ケルベロス

       ◆◇◆

 インキュバスは雌を魅了し操り人形にする。サキュバスは加えて様々な魔法を使い、魔物も操る。

       ◆◇◆

 

 地下牢の鎧戸を開けた私は、拘束された人間たちの鎖を外し解放した。彼らはやつれ、泣きながらも礼を言って地下水路をあがって行った。


 猟犬ガルはコボルトの頭を溶かしたうえ、闇の魔力の痕跡を消した。彼の牙や尻尾には不思議な力がある。傍目には小型犬だが、本当に頼りになる。


『ぺっ、少し闇の魔力を食っちまった。あのコボルトは頭をやられてたみたいだ。自分のやってることが分かってないみたいだった』


 スルトに見つからずに契約者を一匹でも減らせたのは幸運だった。まともなやり方では倒せなかったかもしれない。


 人間がひとり地下水路に残っていた。健康そうで身なりもまともな男だった。


修道女シスター様、貴方は命の恩人です。この辺りは物騒です。いつ魔物が戻ってくるか。ぜひお礼をさせて下さい」


 ワンワン。


『ベス、こいつ俺たちが人間とただの犬だと思ってる。牢の奥にいたから見てないんだ』


「問題ないわ。私たちはロザロから来ました。地下水路には詳しいの?」


「え、ええ。王都の地下は深いダンジョンが広がっています。下層は分かりませんが、下水道や街は私らの庭ですよ」



 若く端正な顔立ちの男だったわ。どこかで嗅いだことのある香草の匂いと、丁寧な言葉使い。貴族の従者か騎士見習いと思ったわ。


 ワンワン

 ワンワン……。


『変な匂いだ。そんな野郎は放って、先を急ごう。痕跡を消しても、すぐに噂話になるだろう』


「大丈夫よ。案内人が必要だわ」


 巌窟王スルト、そして契約者の位置を把握していたからといって迂闊に近づくことは難しい。


 地下水路は絶好の近道になる。そう思ってのことだった。男は王都に住む商人の息子で、ピーターと名乗った。


「しかし驚きました。若い修道女が猟犬を連れて私らを助けてくれるなんて。王都で商売をするのは、この先も厳しいでしょうね。ああ、そっちは行き止まりです」


「王都の人々は誰を支持しているの? 嫌なら答えなくてもいいわよ」


「……巌窟王とかいう男が王になれば、商売は出来なくなるだろうと言ってますね。色々と窮屈な契約が結ばれるらしいって聞いてます。そこは右です」


「ひっ!!」


 男がランタンを頭のうえに上げると、砂鼠の大群が蠢いているのが見えた。硬い甲羅を持った鼠は足元や壁、天井まで埋め尽くしていた。


「まずいっ、囲まれてる。いつの間にこんな大量発生したんだ! 修道女様、左に逃げてくださいっ」


 男が鼠どもに向きなおっている間、私は先へと走った。ランタンの明かりは暗く、人間なら確実に迷ってしまうだろう。


「そこを左に逃げてくださいっ!」


 瞳孔を細めて周りを見ると、水路には小さな隠し扉が点在していることに気付く。何か異様な気配を感じた。


「………!!」


 通路の暗闇からナイフが光った。何者かに待ち伏せされていたようだ。砂鼠の大群に追われ、混乱していた。


 瞬間、黒い服装の男は足元をすくわれてバランスを崩した。自在に身体の大きさを変えた猟犬は、男の頭を横殴りにして石壁に叩きつけた。


 男は私を殺そうとしたのか。ただの人間がどうして? 修道女か教会に恨みでもあるのだろうか。私は何が起きているのか分からなくなった。


「どういうこと。待ち伏せを知っていたの?」


 ワンワン。


『用心深いだけだ。ベス、落ち着いて聞くんだ。そいつもピーターと同じ匂いがした。その匂いは覚えがある』


 私は固唾を飲んだ。その匂いには自分にも覚えがあった。でも、どうして奴らがこんな場所に。隠し扉が開き、同じような黒服の男と目があった。男は懐からナイフを取り出し、私に向けた。


 猟犬ガルが扉を力いっぱいに閉じると、男の頭は勢いよく打ち付けられて前のめりに倒れた。そのまま隠し扉の中を覗く。


 そこには、またも地下牢があった。鎖につながれた半裸の女が二人、拷問を受けうなだれたまま横たわっている。


 二人は両目を開いたまま動かなかった。近づいてみると口角には血の混じった泡がこびりついていた。


「……死んでいるわ」


 私は直観的に思った。あのコボルトは錯乱状態だった。自分がやったのか、もとからだったのか分かっていなかった。


地下組織キャリバーだ。魔物を人間に売るだけじゃないんだ。その逆もやってる。魔物を買う人間がいるように、人間を買う魔物もいる。あいつはよそ者の人間を捕まえては、魔物に売ってるようだ』


 唖然とした。何がなんだか分からなくなっていた。はじめ、魔界で地下組織は、人間と共存するための亡命軍だと聞いた。


 だが組織を信じた魔物は、人間に売られて闘技場で処刑されていた。それは身をもって知った事実だった。



 人間をさらってくる魔物がいるのも知っている。食用、性奴隷、狩りに使う魔物もいればペットのように飼う魔物もいる。その人間はどこから魔界にくるのか?


