第279話

 「私、森を抜けるの初めて……」


 「多分、ここにいる皆、初めてなんじゃないッスか?……あぁ、人間さんと飛行部隊の皆さんはそうじゃないみたいッスけど」


 そう言われ、人間の方に視線を向けると、彼の足は、先程までに比べて、遅くなっていた。


 疲れたのだろうか……?

 しかし、そんな雰囲気でもない。


 私を含めた全員、森と言う慣れた土地を抜ける事。

 未知どころか、人間と言う十分脅威になり得る存在のテリトリーに入る事。

 その全てに抵抗感があり、緊張もしている。


 しかし、彼の場合はその逆だろうし……。

 別に原因がある事は明白だ。


 何か問題があったのだろうか?

 或いは現在進行形で存在している?


 彼は貴重な情報源であり、交渉の要でもある。

 事前に打ち合わせはしてあったが、念の為、糸を使って、声を掛けて置く事にした。


 『人間。大丈夫?』


 『あ……。はい、問題ありません。お気遣い頂き、ありがとうございます』

 彼は私の声を聴くと、一瞬だけこちらを向き、小さく会釈した。


 彼なりに、自身の置かれている現在の地位を理解し、私達との距離感を保っているのだろう。


 『ん……。気遣うのは当然。今回の交渉、貴方が要。失敗されては困る。問題があるなら話して……。これは命令』


 『……貴方方は、怖い様で、皆、お優しいですね……』

 皆に気取られない為か、前を向いたまま、突然、そんな事を言い出す人間。

 舐められているのなら、ここで一言、強く言って置くべきなのだろうが……。


 『ん……。そんな事は無い。私は、最善だと思う事をしているだけ』

 私は、移動の暇つぶしついでに、少し様子を見る事にした。


 『最善……ですか。そうですね……。私の娘に対する教育は、最善では無かったのかもしれません……』


 親の視点か……。

 私は、少し興味が湧いた。


 『それで……?』


 『それで、と言われると、困ってしまうのですが……。少々、甘やかし過ぎたのかもしれません……』

 そう言う彼ではあったが、そこからは後悔を感じると言うより、気恥ずかしさの様な物を感じた。


 『……貴方は何故……。大切にしていた娘が消えて、今も消息が分からないと言うのに、そうも平然としていられる?』

 最初はその事で落ち込んでいるのかと思ったが、そうでないとなると、理解できていたと思った彼が、途端に分からなくなった。


 分からなくなった彼が、不気味に思え、少し怖くなる。

 潰しておかなければいけない、不確定要素に思えてくる。


 人間は怖い。

 人間の記憶を持つ私だからこそ、それは誰よりも理解しているつもりだった。


 『何故と言われましても……。リミア様もそうでは無いのですか?』


 『……?』


 『貴方も、大切なお父様を、今もこうやって、取り乱しもせず、待っていられるでは無いですか』


 『それは……』

 そう言えばそうだ。

 初めの内は、動揺して居たはずなのに。

 皆がルリの帰りを信じて疑わず、日常を送っている姿を見て、段々と、そんな事、気にしなくなっていた。


 勿論、ルリの事を忘れていた訳では無い。

 現に、ルリを救出する為に、今もこうして動いている訳だし、救出後も、問題なく暮らせるように、拠点の整備も続けている。

 私自身、ルリが帰って来る事を、自然と信じてきってしまっていたのである。


 信じる、信じると言っていた時は、あれ程不安だったのに……。


 案外、人間は、本当に信じているモノに対して、一々、信じるという言葉を使わないのかもしれない。

 信じているモノは、そうある事が当然で、聞かれない限り、言葉に出す事は愚か、考える事すらもしないのだから。


 あ…………。


 『私はただ、妻にその事を、どう話せばよいかと……』

 彼の話声が少し遠くに聞こえる。


 ”また”ルリが帰って来る事が、死なない事が当然だと思ってしまっていた自分に気が付いてしまったからだ。


 それは当然じゃないはずのに。

 当然だと思った結果、起こってしまった悲劇に、一度は死ぬ程、後悔したはずなのに。


 …………。

 だからと言って、今まで通り、取り乱す事が最適解でない事ぐらい、理解できた。

 理解できてしまった。

 

 それ程に、今の私は冷静なのである。

 まだ、ルリが帰って来る事を信じて疑っていないのである。


 ……いや。誤魔化すのは止めよう。

 ルリを殺してしまったあの日。

 あの絶望を思い出したと同時に、ルリが居なくなった後の、何も変わらないとはいかないまでも、皆で紡ぐ日常が、平穏な生活が私を繋ぎ止めたのである。

 

