第253話

 「……お姉ちゃんのバカ……」

 包まった布団の中。私の呟きは、反響する事も無く、吸収され、消えて行く。


 お姉ちゃんは。リミアは、私と同じ存在なはずなのに。

 こうやって、パパの帰りを待つ事が正しいはずなのに。


 私は、私から抜け出すリミアを、全力で止められなかった。


 彼女の思いが、痛い程、伝わって来て……。

 それを、私も理解できてしまったから。

 確かに、その時、私も、その行為が正しいと感じてしまったから。


 でも、冷静になればなる程、やはり、それは正しくない事が分かる。

 だって、死んでしまっては元も子もないのだから。


 もし、パパが無事に帰って来たとしても、リミアが帰って来なかったら、私はどんな顔をして、パパと会えば良いと言うのか。


 「自分の事ばっか……」

 パパ達の気持ちを考えないリミアも、自分の身を守る事しか考えていない、私も。


 「ん。ま、それで良いんじゃないか?別に」

 布団が沈みこむ感覚と共に、聞き覚えのある、今、一番聞きたかった、そして、聞きたくなかった声が、私の耳に届いた。


 本当は、今すぐにでも飛び出していきたいはずなのに、私の体は縮こまってしまう。


 「パパ?」

 私は布団を被ったまま、恐る恐る声を掛ける。

 リミアの件が、後ろめたかったからだ。


 「あぁ。部屋の扉を叩いても反応が無かったからな……。勝手に入らせてもらったぞ」


 「別に、良い……」

 そんな事を気にする方がおかしい。

 そもそも、ここはリミアとパパの部屋なのだから。

 

 そう、異端は私なのだ。

 本来、生まれる筈では無かった私。

 二人が、不幸な行き違いをしたからこそ、生まれてしまった私。


 あの場面で出て行くべきだったのは、リミアではなく、不幸の象徴である私だったのだ。


 パパは今でも、私に、リミアの影を重ねる事がある。

 どちらが求められているのかなんて、明白だった。


 パパはリミアの件を知っているのだろうか?

 ウサギさんには何も言っていないが、察しの良い、あの人なら、気付いているかもしれない。


 (もし、気付かれてたら……。もしかしたらパパにも報告が行っているかも……)

 それに、コグモさんが戻って、この事を知ったら、絶対に私を許さないだろう。

 コグモさんの恩人はリミアであって、私じゃない。

 コグモさんに嫌われて、パパにも嫌われたら、もう、ここに私の居場所は無いだろう。


 それに何より、パパに私を否定される事が怖かった。

 あの笑顔が、優しさが、二度と私に向けられないと思うと、消えてしまいたくなる程に、胸が苦しくなる。


 いくら忘れようとしても、常に私の頭の片隅には、優しいパパを壊しかける程の、不幸の副産物だと言う自覚が付き纏う。

 リミアも、パパの愛する人を食い殺して生まれてしまった事に、ずっと負い目を感じていた。


 パパは私にとっての全てなのだ。

 パパがいるから生きて行ける。

 こんな私でも、私達でも、パパが肯定してくれるから、存在できる。


 (嫌……。嫌われたくない。拒絶されたくない。捨てられたくないっ……!)


 奇しくも、それは、リミアが記憶を分離した時に、感じていた感情と似通っていて……。

 そこで初めて、私は、あの時のお姉ちゃんに共感できた気がした。


 (やだ……。こんな気持ち、嫌だよぉ……。

 これが、散々お姉ちゃんを馬鹿にしてきた罪だと言うなら、いくらでも謝ります!

 だから、どうか、私を……。私の存在を許して……)

 

