代償

 祖母は四人の子を産み、冥火カロンは四つに分火されて子供たちに受け継がれた。

 祖母本人は子供の手が離れると現世を自ら去った。身なりを整えてミモザの花を手に毒を飲み、寝台にきちんと横たわって息絶えていた彼女は、それはそれは安らかな微笑みを浮かべていたという。

 私は私の母から冥火カロンのランプを受け継いだ。母はこうしたものに見向きもしなかったので、この家の物置深く埋まっていたわけだけれど。


 イリヤの瞳には銀色に揺らぐ粒がある。渡し守が見初めた祖母の瞳に銀の焔が宿ったように、渡し守の血を引く私が恋した彼も、瞳に銀の焔を宿した。

 だから彼は、冥火カロンのランプのもとに辿り着くことができる。


「東洋にも似たような神話があるんだって」


 温まったシーツの上でイリヤはささやく。


「河の両岸に引き離されて、年に一度決まった夜にだけ再会できる恋人の話」


七夕まつりナイト・オブ・セヴンズだろ。でもあれは片方死んでるわけじゃないよな」


 イリヤが声を立てずに笑った気配がする。私の腕の中でさらさらと温かい肌をまとった彼が身動きする。

 私とイリヤは、かつての祖母と渡し守ほど自由にいつでも会えるわけではない。冥界から河を逆にさかのぼって死者が現世に出てくるには、いくら冥火カロンの加護があってもかなりの制約が生じる。

 それが私たちにとっては、四年に一度という期間になって現れているのだった。

 私の冥火カロンはイリヤから見えるほど燃え上がるには小さ過ぎ、四年に一度しかまともな焔を作れないから。

 それでも私は彼に再会したかった。



  * * *



 彼を失った夜、手順通りのまじないをして冥界の河に駆け下りた。河のほとりには、祖母と渡し守が住んでいる。幼い頃に何度も遊びに来た家だ。

 ランプを手に駆け込んだ私を見て、祖母は困ったような顔で笑った。


――まったく、血は争えないね。


 祖父も、片眼だけを細めて私を見た。彼は祖母を伴侶とする代償に、冥界の王に片方の眼を差し出していた。


――バーデル、私がこの眼を差し出したように、お前も代償を支払わねばならないのだよ。彼のことは思い出にして現世で生きていく道もある。


 私はこの影のような渡し守の祖父が大好きだった。

 冥界の気が移るといってあまり触れてはくれなかったが、愛されていることは疑いようがなかった。


「お祖父じいちゃん、僕はイリヤと離れては生きられない。片腕を失おうと舌を失おうと、これからも彼と会えるのなら構わない」


 仕方がないね、と祖父は言った。


――だが彼は、私がすでに冥界に送り届けてしまった死者だ。河を遡ってお前のランプを目指せるのは恐らく四年に一度だけ。お前の焔はごく弱いから。


 私の手の中で、古いランプの小さな焔が怯えるようにまたたいた。


――会わぬ間にお前が心変わりすれば、お前は呪われて永遠の地獄に、彼は悪鬼となって二度と安らかな死の世界へは行けなくなる。それでもいいか。いいのなら私が行って、冥界の王と彼に話をしてこよう。


 舟に乗り込み冥界へ降りていった祖父がやがて戻って来たとき、二本あった彼の脚は一本だけになっていた。

 私の代わりに祖父が代償を支払ってくれたのだと分かり、私が声を上げて泣き出すと、その涙が銀色をしているといって祖父は笑った。

 ああ、やはり私の血を引いた孫だな、と。

 イリヤと再会できる四年後を待ちながら、私は祖父のためにいくつかの義足を作って過ごした。



  * * *



 冥火カロンが揺らめく屋根裏部屋で、私とイリヤはむさぼるように抱き合う。四年待って、たった一度、夜が明けるまでのこの一夜だけ。死んだ時のまま若いイリヤと、時間通りに老化していく私と。

 祖母の生涯を思う。

 その心の決め方を思う。

 私もどこかで、生者を辞める決心をつけなければならないのではないか。

 祖母は渡し守との間に子をしたことで情状酌量があり、祖父の目玉一つを代償に冥界の川岸に住むことを許されたが、私とイリヤにはそれはできない。私たちはどちらも男で、生殖が不可能だからだ。

 ならば何を理由に願おうか。

 何を代償にすれば彼を再び失わずに済む?


 ああ、だから。


 病みつく熱を帯びたようなイリヤの愛撫を受けながら、私は思う。


 だから祖父は、自分の脚を犠牲にしてくれたのだ。

 いつか私が現界から降り、イリヤと共に在ろうとするとき冥界の王に差し出す身体が少しでも多く残っているように。


 先日降りていったとき、祖父は今度は左の耳を失っていた。いとこの一人がやはり私のように、死んだ恋人との再会を願ったためらしい。

 祖父はどんどん私たちに分け与えていく。


 私はあの祖父に何ができるだろう。


「どうしたの、バーデル、僕を見て」


 れたような甘え声が思考を溶かす。

 私は再び半身を起こして、夜明けには遠くへ去ってしまう恋人にゆっくりと口付ける。




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