人面鳥パピィ
塔の最上階は吹きさらしで、鉄柵が転がっていた。旗は下ろされ長い棒切れがいくつか転がっていたわ。
途中にグラスとシャンパンを持った給仕が立っていたけれど、
足を放り出して座るアークデーモンの赤い背中が見えた。私は擬人化をといて人面鳥になると、石の床を掴みバランスをとった。
見下ろすと猟犬も小型犬のままながら、爪を伸ばして石畳を掴んでいる。突風が吹けば、空中戦に縺れ込むと思っていた。
グルル……。
私たちに気付いたアークデーモンはゆっくりと振り向いた。彼の膝にはベスのカールした髪が風に揺れるのが見えた。
赤い身体にたたまれた真っ暗な羽。アークデーモンは目の焦点があっていない。動こうとせずに、ベスの髪を撫でている。私は彼を落ち着かせるためにグラスに入ったお酒を見せたわ。
ワンワン!
「お酒をお持ちしましたわ。注いでおいたから、炭酸が抜けて飲みやすいわよ」
『……ナンダ……ソレ』
じりじりと彼との距離を縮める。無理やりベスを奪うことは出来ない。争いになったら彼女の無事は保証出来ない。猟犬を見ると、彼もいつでも動けるようにと身を構えている。
「その娘を離しなさい。こっちに」
『ゴ、ゴレ……ドモダジ……オレノ…アゲナイ……ドモダジ』
ずり落ちそうなベスを抱き上げ、玩具のように軽々と脇に置く。ベスは完全に意識を失っているみたいだった。
微妙な位置だった。ベスが目を覚まさず、僅かな突風が吹けば簡単に落ちる場所だった。目のくらむ高さからの落下は、即死を意味した。
グルル……。
「待つのよ、猟犬。彼は意識がある。おそらくスルトが魔法障壁の向こうで戦いに夢中になっている今だけ……」
『ドモダジ……オレ…ヤグゾクジダ。モウジキ……ニンゲンコロス、ドモダチ……ヒツヨウ』
ワンワン。
『何を約束した? ベスや手負いの魔物たちとの約束か、それともスルトか』
初めは目の錯覚かと思った。アークデーモンの羽根は縮んでいるように見えた。そのまま飛び立てば、墜落してしまうだろう。
逃がせば、ベスもろとも死ぬことになる。
アークデーモンは立ち上がった。まるでお気に入りの人形でも持つように片腕に軽々とベスを掴んでいた。美しい筋肉に整った顔立ち。一回り大きくなった彼は正統派のハンサムモンスターに見えた。
『ベズ……ヤグゾク……カエンツカッデ…ドモダチ……テラス。モリ、イッジョ二……テラス』
「火属性の契約者どうし、ベスは彼と何か約束をしていたのかも」
『シルブ、オックドルイド、ゴボルト…ドモダチナレナイイッタ。ボリモヤス、カラ。ベズモ、ドモダチ、ナレナイ……カナシンダ』
手負いの仲間たちの話をしている。森の精霊シルフや、森に住むオークドルイド。スルトと契約する前に彼らと、何かあったの?
ワンワン。
『ベスから聞いたことがある。火属性の番犬やアークデーモンは、水や森の精霊に嫌われてるって。だから炎の指輪が欲しいんだ』
「木を燃やさずに、火が起こせるから?」
『ああ。指輪は強大な火炎も起こすが、逆に封じることも出来る。こいつは、指輪があれば友達になれると思い込んでるらしい』
よりによって死んだ契約魔物だとは。どのみち、その魔物とは友達にはなれない。
「良かった。貴方にお礼をいうわ。ベスはまだ生きてるわよね? 見ていてくれて良かった。様子を見せて欲しいの。彼女を殺していないのね?」
『コロシテナイ。ベス……ヤサシイ……オレタチ、ナカヨシ。イッショニクラス……ヤグゾク……シテル』
なんてことよ。猟犬と出会う前とはいえ、そんな約束が交わされていたなんて。私が言うのもなんだけど、猟犬に勝ち目はないわ。
「彼みたいなハンサムボディの横に並んだら、
ワンワーン。
『パピィ、俺を卑下して嫌味を言いたいのか。それじゃ、俺も嫌味を言わせてもらうぞっ。こんにちわ、久しぶりだね。俺様はベスと結婚してイチャイチャしたい、チビのアホ面した恥さらしの猟犬だっ!』
「……それはただの事実よ」
バッフゥン。
「酷いって、冗談よ。場を和ませたの」
クゥン。
『……なごんだのか?』
アークデーモンは何も言わずにこちらを見てる。片腕にベスを抱えて立っている。試しにゆっくりと近づく猟犬に彼の右手がかざされた。
ドカッ!
