第246話
ネットの傍でかがみ込むコグモに駆け寄る俺。
しかし、すぐ後ろまで近づいても、反応の無い彼女に、俺は戸惑う。
少なくとも、差し迫った脅威がある訳ではなさそうだ。
「……どうしたんだコグモ?」
コグモに背後から声を掛けつつ、覗き込むようにして、彼女が釘付けになっている、問題のネットへと視線を落とした。
「……なんだ?これ?」
ネットの下では、白くドロドロになった液体が在るばかり。
少なくとも、俺が対面した相手は、もっと、しっかりとした形状を保っていたはずだ。
「この、白い液体は、多分、私の粘着液です。
先程までは、硬質化成分濃度が高すぎて、軽石の様になっていましたので、私の溶解液で溶かしました」
コグモは、その液体に視線をやりながらも、俺の疑問に答えてくれる。
しかし、そうなると、次なる疑問が生まれてくる訳で……。
「この粘着液を持っているのは、私か、ウサギさんだけのはずです」
「ウサギだけ?……って、事は、こいつにウサギが襲われたって事か?!」
ウサギは無事なのだろうか。それに、他の皆は?
そう考えると、居ても立っても居られなくなる。
「落ち着いてください!」
拠点の方向さえ分かれば今にでも駆け出してしまいそうな俺を、コグモが威圧する。
「とりあえずこれを……」
彼女の声に怯んだ俺へ、何事も無かったかの様に、糸の塊を差し出して来きた。
よく見れば、その綺麗な手は、乾きかけた白い液体で汚れている。
(あの中から、これを集めたのか?でも、これって。俺の糸じゃ……?)
見覚えのあるその糸は、勿論、ネット由来の物では無い。
加えて、量も相当あるのか、手元にある分が全てではないらしく、まだ液体の中に、続いている。
「…………」
良く意図が掴めないが、差し出された物を受け取らない訳には行かない。
俺は黙って、その糸の塊に手を伸ばした。
「読めますか?」
「……読む?記憶をか?」
「はい」
少し真剣な表情で首を縦に振るコグモ。
そう言えば、彼女は感覚糸や筋糸は扱えても、記憶糸は難しいと言っていた。
(……言ってたんだっけ?いや、記憶で読んだのか?)
何故か、思い出そうとすると頭が痛くなり、上手く行かないが、事の真偽は大した問題では無いだろう。
「……念の為に言って置くが、最悪の場合、俺が乗っ取られるぞ?それでもやるか?」
「お願いします」
コグモは迷いなく答える。
その辺りも既に考慮済みだったのだろう。
(だから、こんなに真剣な表情をしていたのか……。
ま、コグモの言う事なら……、彼女自身を犠牲にする様な選択肢を除いて、俺は何でも協力するけどな)
彼女がそう提案すると言う事は、リスクとリターンが見合っていると言う事だ。
俺が信頼されている分、リスクが少ないと思われているなら嬉しいが、それでも、彼女の中では、俺を危険に晒す行為を低リスクとは捉えられないだろう。
(なんなんだろうな、この糸……)
コグモがそこまで気にする物。そして、俺とよく似た糸。
(クリア……。じゃないよな。それなら、いの一番にコグモが、本体を助け出しているはずだし……)
俺は手の中の糸と、自身の糸を絡めながら考える。
(いや、待て。まさか、クリアもこいつと戦ったのか?!)
クリアもウサギと共闘して……。それなら話の辻褄が合う。
それに、本来、武器として使わない、記憶の糸を飛ばすほどの激戦だ。
(いや、或いは、俺達がこいつを撃破した時の為に、クリアがメッセージとして残していったのか?)
そうであって欲しい。
逃げ延びていて欲しい。
「…………」
準備ができた俺は、コグモの目を見た。
対する彼女は、無言で頷き返してくる。
もしもの時の覚悟も、決めている様だった。
俺は不安を押し殺し、糸の中身に接続する。
『クイタイクイタイクイタイ』
『やっぱりな』
予想通りと言うべきか、記憶の糸は魔力に汚染されていた。
『オラ、掛かってこいよ』
この程度の魔力なら、もう慣れっこだ。
すぐさま浄化し切って、有用な情報を引き出してやる。
『ほら、”コレ”が欲しかったんだろ?』
魔力と言う名の記憶すら持たない欲望が、俺のぶら下げた幸福感に群がり、浄化されていく。
後は時間の問題だった。
『……あ』
ふと、そこで気がつく。
もはや、これは作業だ。
そこには不安も迷いも、崇高な精神すら存在しない。
この魔力達も、元を辿れば、誰かの、強い想い残しだと言うのに……。
しかし、慣れるとは、多分、そう言う事だ。
その内に、この作業同様、生き物を殺して食う事も、割り切って、自分を騙して、その内にそれが普通になって、慣れていくのだろう。
慣れて、何も考えず、行える様になってしまうのだろう。
『………』
俺は黙々と浄化を続けて行く。
少なくとも今は、想い残し達の安らかな眠りを祈って。
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