第281話

 「…………」

 この時間が、こんな時間だけが、永遠に続けば良いのに。

 俺はリミアの頭を撫でながら、そんな事を考えていた。

 

 『……さ、そろそろ良いですか?』

 考えていただけだ。

 それが実現しない事は分かっている。


 『それは、貴方に、それを実現されるだけの力がないからです』


 『あぁ……』

 分かってる。

 いつかお前も、世界も捻じ伏せて、全て俺の都合の良い様に、捻じ曲げてやる。


 俺はリミアを撫でる手を止めると、シェイクの方へと振り返った。


 「…………」


 そこに映るのは、これだけ待たされ続けたと言うのに、不満を感じさせない所か、期待に満ち溢れた、彼の姿。


 彼が俺達に危害を加えようとしているとは考え難いが。


 もう一人の俺……。この際、片割れとして、サイドと呼ぼう。

 そのサイドに、頭を弄られている以上、俺に対する何かしらの”試練”が埋め込まれている可能性がある。


 「シェイク。お前の娘は、近くで薬草を摘んでいるぞ。なんでも、村への土産にするそうだ」

 シェイクと話す傍ら、彼に気づかれない様、糸を繋いだ俺。


 「……!!そうでしたか……!しかし、あのミルが、皆に土産を……。それも薬草まで目利きできる様になっているとは……。精霊様。ありがとうございます」


 地面へと膝を突き、恭しく、胸の前で手を組んだ彼は、心から感謝している様で。

 それは、糸を通しても、しっかりと伝わって来た。


 「……心配ではないのか?」

 俺は、彼の、その、落ち着いた態度に苛立ちを覚え、要らぬ言葉を吐いてしまう。


 「勿論心配ですとも……。しかし、今も、精霊様は別の目で、娘をお見守り下さっているのでしょう?」


 「それは、そうだが……」

 そうだが、そうじゃない。

 大切な娘を……。


 「ありがとうざいます」

 そう言って、深く頭を下げるシェイク。


 ……。

 …………。

 あぁ、もう良い。頭の中を覗いてしまおう。

 どうせ、そうする気だったのだから。


 俺は、意識を切り替えると、すぐにその頭の中を探って行く。


 (俺から離れた後の記憶……っと、この辺りか?)


 「ヴゥ……」

 俺は思わず、現実世界で痛む頭を押さえた。

 感覚がリンクして、吐き気すら込み上げて来る。


 「私は……。私はなんて事を……」

 そう言う彼の視界には何も映っていなかった。

 正確には映っていたのだろうが、脳がそれを記憶していなかった。

 それ程までに、彼は追い詰められていたのである。


 「娘を置いて、精霊様にまで歯向かって……。殺される。いや、殺してくれ!もう、終わりにしてくれっ……!!」

 その言葉を、実際に彼がそれを口に出していたのかすら、定かではない。


 その時点で、もう、彼の心は完全に折れていた。

 俺が敵わない様な奴から、自力で娘を取り返す等、不可能だと。

 自身が担いできた女性の様に、娘も抜け殻にされてしまうのだと。

 

 ……あぁ、分かった。彼は悲観的な人間なのだ。


 悲観が過ぎて、勝手に全てを諦め。

 自身を、"大切な存在を守る為"なんて、甘い嘘で騙しながら、その行く末を考える事もせず、娘を過酷な現実から遠ざけていた様に。


 娘が俺に連れていかれそうになった時も。

 全てを諦め、力による抵抗や、知略をめぐらす様な事すらせず、俺に声を掛けられるまで、呆然と立ち尽くしていた様に。


 ……しかし、そんな彼も、育て方はどうあれ、本当に大切に思っていた娘を餌に、俺に、どうせ、後が無いのだからと、図星を突かれ、煽られては、奮い立たざるを得なかった様だ。


