第245話
『……おい。もう大丈夫だぞ』
俺は、黒いのに、声を掛ける。
『嫌……。いやなの……。もう、あそこには、戻りたくない……』
かなりの量の魔力を放出したからか、明らかに疲弊している彼女。
もう、俺を体から弾き出す様な力は有しておらず、それでも、恐怖からか、未だに微量の魔力を放っていた。
きっと、新しく生まれた感覚に振り回されているのだろう。
リミアの時もそうだった。
強い恐怖や、それに付随する悲しみは、心を大きく進化させる起爆剤になるらしい。
……勿論、どちらとも狙ってやった訳では無いし、出来るなら、今回はもっと柔らかい方法で、ゆっくりと進化してもらいたかったのだが……。
まぁ。起きてしまった事は仕方が無い。
今はこの子が、これ以上怖がらない様に、落ち着かせてあげるのが大切だろう。
なんせ、リミアの時とは違って、今の俺は相手に想いを伝える事ができるのだから。
(……なぁんて、格好を付けた所で、俺にできる事なんて高が知れてるんだけどな)
『大丈夫だ。大丈夫。もう、敵は倒したからな』
俺は、俺の中にある、黒いのの意識を優しく包み込む様にして、語りかけて行く。
『嫌、嫌、嫌。また次がある、いつか、食われる。あそこに、戻る。……嫌』
拒絶の魔力が弱くなったおかげか、こちらの声は通る様になったらしい。
『大丈夫だ。次も、その次も、俺が守ってやる。なんせ、俺の体だからな。お前が、"嫌"って思うのと同じぐらいに、俺も、食われるのは嫌だ。
だから信じろ、お前の"嫌"って気持ちを。
お前が感じる"嫌"と、同じ"嫌"を感じて、全力で抵抗する俺を』
俺は感情をまだ良く理解していない相手に、感情論で語り掛ける。
気持ちさえあれば何でもできると、不可能なんてないと。
自身が、現実をまだ良く分かっていない子どもの頃、親がそうしてくれていたように。
『……本当?』
彼女が不安げに聞いて来る。
恐怖を知った彼女は、それから一歩遠ざかった不安も知ったようだ。
そして不安は、俺を信じられていないと言う証拠、信じたいと願っている根拠。
『あぁ、本当だ!俺は本気で俺を守る!だから、お前は何の心配もせずに、俺の中で、ついでに守られてろ!』
だから、俺は全力で騙す。
安心しろと、危険は無いと誑かす。
勿論、本気で抵抗した所で、敵わない場合もある。
でも、彼女にはそれが分からないのだ。
彼女が唯一分かるのは、自分の中に生まれた感情が、途轍もなく強大な存在だと言う事だけ。
俺は、その途轍もなく強大な力を信じろと言い、実際に危機を救って見せた。
だから彼女は俺の思惑通り『分かった……』と言って、騙されてくれる。
不安は捨てきれないようだが、もう、精神力の限界だったのだろう。
『……もう、疲れたろ?一回休め』
『疲れた……?これが疲れた?……頭、クラクラ……。嫌っ……。意識、が、なくなるっ……』
きっと、眠ってしまうのが怖いのだろう。
でも、眠気が出て来たと言う事は、安心してきているのかもしれない。
後もう一押しだ。
『大丈夫だ。安心しろ。疲れたら眠るもんだ。目が覚めたら、あの世界に戻ってるなんて事は無いさ。……それに、眠るのは気持ち良いぞ?』
俺は彼女を誘惑していく。
『気持ち良い?』
『あぁ。腹が一杯になるより気持ち良いかもな』
まぁ、それは人によりけりだが。
『…………』
(眠ったか?)
『……うっ……』
(まだか……)
それでも眠気に抵抗する彼女に、俺は頭を抱える。
このまま放って置いても良いのだが、あまり消耗させるのも可哀想だ。
『そうだ。じゃあ、約束しよう』
『……やく、そく?』
『そうだ。約束だ。もし、お前が眠って、また、あの世界で目を覚ますような事があれば、俺がまた助けに行ってやる』
『分かった。約束…………』
(……やっと寝たか……)
恐怖を知り、俺の言葉に不安を、不信を抱いていたので、信じて貰えないかと思ったが、やはり、あれは新しく生まれた感情に振り回されていただけ、或いは、唯の確認行為だったのかもしれない。
本当に、人を疑わない子だな。
ここまで素直だと、逆に心配になってしまう。
(まぁ、生きて行く以上、この世界が残酷だと言う事は、否が応でも、知る事になるだろうからな)
彼女はこれからも沢山の"嫌"を知る事になるだろう。
"嫌"を知れば、それを回避するよう頭を働かせるようになる。
その分、強く、しぶとく生き延びて行けるはずだ。
ただ、今はそれを知るべきタイミングでは無い。
一度に沢山の負荷をかけては、好きよりも多くの"嫌"を突き付けてしまっては、生きて行くのも嫌で、死ぬのも嫌で、雁字搦めになってしまう。
そんな、死んだように生きるのは、前世の俺と同じような思いをさせるのだけは、勘弁だ。
だから、ゆっくりと、大切に育てる。
勿論、俺の大切は、シェイクさん達とは違って……。
(ん?そう考えると、コグモに近いのかもしれないな……)
いや、そうなると、コグモの事を怒れなくなる気が……。
でも、緊急時とは言え、本人の意思を無視して、無理矢理と言うのは……。
それなら、クリア達が嫌がったら、教育を辞めるのか?嫌がるも何も、叱らなきゃいけない時もあるし、それはそれで違う気が……。
「ルリ様!!これを見てください!!」
教育論について頭を悩ませていた俺の耳に、焦った様なコグモの呼び声が届く。
「なんだ?!どうした?!」
俺はすぐに心のスイッチを入れ替えると、急いで樹上から飛び降り、落ちたネットの傍でしゃがみ込むコグモの元へ向かった。
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