猟犬ガル

 ベスの気持ちが決まってるなら、勿論一緒にいたい。結婚もしたい。それは出会ったときから決まっていた。


「アンナさんが許さない」


「……はやくも嫁姑問題勃発か」


「ぶっ、誰も結婚するとは言ってないわ」


 尻尾は素直に垂れさがったが、内心では分かっていた。ツンデレとかいうやつだ。


「ついて来ないで。私はひとりで王都へ行く」


「そりゃ無理だ。捕まって尋問されて、拷問されて、他にも怖がることは山ほどある」


「貴方はその一つよ」


「俺が怖いっていうのか?」


 俺は過去に一瞬だけベスに抱いた殺意を顧みた。背中を蹴り飛ばしたし、スルトが触れようとしたときは、突き飛ばしたりもした。


「……すまなかった。あんな事は二度としない。あれは、俺じゃなかった。いや、そんなのは言い訳だ。あれは、俺がなりたい俺じゃなかった。分かりづらいかな。つまり」


 あの日から、ベスは擬人化を解かなかった。俺は彼女が距離を置きたいのかもしれないと思った。


 泣きたい気持ちを抑えて、自分に言い聞かせた。彼女は俺を愛していない。それで、いいじゃないかと。


「つまり……つまり、俺なんかどうでもいいんだ。俺たちの置かれてる状況は似ている。君の気持ちは分からないが、協力させてくれ」


「分かってる。なんて不器用なの……」


 彼女は何かを言いかけて止めた。骸骨の心配は無用だと言ったが、ベスは退かなかった。スルトを倒さなければ、世界は混沌と化すらしい。


 それに何時なんどき、俺やベスを襲ってくるか分からない。あの時、街ごと消し去るつもりだったのを俺たちが防いだのだから。


 混沌が何かはよく解らないが、俺はベスの能力に賭けてみようと思った。彼女は契約者の位置が分かった。


 向こうはベスの位置が分からないのに、此方からは分かるのだ。他にいる五体も。この能力は絶対的に有利だ。俺でもスルトを倒せると思った。


 英雄が現れて光の力を使って悪の王を倒すなんてのは、おとぎ話にすぎない。現実は語り継がれもしない雑魚が偶然という力を使って、汚れた囚人を始末するだけだ。


「契約者は、欠損した部位が特に強化されるの。私の場合、それが二つの頭だった。二つの精神は私を庇い、この状況を作ってくれた」


「一度は操られた精神が戻ったわけか」



 三体は王都、スルトの側から離れない。片腕のオーガとオーク、目を潰されたオーガだろう。翼のないアークデーモンは空に、足の悪いコボルトは野を駆け回っている。


 老いぼれのジムだけは分からなかった。次元を行き来しているのか、場所が特定出来ないらしい。そのまま見つからなければいいと思った。


 俺たちはリーバーマンに泥人形を頼み、ロザロに入った。ラルフ神父は書状を持たせてくれた。協会の書状があれば、王都に潜入するのもなんら問題は無さそうだった。


 グリモールとリフィルは俺たちを快く運んでくれた。王都の近くへ深夜に降ろすという条件だった。


 王都近郊の名も知らぬ森で、俺とベスは合流した。俺にはスルトの喉元を掻き切ってやる覚悟が出来ていた。


 強くなりたかった、ガキのころから。だが弱くもありたかった。自分が雑魚魔物だというのを嫌というほど知っていた。


 そもそも俺に何が出来る。そう思えばこそ可能性が見えた。脚と鼻と牙があれば、人間ひとりを殺すことは難しくない。チャンスはベスが作ってくれる。


「擬人化は解かないのか、ベス」


「ええ。両目のないオーガを覚えていて? 彼なら森の闇に紛れても私を見つけるでしょう」


「なるほど」

 

 彼女は修道女の姿で俺の前を歩いた。森は暗く、音も無かった。ふたりは瞳孔を細め、鼻を効かせた。


「血の匂いがするわ」


「ああ……魔物の。死んでると思う」


 ベスは二本足にしては素早く森を駆け抜けて、匂いに向かった。俺は周囲に気を張りながら、一足先を行く。


 月夜に映ったのは、巨大なシルバーベアの死体だった。刺し傷がおびただしいほど大量にあった。


「小さな刃渡りだ。何百、何千も刺されて、こいつは苦しんだろう。内臓の損傷が少ない。食う気は無かった」


「どういうこと? いたぶって、殺しを楽しんでいたとでも。腐敗した死体は森に何匹もあるみたいだけど」


「……練習とか実験かもしれない。自分がどれだけ動けるか、殺傷能力はどれほどあるのか試したんだ」


 ベスは残虐な仕打ちを受けた死体から目を背けて立ち上がった。心を落ち着かせる時間が必要だった。


「本気で言ってるの? そんな事の為に、こんなに残酷になれるのかしら。私には理解出来ないわ」


「お、俺はただ……」


 彼女は口を隠して、冷たい目を向けた。俺は直感的に気付いた殺戮の理由を、正直に応えすぎたことに後悔した。


「分かるんだ、同じ雑魚だから。やったのは足を怪我していたコボルトだ。強くなって、それを楽しんでる」


「………」


 強くなったなんてもんじゃない。コボルトは小柄で犬の頭を持つ人型の魔物だ。俺やベスと同じ下級の雑魚魔物。


「教えてくれベス。コボルトの居場所は近いのか?」


 彼女は苛立った声で返事をした。


「やっぱり一人でくるべきだった。貴方はコボルトを倒そうなんて考えてる。こんなの放っておけばいい。凶悪な魔物なんて珍しくない。危険をおかすのは何の為かしら。自分の問題だと思ってるなら、大間違いよ」