 それが、彼が、俺を信仰する切っ掛けになったらしい。


 そして、今回、娘を失ったショックを、その信仰で埋め合わせた。


 俺は、絶対的な存在で、負けるはずが無いと。

 娘を助けて戻って来てくれると。


 そして、今までの恩も合わせ、いつも救いの手を差し伸べてくれる俺の為にも、自身は働く事に専念して、帰りを待とうと。


 そのツケが、これと言う訳だ。

 

 「クッ……」

 頭が痛い。気持ち悪い。

 理解は出来た。もう十分だ。


 そのボロボロの心に信仰と言う名の糸を通して。

 無理矢理に形を保っている彼と言う存在は見るに堪えなかった。

 

 「ルリ……。記憶、見てる?」

 苦しんでいた俺を見て察したのか、心配そうに、リミアが声を掛けて来る。


 「あぁ……。ちょっとな」

 俺は痛む頭を押さえながらも、余裕を見せる為に笑顔で答えた。


 「……私、頭の中、覗くべきだと言った。……でも、ルリ、苦しいなら、止めて欲しい」

 

 リミアは顔を伏せながら「ごめん」と言うと、そのまま俺に抱き着いて来る。


 その"ごめん"は、軽率な発言をしてしまった謝罪なのか。

 はたまた、効率的かつ、確実な方法を、自身の我儘で、止めて欲しいと、要求している事なのか。


 「……あぁ、そうだな……。実は、参った事に、俺、他人の頭を覗くのが、得意じゃないんだよな」

 そんな彼女の不安そうな姿を目の前にした俺は焦ってしまい、苦笑しながらも、正直な気持ちを伝える。

 

 すると、それを聞いたリミアが何かを思い付いたかの様に、顔を上げた。


 「……ルリが苦手なら、私が」

 「それはダメだ」

 その威圧的になってしまった声に、リミアが少し怯んでしまった。

 何を隠そう、出した本人が、驚いているのだから、無理は無い。


 「わ、悪い……。でも、それだけは、止めて欲しいんだ」

 

 「……何で?私、役に立ちたい」

 一呼吸置いたリミアは、先程怯んだ事等、感じさせない程、鋭い視線で、問い返してきた。


 「そ、それは……」

 危険だから。仲間内で暮らして行く上では、使わせたくない能力だから。何より、俺の記憶を読まれたら……。


 『お前が大切だから』

 頭の中に、囁き声が響いて来る。


 「お前が大切だからだよ!」


 「大切?」


 「あ、あぁ……。お前だって、俺が苦しんでいる姿を見たくないだろ?俺だって、同じだ。それに、魔力に触れた事のあるお前なら分かるだろう?人の記憶に触れるリスクが」


 「…………」

 口元に手を当て考え始めるリミア。

 俺は、内心冷や汗をかきつつ、答えを待った。


 「……分かった」

 長考の末、そう答えを出してくれたリミアに安堵する。


 「でも、リルも無理はしないで」

 と、無防備な俺を、すがるような彼女の一言が貫いた。


 絶対にするなとは言って来ない。

 そこに、彼女なりの葛藤と言うか……。配慮の様な、大人びた物を感じて。

 少なくとも、我儘を押し通そうとしている俺よりも、ずっと……。


 「あぁ……」

 俺は再び、リミアの頭に手を伸ばす。


 「ん……」

 彼女は自然と目を閉じて、俺の手を受け入れてくれた。

 

 こんな俺を。我儘な俺を。……救えなかった、俺を。


 (成長したな……)

 俺もしなければ。

 

 二度と、誰も失わぬように。

 この幸せを壊さぬように。


 その為なら……。

 

 ……兎にも角にも、まずは、この交易を終わらせ、ミルの件にも決着を付けなければならない。


 その後は、ダンジョンに再び潜って……力を付け、食料や資材を集めつつ、クロノの痕跡を探そう。


 ……当面、忙しくなりそうだ。

 まぁ、最強を目指すなら当たり前か。


 だから、ミルが村に着くまでの待ち時間。

 この貴重でいて、ゆったりとした時間。

 俺はそれを噛み締める様にして、皆と笑いながら過ごした。

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