第269話

 『何で、今頃になって出て来たんだ……?俺が、"良い具合"になって来たからか?』


 俺に言わせれば、具合が悪くなって来たとしか言い様が無いのだが。

 疑問と共に、彼女の呟いた言葉を、嫌悪を込めて、そのまま返して見せる。


 『まぁ、それもありますが……。何より、見ていたでしょう?私が、彼に捨てられるのを。見つかれば、また追い出されてしまうかも知れないので』


 『…………』

 となると、今までの状態であれば、彼女は、俺所か、彼ですら欺ける程の、精神操作に対する技量を持ち合わせている訳で……。

 到底、俺なんかが敵う相手では無かったと言う訳だ。


 『いえ、真っ向勝負では私でも、彼には勝てません。

 ただ、"向こう側の世界"に自身の存在を飛ばせると言う、私なりの特権を使って、存在自体をこの世界から消していただけです。

 ……まぁ、その特権の存在も、彼には知られているので、彼が"正常"であれば、初めから勝ち目など、無かったのですが』


 『……つまりは、それだけ、奴の存在が危ういと言う事か?』


 『えぇ、あまり些事には気を配れない程度には……』

 自身の事を、彼にとっての些事だと語る彼女は、何処か寂し気に感じた。


 妹に殺された事も、他人事の様に語っていた彼女から、そんな、到底、人間らしい感情が伺えるとは思っていなかった俺は、正直、面食らう。


 『……兎にも角にも、そんな彼の存在が、このダンジョンから消え去りました』

 空気を切り替えた彼女は、いつも通りの、淡々とした口調で話し始める。


 『消え去った……?』

 彼女が今まで表に出てこなかった理由は分かったが。

 彼は何処へ行ったんだ?何で消えたんだ?何か不慮の事態でも起きたのか?

 

 『分かりません……。が、予想は付きます。多分、逃げましたね』


 『逃げたって、何から……』


 『それは、勿論、貴方達からでしょう。彼は正気を失って、"家族"を傷付けてしまう事が怖くて怖くて仕方がなかったのですよ。

 その内に、それを怖がる理由すら、分からなくなるのでは無いかと、いつも怯えていました』


 『……そうか』

 それ以上の言葉は出なかった。

 どう言えば良いのか分からなかった。


 『……それに、此処から彼が居なくなった原因は、何も逃げ出したかったから、だけではないでしょう。それなりの言い訳無しに逃げられる程、彼の覚悟は甘くないですから』

 彼女が気を利かせてくれたのかは分からないが、話題を変えてくれたことに、内心、安堵する。


 『……その言い訳って、なんなんだ?』

 

 『そうですね……。彼の目的は、魔力濃度を低くする事です。……貴方は、この世界の魔力の中に、別世界の"想い"が混ざっている事に気が付いていますよね?』


 『あぁ……』

 それは、俺も不思議に思った。

 ……まさか、別世界から、思い残しが流れ込んで来ているのか?


 『はい。なので、彼は、それを止める方法を探しに出たのだと思います。

 加えて、他にも、各地を見て回る事で、魔力濃度を低く保てる方法を見つけ出せるのでは無いか。等とも、考えていそうですね』


 『それが、言い訳……?』

 十分な理由に思えるが。


 『そんなもの。ここに居ても、それこそ、こんな洞窟に籠っていないで、彼の望む、皆と共に暮らしながらでも、できるかも知れないでは無いですか。

 それを、挑戦もせずに、逃げ出したのですから、言い訳と言わずして、何と言えば良いのですか?』


 『それは……』

 彼の、皆を傷つける可能性に対する恐怖は良く分かる。

 なんせ、どれだけ変わろうと、彼の元は俺自身なのだから。


 しかし、彼を擁護する言葉は浮かんでこなかった。

 勿論、何かあってからでは遅い。と反論をする事は出来るが、俺自身、彼に、リスクを負ってでも、それに、挑戦して欲しかったと、思ってしまったからだ。


 ……でも、彼の想いを考えれば、そんなもの、唯の我儘だ。

 勝手に、一人で見切りをつけて、逃げ出した彼も、我儘だ。


 『そして、いつの時代も、最後には強者の我儘が通るものです』

 『……ッ!!』

 瞬間、体の自由が利かなくなる。


 『フフフッ。貴方、油断しすぎですよ?言ったじゃないですか、私は貴方を利用しに来たと。

 ……まぁ、お陰で、順調に、かつ、順当に貴方の体の指揮系統を奪えた訳ですが』

 嬉しそうに笑う彼女。

 俺は、その真意はおろか、状況すら掴めず、混乱する。


 『大丈夫です。落ち着いてください。このような状況にも慣れ、取り乱さず、もしも、実際に、別の場面で、このような状態に陥ったとしても、虎視眈々と、チャンスを伺えるようになる事。それも"強さ"です。勿論、このような状況に陥らない様立ち回るのも、"強さ"ですがね』


 『落ち着け、だと?!お前は、俺の体で何をする気なんだ!!』


 『別に大した事はしませんよ……。私は、ただ、貴方に強くなって欲しいだけなのです。

 貴方も、強くなりたいでしょう?強くなって、皆を守り抜きたいでしょう?』

 

 演技染みたそれは、とても本心とは思えなかった。


 『それに、"彼"が居なくなった今、貴方のお仲間達が、この洞窟へ、実力もわきまえず、無理な進行を行えば、どうなるかは、目に見えていますよね?』


 『!!』

 確かに、彼女の言う通りだ。今まで、俺がある程度の余裕が持てていたのも、彼と言う存在があったからに過ぎない。


 彼が無責任に、何の策も無く消えると言う事は考えにくいが、正気を失いかければ、恐怖して逃げ出す可能性もある。

 何より、彼が見守って居るのと居ないのとでは、俺が感じる危機感に、大きな差があった。


 『さ、まずは、彼女の教育の仕方から教えてあげますね……。大丈夫。追い詰められた今の貴方なら、簡単に出来る事です。私、教育も上手なんですよ?昔、実験の一環で行っていましたから……』


 懐いていた妹が、刃を向ける程の実験。

 詳細については、知りたくも無かった。


 『大丈夫です。ゆっくり、少しずつ、強くなって行きましょう?』

 そう囁く彼女の声は、妖艶で、残忍で。


 聞いてはいけないと分かっていても、皆の安全には代えられなかった。

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