捜査騎士フレイ

 明滅する光と闇。ボクはスルトの腕を掴み、スルトもボクを掴んでいた。


「うおおおおおおおおおおおおっ!!」


 少しでも気を抜けば交錯する魔力でボクの身体は消し飛ぶ。魔力は上書き、上乗せされ膨れ上がっていた。自分が何処から来て、何処へ向かっているのか知りたかった。


「さっさと私を殺しておくんだったな、フレイ。覚えてるか?」


「……あ、あの時」


 逆流する記憶。スルトはいつもボクに命令し厄介事を持ち込んだ。物心がついた頃からボクはスルトの手足だった。


 不安定な性格。病的に弱った心。誰とも親密になるのを避けて生きていた。収容所に残されたスルトは言った。


 もう来ないでくれ。お前とは兄弟でも何でもないと……。


        ※


 四年前、ボクらは馬泥棒をして警備兵に捕まった。深夜に貴族の屋敷に忍び込み、厩舎の前で兄貴が指示をだした。


「門を見張れ。合図したら門を開けていつもの裏道から逃げろ」


「無茶だ。兄貴はまともじゃない」


 いつもはもっと抜け目がなかった。どうして今夜に限って、そんな無茶を? 何故? 答えには確信がなかった。


 いや……確信がありすぎて認めたくなかったのかもしれない。スルトは捕まる気なんじゃないか。この荒れ果てた生活と人生に疲れ、うんざりしていた。


「話してる暇はない。まともかだと? まともが何か知ってるつもりか。場所も人も状況も変われば、何がまともか変わるんだぞ」


 ボクの知らない景色が見えた。スルトはひとり、厩舎に近づく。足元に血痕が続いている。暗闇に震える子供がふたり。


「怪我をしてるのか? なんで、よりによってこんな場所に……」


『た、助けてくれ。衛兵に追われてるんだ』


 ふたりは魔物だった。ひとりは、腹から血を流していた。紫色の肌に金髪の子供。弱っている魔物はみな、この中途半端な擬人化をする。


「傷口を塞いでやる。ナイフを寄越せ」


『……!』


「心配するな。殺すつもりなら、とっくに殺している。矢を抜くぞ」


 スルトに回復系の魔法は無かったが、熱したナイフを使い傷口を塞ぐことは出来た。


『くっ……くそっ。絶対に復讐してやる。人間どもは母さんを殺した』


「ああ、お前らの気持ちは分かる。だが、そんなことは忘れるんだ。教会でかくまってもらって、妹が完治したら出ていくんだ。いいな」


『分かるもんか。お前は人間だから』


「そうかもな。お前らの母親が人間になぶり殺しにされたのも、家が焼かれて、家族が殺されたのも分かる」


『な……なんで知ってるんだ』


 スルトは両肩をあげて、面倒は御免だと言い、戸口を開いた。


「時間がない。復讐なんて考えはドブに捨てて、さっさと逃げてくれ」


『でも……でも……』


 これに関しては「でも」は無いんだ。どうにもならないんだよ。いいか、どうにもならないんだよ。


 勇者が魔物を倒す世界が正義なんだ。魔王を討ち果たすまで、国家は一丸となって正義を貫くんだ。そんな馬鹿げた状況で不当な扱いが無くなると思うか。


 学校で、魔物の噂を振り撒く間抜けの前歯を折ってやった。街に巣くう魔物は、夜な夜な女や子供を食っているなんて噂だ。


 俺は雪玉に石をしのばせて顔面に投げつけてやった。変な噂話をやめないと、全部の歯が無くなるだろうと教えてやった。


 密告者の婆さんには、万引きの罪をきせてやった。自分がやってもいない罪に問われるのは、どんな気分だろう。


 そんなことを繰り返しても良いことなんか、何も起きなかった。何も変わらなかった。いや……変わったことがひとつある。


 教会でたった一人、信用出来る神父がいた。名をラルフといい、翌月にはロザロへ赴任するといっていた。


 面倒見が良く、俺たち兄弟を気遣ってくれた。神父は王妃と同じように魔物を差別することを嫌った。


 俺は神父に弟のことを話した。彼はある人物を紹介してくれたが、それ以上のことはするなと言った。弟を解放してやれと言った。


 海賊帽を被った痩せた男に会うため、俺たちは、船着き場の祭りに向かった。そいつはフレイと同じような能力を持っていた。


 俺たちは祭りを楽しんだ。三つのカップを廻して俺たちに手品を見せた海賊帽にはがっかりだった。


 あれはただのトリックだった。少なくとも俺にはそう見えた。


 何をしても世界は変わらない……だが、変わったものもある。我が弟、フレイだ。俺の手足だった弟は自我に目覚めていった。


 祭りで笑いあい、たくさん話した。それでも言葉は足りなかった。魔物から貰った物について、俺は話したくなかったのだ。


