱状態のうちに犯人は逃げ出すだろう。なら、いっそ全員まとめて蒸し焼きにしたほうがいい。喜べ、国家の安寧のための尊い犠牲だよ」
「大臣!」
スーツ姿の彼女は背を向け、ガラスから離れてゆく。そして、呟いた。
「お疲れ様。そしてさようなら、言語調査官君」
「くそっ……!」
職員たちのパニックは再発していた。人混みが再び押し寄せてくる中をリーナの手首をしっかり掴みながら押し退けて進んでゆく。
何か……何か、他にも方法があるはずだ。
必死に生き残る方法を考えているとリーナが手首を引いてきた。
「どうした、リーナ?」
「タールとシアはどこ?」
「あの二人ならレーシュネ長官と一緒に執務室に居る。すまないが、ちょっと今は話し掛けないでくれるか?」
「しつむしつ、は爆発があると傷つかない?」
「リーナ……あそこは防爆仕様のセーフルームで爆発が起こっても無事に……待てよ」
水色の瞳が見つめる前で俺は生き残れそうなアイデアを一つ思いつくことが出来た。
「爆弾を見た人は居るのか?」
「爆弾かどうかは分からないがボイラー室に不審物があったってのは聞いたが」
「ボイラー室はどっちだ」
「あっちだが……まさか、行くのか?」
「一か八か、被害を最小限にできるかもしれない」
俺は情報をくれた男を突き放すようにして離してから、ボイラー室の方向まで全力疾走する。確かにボイラー室の札が掛かった部屋が指差した方に存在した。
開けると中の暗がりにチャックの開いたスポーツバッグが置かれていた。中から覗くのはむき出しの配線と時間を刻む
「おいおい……分かりやすいな……」
ここで爆破すればボイラーを通して行政庁全体にダメージが行き渡る。わかりやすかろうが職員はチャックを閉められた状態のスポーツバッグを誰かの忘れ物か何かだと思うだろう。陰湿で巧妙だと思った。それでもって奴らは楽に人を殺せる。
俺はスポーツバッグを持ち上げて、レーシュネの執務室に走り込んだ。残された時間はあと数分しか無い。脚の筋肉が悲鳴を上げているが気にしてられない。あっちこっちに動き回る俺をリーナは祈るように手を合わせて心配そうに見つめていた。執務室のドアを殴りつけるように叩くとゆっくりと開いていく。ドアを開いたのはシア、その背後にタールが居る。レーシュネは怪訝そうにこちらを見つめていた。
「執務室から今すぐ出るんだ!」
「一体どういう風の吹き回しだ。執務室から出れば爆破に巻き込まれて皆死ぬぞ」
「爆弾ならここにあります」
スポーツバッグの中身を見せると三人とも驚きながら身を引いた。
「どうするつもりなんだ、そんなもの持ってきて」
「この執務室は防爆仕様なんですよね?」
「あ、ああ、そうは言ったが……」
レーシュネは疑問の表情を浮かべる。俺の質問の意図が分からないようだ。
「この爆弾を執務室内で爆破させれば外に被害は出ないはずです。あと……一分しかない! 皆、早く出てくるんだ」
「し、しかし」
「いずれにしろ、爆発すれば自分だけ生き残っても皆死ぬ。迷ってる場合かよ!?」
「長官、私はヴィライヤ先生が正しいかと」
「レーシュネ長官、あんたは代替品の一つじゃない。今は全てを決断できる立場にいる人間だ」
「……わかった」
そそくさと三人は執務室から出てくる。俺は部屋に爆弾を投げ込み、防爆扉を閉めた。最後に見えた数字によれば爆発までは残り数秒しか残されていない。
「皆、出来るだけ執務室から離れろ!」
言った瞬間に自分もリーナを抱きしめて物陰に隠れる。タールやシア、レーシュネは無事に隠れただろうか? しかも、他にも爆弾があれば自分たちは無事では済まない。様々な心配が頭の中を渦巻いていたがそれは強い衝撃と共に打ち消された。立っていられないほどの横揺れと共に電気系統がダウンし、周りが見えなくなる。
だが、俺とリーナは怪我一つすることはなかった。どうやら爆発は防爆室の中に収まったらしい。
「大丈夫……だったのか……」
それから暫く経っても他の爆弾が爆発する気配はまったくなかった。それが示すことは俺達が無事生還できたということであった。
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