第19話

 (!!)

 触角が曲がりそうな程の、強烈な警戒信号の香りで目が覚めた。


 (クリナは?!)

 普段当てにしている嗅覚は、バラ撒かれた警戒信号によって、全く役に立たない。

 

 (せめて、香りの発生源が分かればっ……!!)

 そんな事を考えても仕方がない。

 俺は、なけなしの触覚を頼りに、辺りを確認するが、彼女の存在は感知できなかった。


 (どうする?!どうする?!)

 この警告臭はクリナのもので間違いないだろう。

 今もなお、彼女が危険にさらされていると思うと……。


 まだ、彼女は生きているのか……?


 (………)

 ふと、そんな考えが浮かんだ。

 彼女の危機を否定する間もなく、だ。


 (ふっ……)

 自身に染み付いた諦め癖に、一周回って、笑えて来る。


 (…………まだ夜か)

 巣の暗闇が普通で、目が見えるのを忘れていた。

 まぁ、思い出した所で、あたりは真っ暗。何も見えやしないが。


 自分が冷静になっていくのを感じる。

 血が冷めていくのを感じる。

 空っぽになって、あの頃に戻って……。


 いや、違うな。

 俺は、自身が死んだ後ですら、もっと、重要な事なら。それこそ、他人の命に関わるような事であれば頑張れると思っていたんだ。

 それも、ましてや、好きになった相手だぞ?諦めずにいられると。もっと、必死になれると。自分はそんな薄情な人間ではないと、心の底から思っていたんだ。


 (はははっ……)

 考えてみれば、大人の共食いも、可愛がっていた子ども達が処理されるのも、仕方の無い事だと割り切っていた。

 そうだ。目を逸らしていただけで、答えは見えてたじゃないか。

 

 自分の中のナニカが崩れて行く。

 終わって行く。

 終わって…………。


 (…………振動?)

 動きを止めて、冷静になり初めて気づいた。

 空気が、落ち葉達が揺れている。


 クリナの物かもしれない。探らなければ。


 どんな些細な可能性でも良い。縋らなければ。


 ……まぁ、そんな、振動で辺りが見えるような、エコーロケーションの様な事は出来ないが。


 ……出来ないのか?

 本当に出来ないのか?

 出来ないと思い込んでいるだけではないか?

 出来なければ……。


 (上だ……)

 藻掻くような振動を確かに感じた。クリナかもしれない。

 立ち上がろうとするが、またも、低体温で、体が上手く動かせなくなっていた。


 ……いや、動かせるだろう?俺の体なのだから。

 今動かない体には、何の価値も無いのだから。

 

 (…………)

 俺はただ体を動かすよう努めた。

 それで、無様に腐葉土の上を転がり回ろうとも、

 たとえそれが無意味な藻掻きだと感じても、

 無心で、無関心で、その間に、感じていた振動が弱まって行く事さえ気にならない程、一心不乱に藻掻き続ける。


 (……行ける)

 結果、上がった体温。

 何とか動くようになった体で、振動を”感じた”の方向へと這いよる。

 

 (………)

 もし彼女じゃなかったら。ただの、風の悪戯や、他の生物の仕業だとしたら。


 (クリナ……)

 それでも生きていてほしい。

 この警告が間違いで。

 そうだ、ただ、彼女が一人、パニックに陥っているだけかも知れないじゃないか。


 目標に近付く程、心に熱が戻ってくる。

 見えないはずの風景が聞こえるようになる程に、心が、焦りが返ってくる。


 だから、そう、俺の悪い妄想は全部間違いで。

 見えるはずも無い振動の反響で、見えなくて良い物まで見えてしまったことも間違いで。


 全部無駄だったなんて、言わないで欲しい。

 全部無駄だったなんて、思わせないほしい。


 (クリナ)

 あともう少しで、届くと思った瞬間。空中にぶら下がっていたクリナは後ろに下がる。

 いや、クリナを捕まえていた何かが、クリナごと、跳ねる様に後ろに下がった。


 しかし、その衝撃を受けてか、確かに、動かなくなっていたクリナが、反応した。

 弱ってはいるが、確かに、確かに反応したんだ。

 まだ生きている。まだ取り戻せる!


 その背後に潜むナニカを警戒している余裕はない。

 俺は移動の時に感じた振動を元に、見えない敵へ噛み付いた。

 

 ピョンと、横に跳ね、移動する何か。

 すると、落ち葉の隙間から零れる、月明かりに照らされ、その姿が見えた。

 その口には、しっかりとクリナが咥えられている。

 

 (同族か?!……いや、でも、あの動き、あの目の感じ……)

 クモにも似ているとも感じたが、今は、そんな事はどうでも良いだろう。


 機動力で負けている俺は、お尻を向けて、酸を吹きかける。射程は短く、量もそれほどは出ないが、当たれば確実にダメージが与えられるはずだ。

 

 しかし、その戦法は知っているとばかりに、お尻を向けた瞬間、距離を取ってくる同族モドキ。

 と、その瞬間。拘束が弱まったのか、クリナが身をよじり、相手の口元に噛み付く。

 

 不意の、それも、獲物としていた者の反撃に驚いたのか、同族モドキは、クリナを地面に落とした。

 

 クリナに駆け寄る俺。

 駆け寄って来た俺を警戒したのか、同族モドキは、こちらを見つめたまま、バックステップで、暗闇の中へと消えて行った。

 

 (だ、大丈夫か!クリナ!)

 脚を折りたたみ、うずくまるクリナ。


 ……これは、死にそうな時の……。


 俺は弱っているクリナを咥えると、急いで、当初の目的地を目指した。

 

 途中、尻尾の生えていない、サソリのような生き物に出くわしたり、ムカデのような生き物にも遭遇した。

 ……夜の森は、俺が思っていた以上に、危険だった。

 俺の考えが甘かった。

 

 (………クソッ!)

 前回の匂い違いもそうだ。いつも、俺の考えが甘いせいで、クリナを巻き込んでしまう。


 この体なら、無理すれば、ずっと起きている事だって、可能だったんだ!

 せめて、目的地に着くまでは、起きているべきだったっ!

 

 (……着いた……)

 辺りが、日の光で白み始めた頃、俺は目的の木の根元に到着していた。

 

 (…………もう少しだぞ、クリナ)

 未だにうずくまるクリナをめて、元気付けようとする。

 

 (……よし、登るか……)

 再びクリナを掴み上げると、洞に向かって、木の幹を登っていく。

 

 (大丈夫だよな。クリナ……)

 登り始めた朝日が、静かに、二人を照らしていた。

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