 結局、願うのは私の事ばかり。

 それでも、そうして居ないと、私の心は治まらなかった。


 ……どれだけ、そうして居ただろうか。


 「ッ!!」

 突然、包まる布団越し、私の肩に、パパの手が触れた。


 「…………」

 パパはビクついた私から、驚いたように一瞬、手を退すも、再び、確かめる様に、優しく、手を乗せ直してきた。


 「…………」

 少し、迷うような間の後。

 トン、トン、トンと、指先の動きだけで、ゆっくりと私の肩を叩き始めるパパ。

 しかし、その動きはぎこちない物で、やはり、まだ、どうするべきか悩んでいる様だった。


 「…………」

 でも、それだけで分かる。

 パパは何とか私を安心させようとしてくれているのだ。


 私を心配してくれている。

 こんな、自分勝手な私を。


 「……パパ。あのね?」

 私の声に反応して、パパの手の動きが一瞬止まる。


 「なんだ?」

 しかし、それは、本当に一瞬の事で、パパが返事を返す頃には、再び、心地の良いリズムを刻みだしていた。


 「私ね……。私の中に、リミアが居たの……」

 震える声を振り絞って告白する私。


 「そうか……」

 静かに返事をするパパ。 

 せかす気は無い様で、ゆっくりと私の言葉を待ってくれている。


 ……だから、私もちゃんと話さないといけない。


 「でも、リミア……。パパを探しに出て…行っちゃって……。グスッ……。私、それを本気で止められなくて……」

 怖い、辛い、悔しい。話せば話す程、思い出せば思い出す程に、色々な感情が私の中で渦巻き、ぐちゃぐちゃになる。


 「ダメっ。泣くのは私じゃないのに。泣いて良いのは私じゃないのにぃっ……」

 いくら拭っても、涙が溢れて来る。

 話したいはずなのに、話さなければいけないはずなのに、嗚咽がそれを許さない。

 自身では、もう、身も心も、表情の一つでさえ制御しきれなかった。


 「……なんで、クリアが泣いちゃ、駄目なんだ?」


 「だって、私はっ……!お姉ちゃんも、戻ってこないかも……」

 もう、自分でも何を言おうとして、何を言葉にできているのかすら分からない。


 「……リミアなら、ここにいるぞ?」

 パパは、優しい声から一転、呆けたような声で答えて来る。

 そして、私は、それが一瞬、理解できなかった。


 「………………え?」

 余りの衝撃に落ち着きを取り戻した私は、パパに再言を求める。


 「いや、だから、リミアなら、俺の背中の上にいるぞ?

 帰る途中、急に正気を失って、襲い掛かって来たもんだから、少し眠ってもらったが、外傷らしい外傷も無いしな。目を覚ませば、正気も取り戻しているはずだ」


 「あぁ…………」

 あぁ、良かった。

 良かったとしか言いようが無い。


 全身から力が抜けて行く。

 真っ白になった思考が、戻って来る。


 「…………」

 戻ってきた思考で、一番に何を考えるかと言えば、晒した醜態。この、行き場の無い感情。そして、その元凶。


 「それなら最初からそう言ってよ!パパのばかぁ!!」

 私は理屈抜きに、感情そのまま布団を跳ねのけ、パパに飛び掛かる。


 「え?!わ、悪かった!!」

 ベッドの縁に座ったパパは、私に攻撃されると思ったのか、顔を庇う様にして目を瞑った。


 「…………」

 私としても、理不尽に怒っている自覚はあるのに、異議を申し立てるでもなく謝るパパ。

 仕舞いには、突然立ち上がった娘に怯えて、縮こまる始末だ。

 こちらとしても、毒が抜け、またしても、感情が宙ぶらりんに。


 (そんなに怖がらなくても良いのに……)

 未だに顔を庇い、構えの姿勢を取るパパ。

 まぁ、十中八九、リミアと、コグモさんの影響なのだろうが。


 こんなに頼り無い存在が、あのコグモさんですら、避けていた森の中から、リミアを救い出して、無事、帰って来てくれた。


 そんな予想も出来ない事を、この、目の前で怯える存在は、何事も無かったかの様にやってのける。

 それどころか、帰ってきて一番、部屋で丸まっている私を慰めに来ているのだと言うのだから……。


 「……本当に、馬鹿」

 この人は、私達を悲しませない為なら、本当に何でもできてしまう気がする。

 絶対に守ってくれる気がする。

 例え、その身が滅びようとも、その為なら、全力で。


 「…………」

 私は、その無防備な膝へ顔を埋める。

 

 安心した。


 「…………?」

 パパが動いた感じがする。

 それですら、心地の良い感触に感じて……。


 「?!!!!」

 私の動きに、動揺しているのだろうか。

 慌てるパパの様子が、目に映るようで……。

 

 彼が、私を気にしてくれている。私の為に心を砕いてくれている。

 それは、良くない事のはずなのに、考えるだけで、心がふわふわして、温かくなる。

 振動が、感触が、存在が、彼の全てが私を安心させてくれる。


(一生、心配してろ。ばぁ~か……)

 彼に絆された私の意識は、彼の体温を通して、微睡みの深くへ沈んで行った。

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