デコピンだったわ。で、でも猟犬のいる石畳が地面に軽くめり込んでいるのが分かる。猟犬の鼻腔と目尻から赤い血が吹き出していた。
こいつ、恐ろしく強い。コボルトを倒したのだって、奴らが完全に油断して隙を見せたからだ。そんな奇跡は二度とない。
「………」私は猟犬の持っていた炎の指輪を取り出して交渉することにしたわ。
「まあ、とにかく貴方の欲しがってる物を持っているわ。これをあげるからベスを返して」
『ソレモラウ、ベス……ワタサナイ。オレ、ウソツイタ。ホントハ、ニンゲン、ヤキハラウ、コロスタメ……ユビワ、ツカウ!』
ドカッ!
バキッ!!
猟犬はじっとしていたが、アークデーモンは蹴りと手刀で攻撃した。一撃の重さがとてつもない力だった。
ワンワ……ンッ……グ。
『平和に使うと信じて、ベスはお前と友達になったんじゃないのか? それを知ったらベスが悲しむじゃないか』
バキッ!
『グへ、グハハハハ。ミセテ……ベス、クルシム……ミル。ベズ……ナクノ、ミル』
同じように苦しめば、自分の気持ちも分かるとでも思ってるみたいだった。アークデーモンは猟犬を執拗に蹴って、殴って唾を吐いた。
『ワカルダロッ! オレモ、サレタ。ミンナ……クルシム、ミンナ、クルシンデ……ソウシナキャ、ワカラナインダ!』
ドカッ!
「間違ってる、そんなのは友達でも何でもない。自分がされて嫌なことを、何故するの。これが欲しいなら、あげるわ!」
バキッ!!
私は賭けに出た。どのみち、猟犬が殴り殺されるのを見ては居られなかった。炎の指輪を対角線に投げたわ。
『……!!』
アークデーモンは躊躇しなかった。ベスを空に放り出し、ニヤけた顔で指輪に向けて手を伸ばした。手が届く瞬間、私は力一杯地面を蹴り彼に体当たりをしていた。
まるでびくともしなかった。石壁に身体を打ち付けたような感覚。それでも彼のバランスを崩すことは出来た。
左手からゆっくりと落ちるベスを見やった。足元には、はるか遠い地表までがスローモーションに見えた。
獣化した猟犬がすれすれのところで彼女を咥えて跳び退いた。
突風。アークデーモンは指輪を掴んでそのまま塔から落ちてくれれば良かった。でも風は彼の味方をしたわ。
アークデーモンの太い腕は私を塔の外側へ振り払ったわ。たったの一撃で私の身体中の骨が砕けたのが分かった。
私は物凄い力で大塔のてっぺんから、まっ逆さまに落ちていった。そう、何があっても猟犬はベスを助けると思っていたわ。だから、こいつを引き離せればそれでいい。
私の勝ちよ。
MPはたったの15。でも方法は幾らでもあるの。放り出された私の身体からゴム状の魔力の糸が伸びていた。
その一撃と落下の重力を利用して、鉄柵と木材を引っ張り、一気に彼へと向かって飛ばしたのよ。
旗に使う長い
簡単なテコの原理。
あとは着地寸前に私がうまく飛べばいいだけだった。景色が逆さまに流れていく。
「………」
駄目ね。運動神経が悪かったのを計算にいれてなかった。打ちどころが悪くて、翼が上手く開かないわ。
私がお高くとまって貴方をバカにしているあいだ、貴方は村の子供たちを助けて仲良しになった。何が大切か一番よく分かっていた。そして誰よりも強い心を持っていた。
貴方の凄さに気付いたのは、その時だった。魚をとって、森の魔物に持っていったりもしてたわね。頭が悪いのに勉強もしていた。
頭が悪いのは私のほうね。部屋に引きこもって知的欲求を満たしていただけ。承認欲求と性的な欲求も強かったわ。
だから、祈るのよ。貴方とベスが結ばれますように。友達の為になら後悔はない。そう思ったとき身体がふわりと持ち上げられたわ。
気持ちが楽になったのかと思ったわ。でも現実的に私の身体は何かに引っ張られた。
グリモールとリフィルが私を空中で捕まえたのよ。リフィルは私を見て泣いていたわ。
「パピィ、貴方に死なれたらグリフに何ていえばいいの? 私たちは貴方を応援してるのよ」
「あ、貴方たちが助けにくるなんてっ!」
ドン……というアークデーモンの落下する音が聞こえたわ。小さなシミのような潰れた死体が見えた。
「あ、ありがとう。本当にありがとう」
私が猟犬の幸せを願うように、私もリフィルやグリモールに思われていたのね。
少しずつ、本当に少しずつだけど、他の仲間とも関係が築かれていく。アークデーモンの思うトモダチなんかとは違う。
生きていて良かった。こんなふうに思う日がずっと続く気がしたのよ。
世界中に大切なものがどんどん増えていき、溢れだしそうだった。私の胸はいっぱいで張り裂けそうだったわ。
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