第228話

 (……何とか、止められたッスかね)

 僕は内心、安堵の息を吐きつつ、落ち着いた様子のクリアちゃんを見る。


 (本当は、力や騙し打ちで無理やり、じゃなくて、話し合って、相手を納得させることが大切。って事を伝えたかったんッスけど……。それを直接言っちゃうと、反発されるかもしれないッスしね……。

 一回反発されると、面倒なのはコトリの件で、物理的にも痛いほど思い知ったッスし……。こう言うのは、体験して、考えて、自分の物にして行くのが一番いいッス)


 「あ、クリアちゃん。あの男、起きたっぽいっすよ」

 いつの間にか、好奇心の塊なゴブリンたちに囲まれていた男。

 その男がピクリと動いた事で、取り囲んでいたゴブリン達も騒めき、少し引いた。


 「案外早かったですね……。記憶を無理矢理ぶち込んだので、痛みと脳の混乱で、一日は伸びていると思ったのですが」

 クリアちゃんは平く削った石の上に座ると、その辺りのロープに掛かっていた、洗濯済みのタオルを手に取り、自身に付いた残りの粘々を、拭き取り始めた。


 「そうなんスか……。まぁ、それだけタフなら、期待できそ、あ、吐いたッス……」

 それを見たゴブリンたちは「ギャッギャ!」「キャッキャ!」と騒ぎ、男を囲む輪の中心が、さらに広がった。

 いつ見ても、楽しそうな人達である。


 「……コグモさんは何をする気なんですか?」

 完全に気を抜いていた所で、クリアちゃんからの不意打ちの一撃。

 振り返り、彼女の状態を確認するも、落ち着いた様子。

 静かに、髪に付いたまま、再び固まった粘々を、櫛で取り除いていた。


 「……別に、どうこうしようって気はありませんよ。ただ、知りたいんです」


 「……そんな真剣な目で言われたら仕方ないッスね……。でも、森の奥へ行かないって言うのは、約束ッスよ?」


 「はい、分かっています。悔しいですが、コグモさんとは実力差がある事を犇々と感じていますし、そのコグモさんが耐えられない様な環境であれば、私が助けに行った所で、ミイラ取りがミイラになるだけです」


 「ミ、ミイラ?……良く分かんないっすけど、約束してくれるなら良いッス。後、最初にも言ったッスけど、これは僕の予想でしかないッスからね?」


 「はい。その辺り、理解しています」

 髪を梳かす手を止めたクリアちゃんがこちらを見る。

 覚悟を決めた時の御主人にも似た、まっすぐな瞳。

 どちらの方が大人っぽいかは、さて置き、流石、親子である。

 

 「まぁ、そうッスね……。クリアちゃんは、森の奥の事、どれだけ知ってるんスか?」


 「ええと……。化け物みたいに強くて、攻撃的な生物が闊歩していると……。それと、その空間にいるだけで、正気を失うんですよね?」

 

 「そうッスね。あの辺りの生物が馬鹿みたく強いのは、正気を失って攻撃的になって尚、生きて行けるように進化した結果ぽいッスけど……。この際、一番危険なのは、そんな森の中で、こちらまで正気を失ってしまうって言う点ッスね」


 クリアちゃんは、口を挟む事なく、石の上に座ったまま、真剣にこちらの言葉に、耳を傾けている。


 「正気を失って、真正面からあんな怪物共に突っ込んでいったら、そりゃ、瞬殺ッスよ。それに、もし、目の前の敵を倒せたからと言って、正気に戻る訳じゃないっすからね。あの場の空気に完全に飲まれたら、もう御仕舞いッス」


 「……コグモさんは、そんな所にパパを連れて行って、何を……」


 「それは、そうッスね……。あの場の空気は、そこにいる生物の食欲を駆り立てるみたいッスよ?満腹だろうと何だろうと、そりゃ、もう、正気を失う程の飢餓感が襲ってくるらしいッス。……そんな所に、二人で行ったらどうなるッスかね?」

 

 「お腹が減って、二人で……。ッ……!!」

 そこで、僕と同じ結論に辿り着いたのか、クリアちゃんは、一瞬目を見開いた後、悔しそうに、それでいて顔を青くしながら、口元を服の袖で隠した。


 「答え合わせは必要ッスか?」

 

 「いら、ない、です……」

 気分が悪くなったのか、俯くクリアちゃん。


 「まぁ、コグモさんの事っすから、御主人の命だけは助かるよう、配慮しているはずッスよ」


 (まぁ、御主人の心の方と、コグモさんの安否はどうなってるか分らないッスけどね)

 勿論、そこは口に出さない。

 口に出さなくとも、頭の良いクリアちゃんなら分かっているだろう。


 (今はそっとして置いてあげた方が良いッスね……)


 「んじゃ、僕は向こうで、新入りさんの相手をしてくるッスね。……あ、言葉とか通じるッスか?」


 「いえ……。言葉を覚えられると、こちらの会話を聞かれて、何かと不便だと思ったので……。文字だけです」

 俯きながらも、しっかりとした答えを返してくれるクリアちゃん。


 (これなら、血迷った事をする心配もなさそうッスね。

 ……でも、まぁ、暫くは常に視界の隅に置いて、水鉄砲も常備はしておくッス)

 

 「さて、ゴブリン達。あんまり遊んでると、ゴブスケさんに言いふらすッスよ!」

 僕は油断しない様、気を引き締めながらも、混乱している新人さんの元へ足を進める。


 今、僕らに出来る事。

 それは信頼できない二人の帰りを信じて、自身の仕事をこなす事だけなのだから。

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