第273話

 「消える……、か」

 実際には、意識の深層に潜り込んだだけだが、時間と共に、彼女と言う存在が薄れ、いずれ消えて行く事も事実だろう。


 勿論、それは俺の望んでいた結果では無かったが……。

 彼女が納得して、それを選ぶなら仕方が無い。


 俺は木の上から伸ばし、繋いでいた糸を静かに、糸を引き戻した。


 俺が用意した、"彼ら"にも、彼女の記憶は読み取れるはずなので、シェイクさんたち相手でも、上手く立ち回ってくれるだろう。


 『そして、村には、生贄に捧げられたはずの少女が、死者の魂を引き連れ、舞い戻り、貴方は更なる信仰を得るのです……』

 何の前触れもなく、舞い戻って来た耳障りな声。


 「どうしたんだ?クリア」

 俺はそれを無視して、先程から、俺の背後をついて来ていた、クリアに声を掛ける。


 「す、すごい……。なんで分かったんですか?」

 相当、尾行に自信があったのか、彼女は驚いた声を上げると、物陰から姿を現して、こちらに近づいて来る気配がした。 


 「あぁ……。どうやら、俺は相手の発する魔力が検知できるようになったみたいでな……。あの洞窟で、自分の身と、あいつを守る為に、常に相手の気配を気にしてたら、こうなった」


 俺は、外に出たことを喜ぶ、ミル?の様子を観察しつつ話す。


 「成程……。流石はパパです!」

 理解する事を諦めたのか、はたまた本当に理解したのか、何はともあれ、嬉しそうな声を上げて、距離を詰めた俺の背中に飛びついて来るクリア。


 「あ。パパ。こいつ、理解してないんじゃないか?見たいな事、考えてませんよね?」


 ……?

 なんで分かった?

 心を読まれた気配はしなかったが……。


 「……もう、初めてこっちを見てくれました」

 振り返った俺の肩に、膨れっ面を乗せていたクリア。


 「いや、洞窟から出た時、一瞬そっちに視線はやっただろ?」

 出入り口の監視役だったのか、洞窟を抜けてすぐ、辺りの木々の間から、オオカミ達と、クリアの気配を感じ、安堵したのは、しっかりと覚えている。


 「そんなんじゃダメです!!こっちからしたら、たまたま、こっちを見ただけで、気付いてるかどうかすら分からなかったじゃないですか!!」

 ポカポカと可愛いこぶしを振り下ろしてくるが、内心、本気で怒っている事は、ひしひしと伝わって来る。


 「い、いや、待て……。でも、切羽詰まってるような気配はしなかったし……」

 「でも!」


 俺の咄嗟の言い訳を遮る様に、声を上げるクリア。

 その気迫に押され、俺は口を止める。


 「でも、いつものパパなら、一直線に、こっちに来てくれるって、思ったんです……」


 潤んだ声に、俺は心臓を掴まれた様で……。

 その一言に、彼女が今まで耐えて来た不安や、恐怖が詰まっていたような気がした。


 (そうか……。そうだった。今までの俺なら、クリアの気配を感じた時点で飛び出していったはずだ。

 飛び出して行って、再会を喜んで、皆の無事を確認したはずだ。

 それを俺は……)


 「……悪かった」

 俯いた彼女の表情は見えないが。

 俺は静かにその頭を撫でる。

 

 俺の何気ない行動。

 今までの俺であれば、間違いなく行っていたであろう行動。

 それをしなかった事で、これ程までに、彼女を不安にさせてしまった。


 ……俺も、彼の様に、変質してしまったのだろうか?


 俺自身、こんなに自分の変化に不安を感じてしまうのは、彼の問題を、何処か他人事に考えていたからだろう。

 自分は変わらないと、心の底では思っていたのだ。


 ……そうだ。今だって、ミルが消える事を、彼女が納得した事なら、仕方が無いと、受け止めかけていた。


 仕方が無い訳、無いじゃないか。

 そんなのは俺じゃない。そんなのは俺じゃ……。


 「……パパ?」

 クリアの困惑したような、苦しそうな声で、現実に意識を引き戻された俺。


 「あ……。悪い」

 彼女を強く抱きしめ過ぎていた事に気が付くと、ゆっくりと抱擁を解いた。


 「私は……大丈夫ですけど……」

 お前は大丈夫なのかと、言いた気に呟く彼女。


 先程までは、あんなに素直な感情をぶつけて来てくれたのに……。

 今ではそれを隠して、俺に気を遣ってくれている。

 彼女に心配をかけ、我慢させている……。

 

 その事実が、また一つ、俺の心に重くのしかかった。

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