 海賊帽の痩せた男は、契約者だった。強化された欠損部位は、指だったので俺は詳しく知ろうと思わなかった。


 知る必要もない。話の一部を聞けば、俺もフレイも何処かで折り合いをつけただろう。合理的にまとめて全体像を把握した気になるだろう。


 単純化、合理化、効率化、それは危険だった。俺たちは分かったように合理化して話をまとめて、客観的に判断しようなんて考えるに決まっている。


 そうなると、それが真実に思えてくる。そこに正義や悪のような気味の悪い意志が芽生え、まわりが何も見えなくなる。


 誰も信用は出来ないが、誰より自分が信じられないと感じた。悪者は正義に満ち溢れた世界で笑い、聖者は穢れた世界で泣くのだ。


 何も変わらない……。俺は馬を放し、厩舎から飛び出すと、ナイフで馬のケツを刺した。馬は奇声をあげた。


 警備兵が集まり俺を囲んでいた。馬は、よく調教されていたが見事に暴れてくれた。すぐに間違いに気づいた。


 取り押さえられた俺の前に、フレイがいたのだ。情けない兄を見つめる表情。頭にきた私は怒声をあげた。


「逃げろと言っただろうが! ば、馬鹿野郎っ。馬鹿野郎っ、どうしてだっ」


 理由は分かっていた。フレイは俺に似すぎていた。考えることも、することも似すぎていた。だからこそ、反吐が出るほど頭にきたのかもしれない。


「……馬鹿はどっちだっ。いつもいつも勝手な事ばかり。ボクが」


 フレイを殴り付け、弓なりになった俺は衛兵に押さえつけられた。それから衛兵は何度も何度も俺を殴り、引きづり、縛り、吊るした。


 神父のいう通り、俺は弟を解放することになり、手足を失ったような気分を味わった。何もかも失った。と、言うのも……。


 フレイは魔物を密告し収容所から出て行ったのだから。全てを否定され、残ったのは魔物たちのうめき声だけになった。


 どんなに喚こうが、もう魔物を解放することは出来ない。自らが囚われ、死を待つだけの立場にいれば、そんな現実と折り合いをつけることは無駄だった。


 二年後、牢獄で俺はある魔物に出会った。遠い昔、馬小屋から逃がしてやった兄弟だった。


『スルト様ですね。貴方に……貴方にあって、ずっと……ずっとお礼が言いたかった』


「………」


 そんな輩は後を経たなかった。希望を無くした哀れな魔物は、俺に触れ、俺に感謝を伝え、腐った世界に光を見ようとした。


『噂は聞いております。貴方に会えた事で私は報われました。もう、思い残すことはない』


 それが光でなくて、何なのだ。契約者に対して魔物は一匹と相場は決まっているはずだった。だが……俺は、折り合いをつけた。


『スルト様。貴方の活動は皆に勇気を与えました。人間である貴方が目指す世界を、我ら魔物が支持するのです。これは奇跡です』


「………」


『弟さんには、何も話さなかったのですね。分かりました。私は目の契約者となり、全てが終わったあかつきには、あなた様の尊い行いを伝えます』


「何もするな。そんなことは、誰も望んではいない。だが、もし弟の目がまた見えなくなったら、その時は力を貸してくれ」


 もともと眼は契約に入っていない。普通に暮らせるように……ただ、それだけを望んだ。


『貴方は素晴らしい人だ』


        ※


「うおおおおおおおおおおっ!!」


 ボクは何と戦っているのか分からなくなった。闇を光だと信じた魔物、そして魔物の心に寄り添った兄、歪んだ世界に産まれた歪んだ魔王、それが巌窟王スルトだった。


 ドン……!!


 目の前に兄がいた。丸い光が弾け、兄貴の両手と両足が弾け飛んだ。


「フレイ! な、何故やめる。殺せっ、そのまま私を殺すんだっ」


「……うっ……うっ……嫌だ」


「勘違いするなよ、フレイっ。私を生かせば、必ずお前を殺す。復讐してやるっ!」


「嫌だ……嫌だ」


「私を見せ物にする気だな。両手、両足を失った私を笑うのが、お前の目的かっ!」


「違う……違う……全部、見たんだ」


「な、何だと」


 ボクはスルトを抱きしめていた。分からない、分からない、どうしてこうなったのか。ただ、スルトを抱きしめたかった。


「ボクが……ボクが兄貴の両手になる。ボクが兄貴の両足になる。だから、だから」


「……馬鹿野郎っ……馬鹿野郎っ!」


 ボクは泣いていた。同じ顔をして泣いていたのは、ボクのたったひとりの兄貴だった。愛情が何か知らずに育ち、ただ誰よりも愛情を持って生まれた兄だった。


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