第90話

 「ここです」

 いくつかの部屋の前を通り過ぎ、辿り着いた、小部屋の前。

 そこで、コグモは立ち止った。

 

 「この奥に、俺に訓練して欲しい奴がいるのか?」

 小部屋の前には、他の部屋同様、糸で編まれた暖簾のれんが掛けられ、中が見えなくなっている。

 

 「はい」

 そう答えるコグモの顔に、先程までの軽い雰囲気はなかった。

 

 「き、危険なのか?」

 その雰囲気に呑まれ、俺はついつい、尻込みしてしまう。

 

 「危険……。ではありません。今は……」

 今はってなんだ!今はって!

 俺は思わず突っ込みそうになるが、コグモがそう言うなら、危険ではないのだろう。

 ここで大人の俺がビビっていては、コグモに示しがつかない。

 

 「入りますよ。……あまり刺激しない様に、声と光は弱めで……」

 少し、緊張した声で、声に出すコグモ。

 

 「お、おぅ」

 コグモに抱かれているだけの俺ではあるが、一応、覚悟だけは決める。

 

 暖簾のれんをくぐった先には……。

 

 「ご!」

 ゴブリンじゃねぇか!と叫ぼうとした俺の口を、コグモが塞いだ。

 

 「静かにしてください!」

 声を潜めがらも、きつめの口調で注意してくるコグモ。

 

 「お、おう……。悪かった」

 解放された俺は素直に謝る。

 

 「しかし、なんでゴブリンなんかを……?」

 茶色い体色をしたゴブリンは、静かに、じっと、こちらを見つめていた。

 その両手足は、糸で縛られてはある様だが、正直、1m近くはあろうかと言う、その体には、あまりに貧弱な物に見えた。

 

 「あまり見ない種で、珍しいと、お嬢様が……。それに、調教なしで、道具や戦術も持ち合わせる、かなりの知能の持ち主だと……」


 「……つまりは、リミアの道楽か?」

 俺は少し鋭い視線で問う。

 俺だけを巻き込むならまだしも、不肖ふしょうの娘が、周りを危険に晒して、遊んでいると言うのなら、流石に注意せざるを得ない。

 

 「い、いえ!違いますよ!このゴブリン?って言うんですか?……は、元々、家で休憩していたコトリを狙って来たんです。それで、こんなに知能の高い生物に、根城を特定されて、たびたび奇襲を仕掛けられるのも、怖いからと、お嬢様が……」

 

 なるほど……。それなりの理由はあるらしい。

 

 「でも、なんで調教しないんだ?……あぁ、いい。ここで暴れられると、困るからだな」

 俺は自身で疑問を口に出しながらも、回答に気が付いて、それを止める。

 少しは考えてから、物を聞こうぜ、自分……。

 

 情けなさから頭を押さえる俺に、コグモは「そ、その通りです」と、苦笑いで答える。

 子どもに気を遣わせるとは、更に情けない。

 

 「そうか……。でも、俺の能力は確実に、リミア以下だぞ?」

 目標を持って生きていたからか、久しぶりに出会ったリミアは俺の倍以上、強くなっていた。


 身長差から考えただけでも5倍だ。

 さらに、あの中に詰め込まれた糸は、圧縮率や強度、操作性ともに、向上している事を考えて妥当だろう。

 つまりは、単純性能で、7倍近くは差を有していると考えても、おかしくはない。

 

 「う~ん……。確かに、ただの調教であれば、お嬢様の右に出る物はいませんが、今回は動かせない分、荒っぽい事が出来ないので……。まぁ、一度、糸を繋いでみてください」

 

 俺はうながされるまま、こちらを睨むゴブリンに、ゆっくりと糸を伸ばす。

 機嫌を損ねて、暴れられたらと思うと、ドキドキだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る