第四十九話:試された者たち
銀髪の一本結びがマントの背後に収まっている。全身が黒服の姿は一見シェルケンとは区別しづらいが、その褐色の肌が異邦の民であることを示していた。彼女は呆れと敵意が混じったような視線をこちらに向けていた。その瞳の色はオブシディアンブラックだ。今更だが、リーナのそれとは大分違う。
「お生憎様、そうはいかないんだよ」
タールが拳銃を構える。その銃口は黒服少女の体に向けられていた。引き金を引けば、弾丸が過たず彼女を撃ち抜くだろう。しかし、彼女はそんなことはお構いなしにこちらを観察するように静かに視線を巡らせていた。
「ラッビヤ人の少女は捨ててきたのかな」
「捨てるなんてありえない。ここは危険だから、茂みの中に隠れさせたんだよ」
「そうか、まあ大切な奴隷だからな」
「奴隷だと?」
いやに攻撃的な答えを聞いて頭に血が上ってしまう。リーナのことを奴隷呼ばわりにするとは。
黒服少女はそんな俺に嘆息して言葉を継いだ。
「ラッビヤ人はいつもそうだ。皇帝の権威、シェルケン、“連邦”……そうやって上からの圧力で自由に暮らすことを虐げられてきた。彼女も同じなんだろう?」
「違う、リーナはキャンプで酷い扱いを受けていたのを助けて――」
「ブツィニルなんだろう?」
黒服少女は言い当ててみせようとばかりに言葉を重ねる。実際、その言葉には聞き覚えがあった。「リーナはブツィニル」、名前の最後に付いたブツィニル、その言葉に怯えるリーナ、何かの烙印か。訊くのは当分の間避けようとしていたことだ。
「ブツィニルを知っているのか?」
「知ってるも何も、奴隷だよ」
「まだ、彼女を奴隷だというのか」
「ラッビヤの成人式を通過できなかった人間は村で奴隷とされる。そういう掟だ」
「そんなの……狂ってるじゃないか」
俺の言葉に呼応するように黒服の少女は小声で笑い始めた。まるで上手いコメディアンのショーを見ているかのように腹を抱えて笑う。タールと目配せするも何が可笑しいのか全く理解できなかった。
ややあって、彼女はこちらに向き直った。
「狂ってる? 何が?」
「奴隷制度なんて、あんないたいけな少女に可哀想なことをさせる制度なんて狂ってる。止めさせるべきだ」
「そうやって我々の文化を奪って、上から“正しさ”を押し付けてきたのが汝らの本当の姿だよ」
「……っ!」
「止めさせるにしても一人だけ救って満足している汝は大間違いの偽善者だよ。“連邦”はラッビヤとの約束を反故にした。……これは話し過ぎたか。ともかく、我は汝らより崇高な使命を負っている」
バチン、と音がした。背後を見るとシアが手元にスパークを生じさせていた。不快そうな表情の彼女は灰色の瞳を黒服の少女に向けている。
「さっきから、言わせておけば勝手なことばかり。貴方達だって、シェルケンのやり方やラッビヤのやり方をこちらに押し付けてるじゃないですか」
「ふん、何を」
「全てを一気に変えることなんて不可能です。リーナさんを救うことは色々なことを少しづつ前進させていくスタートラインでしかない。我々言語翻訳庁の職務とはそういった小さいことを積み重ねて、大きな結果に繋げることなんです。貴方はそれが分かっていない」
黒服の少女のほうも表情に不快さを顕にしていく。
「なんでも良いけど、これから汝らはどうするつもり? 私がシェルケンの奴らを呼べば汝らは簡単に捕まえられちゃうけど」
「俺達は、ラッビヤ人を征服して生活や文化を押し付けようだなんて考えてはいない。そう考えているのはシェルケンの方だ」
「ふむ……」
俺は手元にあった「
「これは知らなかったね」
「シェルケンの中に居たのにか?」
「
「ファヒャン?」
「
彼女は誇らしげに胸を張って言う。だか、資料を横目に彼女はまた硬い表情に戻った。
「将来裏切られるのだとしてもシェルケンに与するのか?」
「さあね、だけどラッビヤの独立を邪魔する者は誰であろうと破滅させる」
「……なるほど」
俺がそう答えると暫く静寂が資料庫を覆った。タールは一言も口を出せず、シアは既に臨戦態勢となっている。交渉の余地は無いと思っていたが、それは少女の一言でひっくり返ってしまった。
「良いだろう」
彼女はいきなり資料庫の出入り口に背を向ける。タールが拍子抜けした表情で銃口を下げる。
「二階の倉庫に
「見逃すということか?」
「ああ」
彼女は適当に頷き返してその場を去ってゆく。俺達三人はただただ彼女の背中を見つめることしか出来ない。一体どういう風の吹き回しなのか。疑問に思っても呼び止めて訊くことも出来ない。
「
彼女が廊下の曲がり角に差し掛かった時、その小さな呟きだけが俺の耳に入ってきたのであった。
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