第241話

 「そう言う痩せ我慢は止めろ。もう、体も心もボロボロだろ」

 彼女から一歩引いた俺は苦言を呈しながらも、やはり、彼女の策略通り、何処か安心してしまう。


 「いえ、痩せ我慢などではありませんよ?好きな人から求められると言うのは、これ程に心地の良い物なんですね……」

 一人、天を仰ぎながら、未だに夢見心地な表情を見せるコグモ。


 しかし、その空いた片手の噴出口から、溶解液を滲み出させ、糸を溶かしている辺り、もう、十分に正気だろう。


 「……ふん。俺はお前を求めた覚えなんてないけどな」

 俺は、コグモにペースを取られ、事態を有耶無耶にされない様、反抗する。


 「あらあら、ふふふっ。それじゃあ、ルリ様の糸を伝って感じたあれは、何だったんでしょうね?」

 悪戯っぽく笑ういながら、糸から抜け出してくるコグモ。糸が剥がれたおかげで、見えなかった部分が目に入り、余計に痛々しい。


 ……しかし、不覚にも、俺の心の声が漏れていたか、或いは、彼女が俺達と同じ糸を使いこなせるようになって来た事が原因か。

 後者が原因だった場合は面倒だな。


 「幻聴だ幻聴。誰が、こんな性格の悪い女を求めるもんか。あ~あ。まさか。こんな性悪女だったとはな~……。百年の恋も醒めたね」

 俺は彼女が調子に乗らないように牽制しつつ、怒っている事をアピールしていく。


 「ルリ様……。前よりも素直で、素直じゃなくなりましたね?口調もちょっと乱暴になって……。前に授業で習った反抗期って奴ですか?」


 「そんなんじゃ!!」と、そこで、彼女のニヤニヤした表情が目に入り、熱が冷める。

 完全に遊ばれていた。


 「あぁ、もう、それで良い……。だけどな、糸を通した以上、もう、お前は俺のモンだ。次、こんな事をしようとしたら、糸で自由を奪ってでも、一生、部屋の中に閉じ込めておくからな。覚悟して置け」


 それだけは本気だった。

 もう、彼女の気持ちや覚悟に惑わされる事は無い。


 コグモが命を懸けて、俺の価値観を壊そうとした様に。

 俺だって、コグモに嫌われようと、その命だけは守り抜く覚悟を固めた。

 もし、その時が来ても、俺は、もう、コグモの顔色を窺ったりはしない。


 「あらあら、それは怖いですね……」

 彼女はいつも通りの笑顔で、そう呟くが、その笑みの奥には鋭い物を感じる。

 要するに、そうなった時は、受けて立つぞ。と言う事らしい。


 体の全てを一瞬で支配できるはずなのに、それすらも覆してきそうな凄みを感じる。

 いや、コグモならやりかねないと言う、確証にも近い、予感がするのだ。


 「大丈夫だ。お前の方が、数倍は怖いぞ」

 俺は気圧されている事を勘付かれない様に、軽口を叩くが、これも、何処までコグモに通用しているかは分からない。


 「……それにな。お前が前に言っていた事だが、俺は何があっても、お前を助ける。だから、お前が……。お前達が、リスクを冒さない事が、俺にとっての、一番の安全なんだ」

 それは確かに、コグモが俺のコアを奪い取った時に言っていた事だった。


 「そうですか……。"お前達"ですか……。そこには、何処までが入るのですか?全てが全て、ルリ様の思い通りにはいきませんよ?」

 コグモは茶化す事なく、鋭い笑みで、的確な追撃を加えて来る。

 しかし、それを聞いて来る事は予想ができていたし、覚悟を決めた時点で、その答えは、俺の中でも、もう出ていた。

 

 「そうだな。少なくとも、俺の中での一番は、仲間達だ。もしもの事態があれば……。覚悟はしている」

 

 「何をですか?はっきりと言ってくれないと分からないです」

 ワザとらしく小首を傾げて追撃してくる彼女。


 「……人間を、あの村を襲って、食糧にするぐらいの覚悟はしている」

 はっきりと口に出してしまった以上、逃げ場はない。


 それを望んでいた彼女は、嬉しそうに微笑んだ。


 「それを聞いて安心しました。それなら、私も無茶な事はしません」

 その回答に安どできる程、俺はもう純粋じゃない。

 気を緩めずにコグモの瞳を見つめ続けていると、子供の成長を見守る母親の様に優しく笑った。


 「そんな視線で見つめられていては、この先の"もしも"話なんて必要ないですね。お互いに、誰一人として、そんな"もしも"が起こる事なんて、望んでいないでしょうし」


 最後に、満面の笑みで釘を刺してくるコグモ。

 これはお互いの命を懸けて、命を繋ぐための駆け引きだ。

 今の発言を違えるような事があれば、お互い、ただでは済まないだろう。

 

 「あぁ、そうだな」

 俺は彼女の言葉に賛同する。


 お互いの望みと覚悟は、お互いが痛い程、理解しているはずだ。

 なんせ、彼女の望みは、俺と一緒で、自身を犠牲にしてでも、仲間達に生き残って欲しいだけなのだから。


 だからこそ、ここに、これ以上の言葉は必要ない。


 今、俺がするべき事は、彼女を止める事では無いのだ。

 彼女がそのような行動を起こさずに済む様、俺自身が、物理的、或いは精神的な強さを身に着け、彼女に見せつけて行く事。

 それが、それだけが、お互いの我儘を通す方法だ。


 「…………」

 俺は覚悟を込めて、コグモの目を見る。

 それに、コグモはいつも通りの優しい笑みで返してきた。


 互いを守り合う覚悟のはずなのに、これっぽっちも、気が休まらない。

 それでいて、何処か充足感のある、心地の良い静寂……。


 『限界、早く行く』

 「ウグッ!!」

 なんて、澄ましていたら、完全に忘れていた衝撃が腹を襲う。


 やはり、柄にもない事なんて、するもんじゃない。

 見事に衝撃がクリーンヒットした俺は、腹を押さえたまま、動けなくなった。

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