第65話

 (ご、ごしゅじんさまぁ……。これ以上は、ボク、ボクッ!!)

 ウサギのとろけるような瞳が、俺を映す。


 「はぁ…。はぁ…。なに、言ってるんだ?お前が欲しがったんだろ?」

 (ヒャン!)

 糸を軽く引っ張ると、それだけで、ウサギの体は跳ねる。

 

 (だ、ダメですっ!らさないでください!もう、ボク。頭が、頭がふわふわしてっ……おかしくなっちゃいますぅ!!)

 そんな、そんな弱々しい瞳で見られたら……。

 もっと虐めたい、もっと、もっと!!


 「てめぇは、元々おかしいだろうがぁ!!」

 俺が思いっきり糸を引っ張れば、ウサギは(あふぅぅぅ!!)と、言って果てる。

 

 「はぁ…。はぁ…。はぁ……。あはははははっ!楽しい!楽しいぞ!!!」

 果てたウサギの横で、一人笑う俺。

 度重たびかさなる、行為で、もう、完全にガタが外れていた。


 後になって、冷静になり、自分がした行為を思い出しても、ショックを受けなくなり、たまに、暴れる俺を、冷静な俺が、俯瞰ふかんして見ている感覚もある。


 「だ、ダメだ……。このままでは人で、なくなってしまう……」

 まぁ、既に人ではないのだが、そういう問題ではない。

 このままでは、人の心を持った虫でなく、虫の心を持った、ただの知能の高い虫になってしまう。

 

 「グルルルルルゥ……」

 そんな事を考えていると、性懲しょうこりもなく、オオカミが……。

 

 「グワォ!!!」

 「キュゥン!」

 俺がクマの姿になって、脅すが、今度は怯むだけで、引かない。

 そろそろ慣れ始めてしまったのか?とも思ったが、そのやせ細った姿を見れば分かった。こいつ、もう、後がないんだ。


 ……と、言っても、そこで狸寝入りを込んでいる、ウサギを食わす訳にはいかない。辺りを警戒して、耳を動かしているので、丸分かりなのだ。

 しかし、もう、警戒心は取り戻している。

 狼から逃げきるだけの脚力も、隠れるだけの知恵も、十分に手に入れた。

 

 「おぃ!ウサギ!」

 (は!はい!)

 俺の呼び声にすぐに立ち上がり、気を付けの姿勢を取るウサギ。

 俺の声は、オオカミや熊の鳴き声よりも、本能に響くらしい。

 

 「お前!もう一人でも、大丈夫だよな?!」

 (え?……えぇっ?!)

 辺りを見回しながら、戸惑うウサギ。

 

 「こいつ!もう、脅しがきかねぇ見てぇなんだ!」

 (そ、それなら、ボクの上に乗って逃げれば!)

 ウサギは必死な声で叫んでくる。

 

 正論を返され、考える俺。

 「いや!こいつは強敵だ!お前だけで行け!」

 まぁ、弱っていて、後がないので、何をしてくるか分からないと言う意味では強敵と言っても、嘘はないだろう……。嘘は。


 俺は、表情で悟れない様に、ウサギの方へは振り向かない。

 

 (そ、そんな!それならボクだって戦います!ボクの蹴りなら!)

 「さっきまで、気絶した振りをして、俺に任せようとしてたやつが、よく言うぜ!」

 俺は、何としても、このウサギから離れ、目の前にいる宿主に鞍替えしたい。

 さもないと、その内、俺はリミアの様に……。

 

 (そ、それは……)

 口ごもる、ウサギ。

 と、その時、痺れを切らした狼が、噛みつくように襲い掛かってきた。

 俺はそれを、木に張り付けた糸を素早く回収する事で、瞬時に移動し、華麗に回避していく。

 

 「悪いな!相手は待ってくれねぇ様だ!」

 俺は無理矢理ウサギを操り、俺達から離れる様に、走り出させる。

 

 (そ、そんな!待ってください!ボクが悪かったです!もう、ご主人に敵を押し付けようなんてしませんからぁ!!)

 俺は、その声を無視し、俺達の姿が見えない様に、あらかじめ、寝床と、逃げ場代わりに掘らせてあった、穴の中に、ウサギを糸で操って隠れさせる。

 このモグラの巣の様に、広がる穴があれば、今後もウサギの生活は安泰あんたいだろう。

 

 (ごめんなさい!ボクが悪かったです!悪かったですからぁ!!)

 五月蠅いので、心の声を聞く糸も遮断する。

 勿論、こちらに来ない様、体も拘束したままだ。

 

 「よぉし!準備は万端だ!かかってこいや!!」

 俺は、俺の平穏の為に、オオカミと対峙する。

 

 「グルルルルゥ!!」

 唾液を垂らしながら、唸るオオカミ。


 しかし、全く恐怖がない。どちらかと言えば、あるのは、高揚感だけだ。

 この状況を抜け出せるかもしれないと言う、高揚感。


 人の欲とは強い物だと聞くが、ここまでの物だったとは……。

 自身の欲に目のくらんだ俺は、全く負ける気がしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る