 ――魔物を売る魔物、人間を売る人間。そんな事が許されるのだろうか。


『地下組織の連中にとっての共存は、人身売買のビジネスだってことだ』


「くっ、ゆ、ゆるせないっ!」


『落ち着けと言ったろ。すぐにピーターが来る。何も見なかったことにして、油断させることは出来るか』


「なっ……なんとかしてみるわ」


 角を曲がると息を切らせピーターが走ってきた。猟犬はまた小型犬に戻り暗い足元で息を潜めた。


「ハァ……ハァ……良かった。無事だったみたいだね。こっちは砂鼠だらけだ。この辺で、少し休むしかない」


「そ、そうね。貴方も無事で良かった。ランタンをこっちに。人が倒れているみたいなの」


 ピーターは滑った水路に黒服の二人が倒れているのを見つけ、近寄った。隙をみた猟犬は、大型化した前足で彼の頭を地べたに叩きつけた。身動きを取れなくなったピーターは慌てふためき、うめき声を上げたわ。


「くっ……なんなんだっ!」


 グルルルルル……。


「ピーター、同じ人間を捕まえて何処に売っているのかしら。貴族、魔物評議会、それとも巌窟王?」


「た、助けてくれ。売っているなんて私は知らない」


「うっぐ!!」


 ボキッ。彼の肋骨が折れる音だった。


「正直に話しなさい。私は魔物よ。時間を無駄にする気はないわ」


 瞳孔を細め、火炎を帯びた瞳を彼に見せた。


「ま、魔物だったのか。だったら地下組織キャリバーは知っているだろう。これは生贄の儀式だ。我らの一族は太古の昔から、それを続けてきた。誰かが続けなければならなかった。個人的なことじゃないんだ」


「報酬は?」


「は、ははっ。そういうことか。報酬は人間ひとりにつき五百ゴールド、生娘で清潔なら千まではつく。分け前が欲しいなら、そう言ってくれれば……っ」


 ボキン。彼の首の骨が折れる音だった。


 グルルルル……。


『君やアンナ様にとっては個人的なことだ』

 

「……ありがとう、ガル」


 私たちは地下水路を出ようとさまよった。地下牢は幾つもあり、もう人間を解放するのは止めた。きりが無いと思ったからだ。


 猟犬が四つ目の隠し部屋で階段を見つけた。上の階は貴族の砦に繋がっているようで、沢山の人の気配があった。


 かなりの人数がいるようだった。私の手は怒りに震えていた。番犬ケルベロスの力で両手に火炎を纏っていた。


『止めるんだ。魔力は取って置いたほうがいい。武装した衛兵がわんさかいる』


 操られてる砂鼠を駆除するのも現実的じゃなかった。黒服の香草があれば抜けられる可能性はあったが、どのみち迷子が関の山だった。


「だったら、また貴方は仮死状態になって。私が上手く油断させて外へでる」


『無理だ、三人殺してる。俺が騒ぎを起こしている間に、変装してここを出ろ。ハンス陣営で骸骨ガイと落ち合おう。そしたら仕切り直しだ』


 私は猟犬の頬を包みこむように持ち上げ、キスをした。これ以上、人間や魔物を殺す汚れ役を押し付けたくなかった。


『死んでもいいなんて考えは、二度と起こさないでくれ。俺のために』


 猟犬ガルは知っていた。ロザロで祈りを捧げたこともナダの森で別れようと思った理由も。


『もし逃げ切れないと思ったら、抵抗せずに捕まるんだ。連中は直ぐには商品を傷つけないし、俺はハンターだ。君が何処に居ても、必ず見付ける』


「分かったわ」


『君を助ける為なら、ベナール城だってぶっ壊す。冗談抜きで』


「ふふっ。分かってる」


 もう死んでもいいなんて思えなかった。私は今、こんな薄汚れた場所で恋をしている。彼の言葉はそんな私を勇気付けた。


        ※


 見回りの衛兵が兵舎を覗くと、二人の兵士がテーブルに突っ伏したまま動かずにいるのが見えた。ゆっくりと、肩を掴もうとする。


「……死んでるっ。侵入者だ! 侵入者だ」


 太陽は真上に上り、闘技場から歓声が聞こえていた。第三試合が始まるようだ。ベナール王と息子アーサー王子、親子での試合だというが。


「速いぞ。そっちに行ったぞ!」


「何だ?」鎖帷子を着けた兵士は黒い小型犬を見て、剣を抜いた。


「迷い犬かよ。俺が仕留めてやる」


 テーブルや馬車の下をくぐり抜け、猟犬は砦の中庭を走り回った。左右から剣を抜いた兵士が追い詰め、ロングソードを振り抜いた。


 猟犬が後ろに五メートル跳んだと同時に、赤い血が滴り落ちた。


「ふはははっ。手加減してるんだがなっ」


 グルルル……。


『俺もだ。そりゃ、お前の血だ』


 兵士の腕は、剣と共に地面に落ちた。衛兵はやっと異常事態に気付いた。すべての兵士が武器をとり中庭へと向かって行く。


 黒服を羽織った私は、階段を駆け上がり石壁に沿って走った。兵士は私に見向きもせず、中庭に向かっていく。


 城塞の落とし柵が見えた。近くにはコロッセオからの声も聞こえた。すぐに、骸骨と合流できるはず。そう思ったとき、頭のうえから影が広がった。


「……!!」


 そこには黒く、大きな羽があった。アークデーモンは私の手足を掴み、下品な笑い声をあげながら空に舞った。




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