 私はその可能性を。

 ルリのいない日常を。

 起きてしまうかも知れない最悪の未来を、心の片隅であろうとも、容認したのだ。


 ッ…………。

 それはとても認められる話ではなく。

 しかし、納得してしまった。


 こうあるべきだと思う自分と、現実を受け入れている自分。

 それは相容れない。

 相容れないが……。


 今の私には……。昔もそうだったのかもしれないが、ついて来てくれる仲間がいる。頼りにしてくれる皆がいる。


 そして、何より、私にとって皆は、以前の私が思っていた以上に、大切な存在だった。

 それに気付いてしまったからには、もう、以前の様に、皆を見捨てて、身勝手な行動は出来ない。


 ルリを助けられるという確証がない限り。

 私の遺志を継いでくれる人がいない限り、この身を無暗に危険に晒す事は、もう出来ない。


 (もし……。もし、ルリが帰って来なかったら……)

 それは考えるのも辛い事だ。


 ……でも、考えなければいけない。

 皆を束ねる者として。

 皆を守り、導く者として。


 ……ルリがいようと、いなかろうと、冬は来る。

 だから、拠点を整備するのは正解。


 そして、道具や知識も必要になって来る。

 人間と共存するという意味でも、この取引も正解。


 (ん……?今の行動が最適解?)

 私は今までそんな事、考えても見なかったが。

 無意識に、これ程うまくモノを運べているとは思えない。

 

 そして、今までの提案は、基本的に全てウサギの提案通りだ。


 (ウサギは常にルリが居なくなった後の事も考えている……?)

 

 「皆さん~。村人に会うときは、疲れた素振りを見せたらダメっスからね~……。なんせ、ボク達は精霊様に仕える最強の、森の戦士達なんスから~……」


 事前の設定を口に出しながら、ふらふらと前を歩くウサギ。

 そのままにして置いたら、どこか遠くへ消えて行ってしまいそうで……。


 「……ウサギ。一旦、休憩する」

 

 「え……?あぁ……、そうっスね。疲れたなら休めばいいんッスよね……。

 いやぁ、気が付かなかったッス。皆さんもいるのに、気も使えねぇで申し訳無いッスね……」

 そう言ったウサギは、ふらついた足取りで、木に背を預けに行くと、そのまま崩れ落ちる様にして、座り込んだ。

 

 それを見た皆も、思い思いに休憩を取り始める。


 …………。

 そんな中、私はひっそりとウサギを観察していた。


 本当に彼は、休憩を忘れていたのだろうか。

 まぁ、ウサギ個人で休憩を忘れると言う事は良くあり、ルリに事ある毎に注意されてはいたが。

 でも、皆に常に気を配る彼が、皆を巻き込んで、休憩を忘れるなんて……。

 

 「あいつ、大人すぎるからな。多分、周りに気を使えなくなる程、自分が追い込まれてる事に気付いてねぇんだ」

 今まで全く気配など無かったのに、急に耳元で聞こえる声。


 しかし、そんな状態であっても、その声の音色には、全く警戒心など湧かず……。


 「久々に会っての開口一番。嫌と言う程、愛を伝えられている相手に対して、別の相手の話をするのは、どうかと思う」

 私が愚痴を垂らしながら、振り向けば、そこにはやはり、何事も無かったかのように立つ、彼の姿があって……。


 「いいだろ、別に、相手はウサギなんだし……」

 彼はそう言うが、少しは悪く思っているのか、バツが悪そうに眼を逸らす。

 その、怒こられて拗ねるような仕草は可愛らしくて……。


 「フフフッ……。おかえり、ルリ」


 「お、おう……。ただいま。リミア」


 私を驚かしに来たであろう彼は少し腑に落ちない様な、照れくさそうな顔をして、頭を掻く。


 何事も無いような風景。

 何事も無かったかのようなやり取り。


 こうして彼は、また私達に安心と言う名の、不滅の幻想を植え付けて行くのだ。

 ……実に憎たらしい。


 「ヴァゥ?!」

 「ワゥッ?!」

 「キシャ?!」

 そして、異変に気が付いた面々が、次々と起き上がって来る。


 「うるさいっスよ……。なんかあった……って、えぇ?!ご主人?!」

 最後にこちらを確認したウサギは、勢いよく飛びあがり。


 「よぉ。元気、してたか?」

 片手を上げて、気軽な挨拶をするルリを見て。


 「もう……。勘弁して欲しいッス……」

 再びその場にへたり込んだ。

 

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