第256話

 「ッ……!」

 開いた窓の戸から、冷たい風が吹き込んで来る。

 地上では、火と、障害物でそれ程でもなかったが、やはり、風通しの良い木の上空気は冷えるようだった。


 このままにして置いては、ルリ様の疲れた体に障りそうだ。

 かと言って、完全に締め切ってしまえば、ルリ様が一人目覚めた時、状況が分からず、混乱してしまうだろう。


 私は、外の喧騒と、明かりが漏れて来る様に、少しだけ隙間を開け、戸を閉じる。


 その内に、クリア様達も支度を済ませたのか、身長以外、いつも通りの姿へと戻っていた。


 「それでは、行きましょうか」

 私はエスコートする様に、先を歩き扉を開くと、二人を待つ。

 すると、様子見をする様に立ち止っていたクリア様を横目に、優雅な歩き方で、リミア様が歩み寄って来る。


 「……ありがと。コグモ」

 擦れ違いざま、リミア様が小さく呟いた。

 

 いつも通りの無表情。

 でも、気持ちはしっかりと籠っている様に感じる。


 あぁ、リミア様だ。

 その仕草を、声を聴いた時、初めて、リミア様が帰って来た実感が湧いて来た。

 先程までは、何ともなかったはずなのに、その一瞬で、涙が溢れ出しそうになり、頭を下げる。


 「……でも」

 そんな私の心を知ってか知らずか。

 私の前で立ち止ったリミア様は、視線を進行方向に向けたまま、立ち止り、呟いた。


 「ルリは渡さないから」

 はっきりとした声に、顔を上げれば、その視線は、しっかりと私の目を貫いた。

 そこにはもう、尻尾を巻いて、自身と言う存在ごと逃げ出した、彼女の姿は無い。 


 (お強くなられたのですね。リミア様……)

 それならば、私も泣いている場合ではない。


 「承知しました。その宣戦布告。謹んで御受け致しましょう」

 私は、緩んだ涙腺を引き締め、しっかりとリミア様の瞳を見つめ返す。


 「ん……」

 リミア様は、私の答えに小さく頷くと、再び前を向いて歩み始めた。


 私は、その姿を見届けると、部屋の中で固まっていたクリア様へ視線を向ける。


 「わ、私も負けないですからね!」

 私と視線の合ったクリア様は、思い出したかの様に、そう叫ぶと、リミア様の後を追う様に駆けて行く。

 

 その二人の距離感は、遠い様で近く、反発し合う様で有りながら、互いの手を握り合っている様な……。

 ルリ様は、リミア様の事を、クリア様の姉のような存在だと語っていた。


 (これが、姉妹と言う物なのでしょうか……)

 私にも兄弟姉妹は居たが、食い合うだけの存在だったが為に、その関係性は良く分からない。


 しかし、大人しく、寡黙なリミア様を、元気で、活発なクリア様が追いかける構図は、不思議としっくりきて……。自然と頬が綻んでしまう。


 そんな二人と争う事になってしまった。

 争うと言う事は、敗者がいると言う事。

 そんな当たり前の事実が、チクリと私の胸を刺した。


 あれだけ、大見えを切って答えたと言うのに、情けない話である。

 いや、切らされたと言うべきか。


 もし、ルリ様をリミア様達に譲る様な事をすれば、絶対に二人から怒られるだろう。

 それに、私自身、いくら二人の為とは言え、それをルリ様が望まない限り、身を引く気はない。


 皆、欲しい物は一つ。誰かが手に入れれば誰かが失う。

 全員でハッピーエンドなんて、そんな都合の良い結末……。


 と、そこで、私の頭の中に、ウサギさんの姿が浮かんだ。

 彼の頭の中身は、常に都合が良く、ハッピーで、ある意味終わっている。


 認めたくは無いが、そんなウサギさんなら、私達が思いもつかない様な方法で事態を収拾してくれるかもしれないと言う、一抹の期待があった。


 「……まぁ、聞くだけならタダですしね」

 彼を頼るには少し癪だが、私のくだらないプライドが可能性の対価なら、安い物である。


 そうと決まれば行動有るのみだ。

 それに、皆をいつまでも待たせるわけにもいかない。


 ウサギさんには、宴会の席で、それとなく、悩んでいる事も気付かせない様に、それとなく話を聞いてみよう。


 私は、部屋を出る前に、改めて、暗闇の中、一人、死んだように眠るルリ様を見る。

 ウサギさんに対して、こんな下らない意地を張れるのも、

 誰一人掛ける事無く、皆が集まり、宴を開けるのも、全ては彼の御陰だ。

 

 本当に無茶ばかりして……。頑張り屋さんである。


 私は二人の姿が廊下にない事を確認すると、静かに彼に近づき、その、だらしなく乱れた前髪をかき上げ、額に口づけをした。


 「ふふふっ……。信頼を逆手にとって、人知れず悪い事をするのは、私の得意分野ですからね……」

 彼の、あどけない寝顔を見ながら、一人笑う私。


 (ずっと、こんな日々が続けば良いのですけれどね……)

 と、そろそろ私も下に降りなければ、流石に先を行った二人に怪しまれてしまう。


 「それでは、ごゆっくりと……」

 私はルリ様に小さく声を掛けると、扉を閉め、彼が守り抜いた、皆が集まる広場へと足を向けた。

 

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