第三十四話:離散の始まり
レーシュネが先程まで居たテーブルに戻ってみるとそこにはリーナが座っていた。総務省大臣――レシェール・ヴァルトルと言っただろうか――と一緒に何かを話している。何だか嫌な予感がして早足になってしまう。最初に俺の姿に気づいたのはレシェールのほうであった。
高官らしいスーツ姿の女性だ。胸元には総務省のロゴバッジを付けている。銀髪のショートヘアが淡い照明を反射して独特の光沢を示す。蒼い眼がこちらを認めた。
「ああ、君か。レーシュネさんはどうしたんだい?」
「急用で行政庁に戻るそうです」
「急用?」
「内容は良く分からないんですが……」
レシェールは思案するような顔をしていた。先程まで歓談していた人物がいきなり消えたのだ。訝しむのも無理はない。しかし、何の用だったのかは本当に全く分からなかった。
記憶を確認していると、レシェールはこちらをいきなり指差してきた。耳元のイアリングが照明を反射して煌めく。
「そういえば君は誰なんだい? レーシュネさんと結構仲が良かったようだけど」
「いえ、ただのしがない言語調査官ですよ。フィールドワークには許可が必要で、面会することが多かっただけです」
「そうかい、もっと特別な関係かと思ったんだけど。つまんないな」
「えっ?」
「いや、なんでもない。こっちの話」
レシェールは忘れるようにと手を振っていた。リーナは不思議そうに彼女を見上げていたがやっとこちらに気がついたのか、俺の姿を見るなり席から立って俺の背後に隠れてしまった。レシェールは驚くことなく落ち着いた様子で興味深そうにリーナの方へ視線を向ける。
「彼女は興味深いね。肌が褐色だからリーナスタン系の子なのかな?」
「あぁ、えーっと」
「奥さんはリーナスタン系の人ってところかい?」
そんな言葉もあったなと思った。リーナスタン系民族というのはユフィシャール人やタウニラウィッリー人、ミルデネジヤッド人などの総称でリパラオネ民族に属するが総じて肌が褐色であり、ラネーメ民族に属するバート人の文化圏に強い影響を受けている。
事情を知らない大臣ならそう考えるのは至って普通だ。だが俺は首を横に振って答えた。
「少し複雑な事情で……」
「なるほどねえ」
レシェールは手元の飲み物を一口飲んだ。どうやらそれ以上追及はしてこないようだった。
「それにしても奇妙なことを言っててね」
「奇妙なことですか?」
「“この集まりはいつ獲物を分けるのか”とか“早く分けないと獲物が逃げる”とか」
「あ……」
「それで獲物って何なのかって聞いたら、食べ物っていうし狩猟採集民なのかな」
彼女は冗談で言ったようだが、多分それは間違っていない。だが、正解だとは口が裂けても言えなかった。リーナは本来ここに居てはいけない存在なのだ。それが大臣のような本土キャリアに知られれば、即座にキャンプに戻すよう命令が下されることだろう。
現状を再認識し、疑問符を頭の上に浮かべてそうな表情のレシェールを前に戦慄した。身体が瘧に掛かったように震える。
「ん……? どうかしたかい、寒いなら上着を貸すけど」
「い、いえ、大丈夫です」
「ふーん、そうかい」
レシェールは依然リーナに興味津々の様子だった。ラッビヤの集会観がどうなっているのかというのは確かに興味深いことだったが、いつまでもここに居るとボロが出るだろう。この場を逃れなければ大変なことになりかねない。そう思い、そそくさとシアを探し始めたところでレシェールの声が掛かった。
「ねえ、その子さ――ラッビヤ人じゃない?」
「っ!?」
見抜かれていた。言語調査官ごときの狼狽などお見通しというわけか、レシェールはリーナを手で指してそういったのだった。
「み、見間違いじゃないんですか……?」
「明らかにラッビヤ語を呟いていたけど、どこまで押し通せるのかな。その下手な嘘」
「……」
レシェールの口調は完全に変わっていた。俺は息を呑む。一体何処まで情報が伝わっていて、どこまでが伝わっていないのか。それが全く分からない。言語特務局、
息を呑む。緊張で首筋に脂汗が滲む。今すぐにでもここを出て行きたかった。
「もし、そうだったらどうするんです?」
「ラッビヤ人による連邦人連続強盗殺人事件を知っているね?」
「まあ……はい」
「難民キャンプはフェンスも高く、警備も厳重だ。ラッビヤ人だけで出入り出来るような場所ではない。だから、容易に繰り返し事件が起こるということは連邦人の協力者が居たということになる」
「リ、リーナは強盗なんかじゃ――」
「君の背後には彼女以外にもラッビヤ人が居るんだろう?」
簡単には言い逃れさせてはくれないらしい。彼女は嘲るような顔でこちらを見ている。先程までのさっぱりとした印象は完全に消え去っていた。出てくる二文字は明確に古い印象を塗り替える。「策士」、それが彼女の新しい印象だった。
俺の背後に隠れていたリーナは背中にしがみついてきた。異常事態が肌で理解できたのだろう。
「
「れ、連邦軍による誤爆かと思います……」
「正解。でも、奇妙に思わなかったかい? なんでわざわざ危険な場所に自ら出向いて調査なんかしたのか」
「それは……調査官の
「ふっ、この期に及んでファンタジーなことを言うね。君、おもしろいよ。気に入った。でも、不正解だ」
レシェールはくすっと笑ってから、また飲み物を口にした。
「調査官なら長官くらいには挨拶をする。そうしたら居留区外の状況なんてすぐに分かるはずだ。空爆の計画なんて遅くても三日前には長官の耳に入る。余計なことさえしなければ、彼は死ななかったんだよ」
「どういうことですか」
「言ったでしょ? 余計なことをしたんだよ」
それ以上の説明はしてくれないようだ。しかし、大体理解できた。
ラッビヤ人を連れて逃げた調査官を連邦軍に空爆させたのだろう。総務省は特別警察も管轄下に入れているので手回しは簡単だったに違いない。
連邦軍は潜伏しているラッビヤ人に対する空爆だと思っているし、長官も不思議に思わないはずだ。“連邦”政府がやりそうなことではあるがこんな身近に不条理が起こっているとは思わなかった。
静かにレシェールはこちらの様子を観察している。嗜虐的な笑みは獲物が逃げられないと確証している証だった。俺は拳を握り込んだ。
「人でなしめ」
「どうとでも言ってくれ。
「明確に犯人でない以上は殺すべきじゃなかった……!」
「逃げなければそうしたんだけどね。ただ、私は責任ある立場なんだよ、アレン・ヴィライヤ調査官。裏切り者を見つけ、やるべき時に殺ることを命ずる役目なんだ」
ファイクレオネの近代法学理論を作り上げてきた偉大な法学者――レシェール・ヴェンタフが聞けば卒倒するような発言だった。彼女にしてみれば調査官の一人や二人、塵芥の価値だと捉えているのだろう。だからこそ国家の邪魔になれば簡単に殺せる。このパーティーも彼女が強盗殺人事件の犯人と繋がっている連邦人協力者を洗い出すためのものに過ぎなかったのだろう。
俺は後退りした。この女とは話し合いでは解決が不可能だ。そう直感的に感じ取ったからだった。レシェールは俺達を追おうとはしなかった。
「逃げられないよ」
彼女はただそう呟くだけだった。
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