第92話

 「…………よし!」

 もしもの時は、ゴブリンを殺す覚悟を決めた俺は、脚の糸を残したまま、腕の糸だけを解く。

 

 「んごぉ………」

 すると、初めて、声を出したゴブリンが、自由になった自分の両腕を動かした。


 俺は、一瞬、その迫力にドキッとしたが、静かに見守る。

 

 ゴブリンは、自身の手の動きを確かめる様に、自身の眼前で、両手のひらを、ゆっくりと握ったり、開いたりを繰り返した。

 

 糸を通して、ゴブリンからは、驚きと、疑問を感じる。


 疑問を感じると言うのは、知能の高い生物にだけに見られる思考で、ウサギレベルだと、驚いて警戒する程度。

 この場合、原因までを考える疑問には至らず、その物事も、すぐに忘れてしまう傾向にあった。

 その為、学習や、それを発展させた思考が難しい。


 まぁ、このゴブリン達が集団で行動して、むやみに襲ってきたりもせず、木の上を素早く移動できるほどの、知能を有している事は知っている。

 考えるに、サルに近い知能の持ち主なのだろう。

 これなら、ある程度の意思疎通は可能なのではないだろうか?

 

 俺はゴブリンが動かしている腕の神経信号を読み取って、動かし方を覚えて行く。

 少なくとも、これで、両腕の拘束だけは行えるようになるだろう。 


 「こっちが右だ」

 俺は、未だに自身の腕を見回すゴブリンの右腕を動かす。

 

 「んごぉ?!」

 ゴブリンは自身の意思とは関係なく動いた右腕を。驚いたように見回す。

 

 「んで、こっちが左」

 そう言って、もう片方の腕も持ち上げて見せる。

 

 「んがぁ……」

 勝手に持ち上がっている自身の左腕を、不思議そうに見つめるゴブリン。

 思ったよりも、気性は荒く無い様だった。

 

 でも、考えてみればそうか。あれだけの人数で俺を囲っても、人間を囲っても、攻撃してこなかったんだ。元々、温厚な種族なのだろう。

 

 「……分かるか?こっちが右で、こっちが左。こっちが右で、こっちが左」

 俺は覚えこませるように、何度も腕を動かす。

 

 その内に、ゴブリンも、俺の声と共に、腕が動いている事に気が付いたのか、俺を睨む。

 ……いや、多分、目つきが悪いだけで、睨んでいる訳じゃないんだ。

 それが、ここ数分でわかった。

 

 そう思うと、その、でっぷりとしたお腹に、小さい頭身。発達したとがった耳が、横に伸びているのを除けば、シルエットで、赤ん坊に見えなくもない。


 加えて、赤ん坊よりも温厚で、知能が高いと思うと、少し、可愛く見えて来る。

 

 「右」

 無駄な言葉を無くして、右腕を上げる。


 「左」

 余計な情報は排除して、音で、物を覚えさせるためだ。

 

 それをしばらく繰り返した後に、何度か「右」と言いながら、俺が腕を上げない場面を挟む。

 

 「左、右、左、右」

 そうこう繰り返している間に、俺が信号を与えなくても、まぐれか、直感で、ゴブリンが、信号を送っていない時に、右腕を、自ら上げた。

 

 只今、絶賛エサ待ち中の俺は、ゴブリンが触られると気持ちが良いらしい、耳を糸で撫でる。

 今は快楽ぐらいしか、ご褒美があげられないのだ。


 ゴブリンは耳を触られ、気持ち良さそうにした後、くすぐったかったのか、触られた耳を肩にこすりつける。

 見た目があれだが、まぁ、愛玩動物に見えなくもない。

 

 そんな感じで、ゴブリンと俺は訓練をしながら、コグモの帰りを待つ。


 暴力と主従関係を介さない事で初めて、調教から、教育へ進化した指導。

 相手の喜ぶ顔や、驚く顔が見れるのは、おこなっているこちらとしても、とても、楽しかった。

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