第4章 野山獄

第34話 寅次郎と野山獄の囚人たち

 安政二(一八五五)年六月一八日、野山獄。

 密航に失敗した寅次郎がこの牢獄に入牢してから八ケ月が経った。

 野山獄はかつて長州藩の大組に所属していた野山六右衛門の屋敷跡で、彼が岩倉孫兵衛と揉め、御家お取り潰しになったのを機に建設された士分の牢獄であった。

 この牢獄には寅次郎の他、計一一人の囚人が収監されており、その殆どが親族に疎まれ嫌われて、借牢という形でこの獄舎に隔離されていた。

 そして、借牢という形でこの獄舎に来た者は藩の意向とは関係なく、親族次第で出獄できるかどうかが決まっていた為、ほぼ半永久的な獄舎暮らしを覚悟しなければならなかった。

 そのため寅次郎がまだ野山獄に入牢したばかりの時、将来に希望が見いだせず、自堕落になっていた囚人達の淀んだ空気が獄内に蔓延していたが、それを見兼ねた寅次郎が獄内で『孟子』などの勉強会を始めたことにより、囚人達は徐々に活気を取り戻し始めていた。

「王何ぞ利を曰わん、亦仁義有るのみの一節は」

 この日、寅次郎は囚人達を相手に『孟子』の輪講を開いていた。

 野山獄は南北二棟一二室の規模であり、各室が畳二枚と板敷き半坪、つまり三畳一間の広さの独居房であった。

 また南北の二棟は中庭を挟んでそれぞれ向かい合っており、獄そのものから出ることは許されていなかったが、室を自由に出入りすることは許されていたため、囚人達はそれを利用して中庭で開かれる寅次郎の勉強会に参加していた。

「かつて孟子が目先の利益ばかりに拘る魏の恵王を諌めるために言った言葉であります。利益ではなく仁義を第一とすれば利益も自ずとついてくるが、利益を第一とすると仁義を失うだけでなく、事が皆偽りとなり何も成し遂げられず仕舞いで終わってしまうことが少なくないのであります。また仮に何かを成し遂げたとしても、それは永久に残るものでは決してないのであります」

 寅次郎は穏やかな口調で『孟子』の内容を語り、囚人達はそれを一字一句聞き逃しはすまいと講義に集中していた。

「それ故、孟子は恵王の利心を挫こうと試みたのであります。ですが今の世は孟子の教えからかけ離れた世であり、士大夫から学に従事する者に至るまでその志を論すれば、みな名声を得る為とか官職を得る為でしかなく、仁義を第一とする者は誰一人としておりません! 嘆かわしいことです! 世に読書の人は多かれど、真の学者が皆無なのはその根本の志からして間違っているからであります!」

 『孟子』の内容を説いているうちに、寅次郎は自身の中で何かが熱くなっているのを感じており、囚人達もまた時間を忘れるほどに寅次郎の話に聞き入っていた。

「そもそも癸丑・甲寅の黒船騒動の時に、皇国の権威を損ね、異人共に従うことになったのは何故か? それは仁義を捨てて利益を取ったために、朝野の論は戦の必勝を失い、ただ異変が起きることを恐れるばかりになったからであります! 今こそ世道名教に志ある者は再思しなければならないのあります! 願わくば諸君の意見をお聞かせ願いたい!」

 口から唾を飛ばしながら、言いたい事を全て言い終えた寅次郎は大きく深呼吸をした。

「私は尊師の仰ることは至極最もな事と存じます!」

 囚人の一人で齢三十五の富永弥兵衛(後の有隣)が発言した。傲岸不遜で周りの人間はみな馬鹿であると見下し続けたために、親族に厄介払いされて牢に入れられた男であったが、寅次郎の事だけは尊敬していた。

「日本は漢土とは違い、天朝が途絶えることなく千年以上続いちょり、そしてこの国に生きとし生ける者の中で、天朝の臣でない者は一人もいないのであります。故に天朝の臣である我々は、死生も禍福も天朝と同じくし、例え死に至ろうとも主を捨てる道はないのであります。今の世は海外の異人共の脅威に晒されちょりますが、天朝の為に死ねる志を持つことができれば、どうして奴らを恐れることがありましょう!」

