異世界から日本へ戻るだけなのに「知り合い」が多すぎて疲れます
沢菜千野
ご挨拶に伺いました
「やっと終わった……」
疲労の隠せない声音が、ゆっくりと空気へ 溶けていく。夕暮れ時、ようやく来訪者が途絶えた広間は、先ほどまでの喧騒がまるで嘘のように静まり返った。
「セシリア、今日も手伝ってくれてありがとう。お陰で何とか乗り切れたよ」
「お安いご用ですよ、ニーナ様! あのとき結んだ契約通り、四年に一度の帰国のためなんですから」
ニーナは斜め後ろに立つセシリアに、労いの言葉をかけつつ、額に浮かんだ汗を、コットンのハンカチで拭う。
背中まで伸びた黒髪を横に払うと、大きく息を吐き出した。
「日本に帰ったら、髪切ろうかなあ。女王の正装のときは暑くて仕方ないよ」
「いけませんニーナ様! その綺麗な髪を切るなんて許しませんよ! ちまっこい身長に艶やかな髪のコントラストがイイんですから!」
そう息を荒くするのは、女王側近のセシリアである。桃紅色のサイドテールが特徴の女の子だ。
小さなニーナとそれよりも子どもっぽい見た目のセシリアは、ミニミニコンビで国政を担っていた。
「ちまっこい言うな」
「ニーナ様はダイガクセイのときから見た目変わってないですからね。仕方がないですよ」
「そういうセシリアは、一体見た目何歳なのよ……」
数年前、ニーナはセシリアと、とある契約を交わした。女王になる代わりに、たまにでもいいので日本に帰りたい、と。
滅びかけた国を建て直すのは、それはそれは苦労の連続であった。その間に根回し、もとい知り合った人間の数も計り知れない。
そんなしょうもない会話を繰り広げていると 、不意に広間の扉が開いた。続いて、一人の女性が室内へ入ってくる。
「ニーナ様、カンタールベリーより、ルイス伯爵が訪ねてきています。お通ししてもよろしいですか?」
「ありがとう。ええ。お通しして」
先ほどの女性はニーナに一礼すると、急ぎ足で部屋を後にした。
再び二人だけになった室内で、ニーナはセシリアに耳打ちをする。
「帰国の謁見も、もう二回目のことなのに、全然慣れないや。日本に戻れるのは嬉しいけど、やっぱりこの仕事は嫌いだなあ」
「何を仰いますか。女王様が長期間、国を離れることを大々的にお伝えすることで、王家への忠誠心の弱いもの、反乱を企むものを炙り出す意味も兼ねてるのですからね。大切なんですよ、こういうことも」
「えっ! それは初耳なんだけど」
ニーナは目を丸くして、セシリアに向き直った。
ニーナのそんな様子に、セシリアはふふっと笑みを浮かべる。
「全く。セシリアってば本当にずるいんだから」
ニーナがぼやくと同時に、再び広間の扉が開く。先ほどの女性の影から小太りの男性が現れた。
胸を張り、大股で進む様は、実に堂々としている。
思わずニーナは心の中で、さすが貴族様! と溢した。
「これはこれは女王様! お目にかかれて光栄です。私、カンタールベリーより参りました、ルイスでございます」
「ルイス伯爵、遠路からご足労いただき、ありがとうございます」
そう言って、ニーナは玉座から立ち上がった。差し出された手を握り返し、固い握手をする。
「噂通り、女王様とは思えないほど、下々にもご丁寧なのですね」
「下々だなんて! とんでもありません。生まれたときから貴族の方々への敬意は、私のようなものにとっては当然ですよ」
「良い心がけかと」
「いえいえ」
「王家の血筋でない平民が一体全体、どうやって王宮に滑り込んだのか、今でも不思議でなりません」
「本当に、どうしてでしょうね」
ニーナのそれは、心の底から不思議そうであり、嫌味のつもりで放ったルイスも少し困惑した表情を見せた。
「さて、女王様へのご挨拶はそれだけでしょうか。女王様も色々と準備でお忙しい状況ですので、おしまいでしたらお引き取りくださいませ」
「なっ……」
セシリアは平静を装ってはいるが、ルイスの言葉に心穏やかではないのだろう。後ろを見なくても、口調からそれがわかる。