「森の魔物は苦しめられてる。俺たちなら、コボルトに先手が打てる。それにコボルトを倒せないなら、スルトも倒せない」


 言い争いは彼女に分があった。ベスの言うことは正しかった。


「……先手は打てないわ。こっちに向かってる。どうやら、私たち以上に鼻がきくみたい。間に合わないわ、逃げられない」


「話がはやいな」


「いいえ、ガル。貴方には死んで貰うわ」


 風のような速さでコボルトは森を駆け抜けてくる。視覚、嗅覚、素早さ、どれも桁外れに強化されているのが分かる。


 手足を器用に使い、猿のように身軽に木々を利用している。木から木へ飛ぶように、跳ね回る姿は、素早く複雑な動きだった。


「夜の散歩かな? 修道女シスター


 突然、目の前にあらわれたコボルトは体格が一回り大きくなり、太い足を持っていた。


「私が誰かも分からないのね。あなたと同じ、スルト様の契約者、番犬ケルベロスのベスよ。覚えているでしょ」


「擬人化してたら、分からねぇよ。狩っちまうところだったぜ」

 

「フハハハッ、この姿が気に入ってるのよ。聞いてないかしら? これは私の獲物。もう死んでるけど」


 ベスはドサリと死骸になった俺を放り投げた。血がべったりと付いた俺は、コボルトの目の前に転がされた。


「ほう、あの時の猟犬か。確かに死んでるな。あんたも力を楽しんでるのか。ここは俺の狩り場だ」


「いいえ、ヘマをしてロザロに置いてきぼりよ。こいつは、スルト様に逆らったからわざわざ手土産に持ってきたの。闘技場に行かなくちゃ、案内してよ」


「ああ、いいだろう」


 コボルトは俺を片手で軽々と掴みあげ、王都に向けて歩きだした。無口なコボルトは森を抜けて王都に繋がる地下道に案内した。


「森の死骸は貴方の仕業ね。大分腕をあげたようね」


「クハハハ。俺の狩り場で偉そうにしてやがるからな、自業自得さ。まだ人間を殺すなっていうだろ。おかしいよな」


「……そうね」


 暗く湿った地下道は排泄物の匂いが染み付いていた。深淵にいたおかげで仮死状態に擬態することを覚えた。


 何ヵ月も塊で居たおかげで、自然に身に付いた特技だった。ベスはいつも正しい。このままスルトの場所まで運んで貰える寸法だ。


 俺には爪や牙と闇払いの尻尾があるが、ベスに戦闘力はまるで無かった。狡猾に、言葉巧みにこいつを誘導する以外に無かった。


 石壁の続く下水道に、鎧戸があった。コボルトは重い扉をギシギシと鳴らして開けた。何かの鳴き声が聞こえる。


「見せてやるよ」


「……何かしら。楽しみだわ」


 コボルトはランプに火を灯した。そこは地下牢と拷問部屋だった。鎖で張り付けにされた人間が六人いた。


 牢屋には痩せ細った人間が三人。泣いている赤ん坊は毛布にくるまれたまま、地べたに放置されている。


「コレクションだ。色んな人間がいるだろ? 大きいやつや小さいの、髪が長いのや短いのもいる。オスとメスも」


「すごい……みんな生きてるのかしら」


「クハハハ、スゴいだろ。スルト様に言わないって約束するなら、食わしてやるぜ」


 コボルトは俺を放り投げると、ベスの背後にたった。ゆっくりと修道女の頭巾を外し、クンクンと音をたててベスの匂いを嗅いだ。


「スルト様を待たせてるのよ。それに、人間が見てるわ」


「試合は明日だ。朝まではたっぷり時間がある。それまで俺たちの新密度をワンランクあげるってのはどうだ」


「名案ね。でも、こんなゴミ溜めで口説こうなんて悪趣味じゃなくて?」


 コボルトは乱暴に襲いかかった。カールした後ろ髪が掴まれ、修道服は剥ぎ取られた。布が裂ける音と低い唸り声、コボルトはベスの腰に手を回して、爪をたてた。


「……いっ。どうして、そんな」


 一方の手は首にかかっていた。涙が溢れ窒息しそうになっていた。隙間に入れたベスの指は容易く折れた。


「クハハハ。俺たちは被害者なんだから何をしたっていいんだ。なんで、こんな事をするかって? それが正しく見えるからに決まってるだろ。俺だって、分からねぇ。この欲求が何処から来て、何処までいくのか……」

 

 俺は伸ばした爪でコボルトの首を飛ばした。血が吹き出してベスにかかりそうになったので、グイと後ろに引っ張った。


 やつは死んでいたが、俺は手を止めずに牙を向け酸性の唾液で頭を溶かした。体は粉々になるまで引きちぎった。


 二度と甦れないようにバラバラにして、下水に流してやろうと思った。


「も……もうやめて。怖いわ」


「怖かったのは、俺だ! いつもいつも、無茶しやがって。俺が、君が傷付くのを平気だと思ってるのか。耐えて、じっと見て居られると思ってるのか!」


 ベスは頬を濡らしたまま、俺を抱き締めた。涙を拭いてやりたかった。とても、小さい声でこう言った。


「………ごめんなさい、同じなの。私も、私も貴方が傷付くのが、怖かった」


 俺は強くなりたかった。だが、それ以上に自分のままでいたいと思った。

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