 野山獄での寅次郎との触れ合いを通じ、すっかり尊王思想に染まった富永はそう言うと感情が高ぶったのか泣き出した。

「先生や富永殿が仰られることは確かに正しいこととは存じますが」

 一〇年近く在獄している囚人である河野数馬が口をはさんだ。

「人はみな生まれながらの出自に縛られちょる以上、志を持ったとしてもできることには限りがございます。ですから百姓なら百姓の、医者なら医者の、僧なら僧の、武士なら武士の立場でできることを精一杯行うことが、仁義にも天朝への忠にも通じるのではないのでしょうか?」

 寅次郎や富永と違い、今年で齢四十三になる河野は冷静そのものであった。

「さすがは河野殿でございますな」

 落ち着きを取り戻した寅次郎が河野を称賛した。

「僕も所詮できることが限られちょる人間の一人、下田で黒船に密航しようとして事破れ、今こうして『孟子』について輪講を開くことぐらいが精一杯のつまらん人間で御座いました。もし河野殿の諫言がなければずっと思い違いをしちょる所でありました」

 寅次郎は丁寧な物腰でそう言うと、囚人達に対して深々と土下座した。

「お止め下さい、先生」

 齢七七の最長老である大深虎之丞が慌てた様子で言った。吉村善作や河野数馬、志道又三郎等、他の囚人達も動揺している様子であった。

「頭を下げなければならないのはむしろ私達の方です。もし先生がこの獄に入牢なさらなかったら、何の希望も志も持たぬまま、ただ朽ちて死んでゆくだけでございました。私達の体に今こうして気力が満ち溢れちょるようになったのは、ひとえに先生の功績だと存じております」

 五〇年という長すぎる牢獄生活の末に表情すらも失っていた虎之丞は、今や老人とは思えぬ程に目を輝かせながらそう語った。

「そう申して頂けるとは誠にかたじけないのう、大深殿。誠にかたじけない……」

 寅次郎は頭を上げると目に涙を浮かべながらお礼を言った。

「覚えていらっしゃいますか? 先生」

 囚人の中で唯一女性である高須久子が唐突にしゃべり始めた。

「この前、貴方様は私達に、人に賢愚ありといえども何の才能も持たぬ者はなし。また罪は事に在りて人には在らず、罪は盲目や頭の瘡の類にして、何ぞこれによって全うな人としての使命をなさざるにあらんやと仰られました」

 彼女は数週間前に寅次郎が言ったことを思い出しながら語った。

「貴方様のこの言葉は、不義密通を疑われてこの獄に入牢させられた私にとっては、軸と言っても差し支えない程の言葉になっちょります。以前から私は囚人であろうと大名であろうとみな一人の人間、みな対等であると考えちょりました。先生がこの獄に入牢して以降、いろいろな知恵を授けてもらいながら、こちらからは何も授けることができず心苦しく感じちょりました。もし私の歌や浄瑠璃の知識が役立つのであれば、ぜひ皆様に授けたく存じます」

 久子は優しく微笑みながら、元々の持論である平等思想に基づき、意見を述べた。

 彼女は禄高三三〇石の名門高須家の跡取り娘でありながら、婿養子の死後、当時下賤と見做されていた芸能人の勇吉や弥八を屋敷に連れ込んで、対等の付き合いをすべく酒を振舞ったり宿泊させたりしたため親族から疎まれ、野山獄に入牢させられた経緯を持った囚人であった。

「妙案感謝いたしまする、高須殿。僕も貴女方と切磋するうちに、もっと貴女方から様々な知識や知恵を授かりたいと考えちょりました。特に僕は富永殿の尊円流の書や、吉村殿や河野殿の俳諧などをご教授頂きたく存じちょります」

 寅次郎は丁寧に礼を述べると同時に再度深々と頭を下げた。

「先生にそねー仰って頂けるのは誠に光栄な事と存じます! 私如きの俳諧の知恵でよろしければ、是非お力になりたく存じます!」

 齢四八の吉村善作もまた寅次郎の懇願に対し恐れ入ったのか、深々と頭を下げた。吉村と同じく俳諧の講師の一人として指名された河野もまた同様の態度をとった。

「私も同じ気持ちであります! 私が身に付けたこの尊円流の技法は先生にお教えする為にあると申しても過言ではないとすら存じちょります!」

 富永は涙を流しながら寅次郎に対し、誇張ともいえる忠誠心を示したのであった。

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