ニーナにとっては、余計なトラブルは避けたいところなので、それこそそういう態度で話されると心穏やかとはいかないのだが。
「女王様、旅には危険が伴いますので、くれぐれもご注意を。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「ありがとうございます。おみやげを楽しみにしていてくださいね」
「では、失礼致します」
ルイスは一礼すると、ずかずかと歩みだし、部屋を後にした。
扉が閉まったのを確認して、ニーナは玉座へへなへなと座り込んだ。
「疲れたー」
「ニーナ様は威厳が無さすぎですよ。見た目通り過ぎて、完全に国内の貴族から舐められてますよ」
「んー、ただの大学生だった私には荷が重いよ。セシリアが女王になってくれたらよかったのに」
「それじゃ意味が無かったんですよ。外部の方の力がなければ、どうしようもない状態だったのですから。私だけでは何も……」
そう言って、セシリアは黙り込んでしまった。
何か言おうとしては諦め、口を開いては閉じを繰り返す。
「じゃあさ!」
ニーナは立ち上がって、セシリアと向かい合う。小さな手をとって、紅い目をじっと見つめた。
「な、何ですか」
「ね、セシリア。一緒に日本に来てみない?」
「いけません。私まで国を離れたら、一体誰がその間の公務を行うのです」
「大丈夫だよ。信頼できる知り合いもいっぱいできたんだよ。さっきのルイス伯爵みたいに敵意を向けない、優しい人たちが」
「ですが……」
きょろきょろと、セシリアの視線が揺れ動く。行きたい気持ちと責任感とで、揺らいでいるのだろうか。
きっと、セシリアは全てを我慢して育ってきたのかな。数年を一緒に過ごし、そんな風に感じる場面をたくさん見てきた。
だからこそ。
「こっちで女王をやれって言われて、始めは嫌だったけど、今ではセシリアには感謝してるんだよ?」
「へ?」
「皆と離れちゃうし、皆には忘れられちゃうし、全部一からになっちゃうしさ。でも、お陰で、日本にいたらできなかった経験もしてきたし、出会えた人もいる。だから、ごめんなんて言わないで」
「茜……」
「その名前で読んでくれるの、久しぶりだね」
懐かしい名前。
泣き出してしまったセシリアを抱き締めながら、ニーナは思い出す。
四年に一度だけ、日本にいた頃の名前を使うときがくる。
忘れていても、そのときがくれば自然と甦ってくるもの。
セシリアの頭を撫でながら、ニーナは語りかける。
「でも、茜っていうのは、セシリアでいう苗字の部分だから、セシリアを日本に連れていったら二人とも茜になっちゃうね」
「茜だから。茜じゃなきゃいけなかったんだよ? スカーレット王家に入るのは」
「えっ、何かそれじゃあダジャレみたいだよ」
「じゃあ、そういうことにしておいて!」
「なんか、元気出てきたんじゃない?」
「そんな気がする」
「よしっ! なら、今回の帰国旅は、二人旅で決定ね!」
「でも……」
「まだそんなこと言ってる! 四年は長いんだよ! 後悔しても知らないよ?」
「楽しい場所も美味しいものも、いっぱい頼んだからね?」
「りょーかい」
区切りがあるから頑張れる。長すぎず、短すぎず、ちょうど良い時間。
四年に一度。
ニーナは新鍋茜となり、日本に戻る。
そしてまた、ニーナ・スカーレットとして、次の四年間を過ごすこととなる。
「さて、明日も謁見の予定いっぱいだし、早くご飯食べて寝よう」
「かしこまりました、ニーナ様。では、夕食のご準備が整うまで、自室にてしばらくお待ちくださいませ」
「セシリアの日本名、考えとくね!」
「よ、よろしくお願い致します」
前回よりも楽しくなりそう。
ニーナは上機嫌で、謁見の間を後にするのであった。
異世界から日本へ戻るだけなのに「知り合い」が多すぎて疲れます 沢菜千野 @nozawana_C15
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