第229話

 「……んっ」

 木々の間を駆けていると、私の背中で、ルリ様が苦しそうな声を上げ、動いた。


 「くっ……。ノイズが……。そろそろのはずなのですが……」

 私はズキズキと痛む頭を押さえつつ、目的地である、高い位置にある木の洞を見つける。


 「あ、ありました……」

 私は、朦朧とする意識で、洞の中の安全を確認すると、すぐさま、その中に転がり込み、出入り口を糸で塞いだ。


 「以前は、この辺り、問題無く、探索できたはずなんですけどね……。やっぱり、段々と範囲が……。うっ……!!」

 私は、頭を支配しようとするノイズに、思わずその場に膝を突く。


 「もうッ!ダメッ……!!お腹を満たしておくんだったっ!!」

 今更そんな事を言っても仕方がない。あそこでルリ様と出会うのは、誰にとっても予想外だった。


 背負っていたルリ様を、極力丁寧に場に下ろしたつもりだったが、思いの外、勢いがついてしまった。


 「うっ……」

 彼が呻きながらも、目を覚ましそうになる。


 「私にも時間がありませんし、これは急がないとですね」

 "彼が食べやすい様に"重く硬い外装を外して行く私。


 (いいえ、違うわね。糸を忍ばせ、血を吸う彼にとって、こんな外装なんて関係無いのだから、これは、最後に彼の目に映る私が、極力、美しくありたいだけ)


 後は、正気を失った私が、彼に手を出さない様、糸で、洞の内側に、自身の体を拘束すれば出来上がりだ。


 その内に、私は正気を失って、彼も正気を失った状態で目覚める。

 そうなれば、貪り食われて終わり。

 私の見た目の醜悪さなんて物は、関係がないだろう。


 (それでも、美しくありたいと思うのは、何故なのでしょうね?)

 自身でも理解しがたい感情だが、したいのだから、仕方がない。

 どうせ最後なのだ。誰に迷惑をかけるでもなし、したい様にさせてもらおう。

 

 きっと、この程度の精神侵食度であれば、私で腹を満たしたルリ様は、一時的にでも、正気に戻る。

 正気に戻れば、この場所から抜け出せる。


 「あ……。あ、あ、あ……」

 私が準備を終える内に意識を取り戻したのか、焦点の合わない瞳で蹲り、苦しそうに頭を抱えるルリ様。


 赤や黒に染まっていた服や髪がピンクに代わり白へと変化して行く。

 彼がそこに蓄えた血液を吸い上げているのだろう。


 「もう少し。後、もう少しです……」


 「ガハッ……!!」

 血液を一度に吸い過ぎたのか、ルリ様は逆流した鮮血を、口から吐き出す。

 苦しそうな彼を見ていると、心が痛むが、それも、あと少しだ。


 「…………」

 しばらくすると、ルリ様はショックからか、再び動かなくなり、私の意識の限界も近づいて来た。


 (願うなら、私は私のまま食べられたかったのですが……。それは難しいようですね)

 こればかりは仕方ない。

 私はルリ様を、クリア様風に言うのであれば、人間病から救う為の、生贄に過ぎないのですから。


 きっと、抗いがたい空腹と言う、野生を知って、私を食らって、満たされて、自身のした事を後悔しながらも、慕ってくれる仲間がいる以上、死ぬこともできず。


 生きて行く中で、彼は私の事を、"仕方がなかった"と、割り切るでしょう。

 そうすれば、その時、彼は無敵になるはずです。


 敵には容赦なく、時には仲間すらも切り捨て、絶対的な強者として生き残って行く。

 それは、今の優しいルリ様とは大分変わってしまいますが……。

 それでも、ルリ様が悩まず、苦しまず、長く生き続けてくれれば、それで良いのです。


 「あっ……。おはようございます。ルリ様」

 (クイタイクイタイクイタイ)

 薄れかけた意識の中、私はめいっぱいの笑顔で、ふらりと立ち上がったルリ様に笑いかける。


 「どうか私を。できれば、私である内に……」

 フラフラとこちらへ歩いてくる何か。

 私は、もう、それが何なのかも分からなくなって来て……。


 「お願い。早く食べて……」

 私を?彼を?何で?

 何でじゃない!

 私はこんなにもお腹が空いているのに。

 空いてない!

 空いてないの?

 空いてない!

 ……そう、じゃあ、目の前のそれは、何に見える?


 「……美味しそう……」

 口角が自然と上がっていくのを感じる。

 私はもう、私が私でなくなって行く事を、止める事ができなくなっていた。

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