捜査騎士フレイ

 王都サンベナールは円形の都市だ。その中央にそびえ立つのが巨大円形闘技場コロッセオ。これより高く立派な建物は、数キロ離れたベナール城と各所に点在する大塔くらいだろう。


 子供の頃、建築士の爺さんに図面を見せてもらったことがある。親父や兄貴には内緒で、こっそり爺さんの仕事場を覗いた日だ。


 爺さんは髪の毛も歯もなかったが、腕はあった。母さんが死んで、生き甲斐もなくしたみたいだった。だからボクが十歳の頃には、もうこの世には居なかった。


『フレイ、図面がひけたら一級の建築士になれる。計算するんじゃ。例えば、こっちの建物には十八メートルの木材が何本いるか』


「……二十三本だね」


『アッハッハッハ、答えを書いておったか。おい、フレイ。どうして分かった?』


「た、たまたまだよ」


 漆黒の漆石と磨き上げられた板材。大理石に覆われた回廊と、青銅で造られた英雄たちの銅像。


 砂が敷き詰められた闘技場は地面を深く掘られた作りになっており、周囲をぐるりと灰色の石壁が囲っている。


 階段状に連なっている客席は、ゆうに五万人を収容するという。一般客の座席は狭苦しく汚らしかったが、四つに区分けされた特別席は違った。


 玉座のような大仰な椅子はゆったりと広く、スルトやアーサーが、偉大な英雄に見えた。


 入場券売り場はいたるところにあった。それとは別に賭博師や、ギャンブラーの一団が仕切る勝ち馬投票券が堂々と売買され、それだけで民衆の興奮度はピークに達しているように見えた。


 四大勢力の模擬戦は、総当たりの一日二試合。模擬戦とは言っても当然殺し合いなので、当事者にとっては実戦と変わらない。


 伝説の魔王対勇者の戦いにならって、戦闘は四対四形式。翌日からの補充やメンバー交代は自由である。


『お前は頭がいい。どうして隠しておる?』


「だって兄貴より成績が良かったら、兄貴はボクを嫌いになるし、親父は、もともとボクのことなんか嫌いに決まってる」


『……なんてこった、何を怯えとる。お前はお前だ。兄貴や父親とは違う人間だ。いくら肉親だからといって、遠慮する必要なんかない』


「ボ、ボクはそんな」


『フレイ。父や兄と同じ血が流れてるからといって、同じである必要はないんじゃ。人はみな特別で、違っていいんじゃ』


「………」


 ボクは闘技場の特別席に座る兄を睨み付けた。スルトはボクに気付いているはずだ。ボクがここにいることが、気に食わないはずだ。



 ――演者は魔笛を鳴らし、拡声魔法を使い叫んだ。


『これより第一試合を開始します。ベナール王直轄、ハンス王子守護騎士団からは、魔術師マスタークライン、老騎士ターネル、剣闘士マックスと捜査騎士シーカーフレイ。対する、魔物評議会デモンズラインからは、魔獣……となっております』


 緑がかった足首まである外套を着た四人だった。綺麗に並んだまま微動だにせず、突っ立っている。


 剣闘士マックスが両手を振って民衆に笑いかけると、どこからかロザロ! ロザロ! という掛け声が響いた。ボクは集中して四人の魔物を見た。


「……女か。三人は女。ひとりは、魔獣だ」


 魔法を唱えているのか。いや、聞いたことの無い呪文だ。これは、殺戮衝動を掻き立てる詠唱みたいだ。


 攻撃力を格段にあげるかわりに、守備力と魔力耐性を著しく下げる……狂戦士バーサーカーの呪術。


「みんな、離れろっ!!」


 中央の一人を残し、外套を脱ぎ捨てる。翼を持った三匹のサキュバスが姿を現し、しなやかで妖艶な肉体をあらわにした。


 三匹が三匹ともブツブツと呪文を詠唱しながら宙に舞い、闘技場の端へ飛散した。


 狂戦士の呪文、物理防御強化の呪文、そして魔法無効化の呪文を各々が唱えていた。


 ――そして。残された一匹の魔獣が擬人化を解くと、そこに現れたのは闘技場が小さく見えるほどの巨獣、ベヒーモスへと形態を変えた。


 血に飢えた狂乱状態で、二本の角を振り上げ地中の奥から響くような低い唸り声をあげた。


 ブモモモ――――ッ!!


 客席からはわああああっと、恐怖と興奮の叫び声が響いた。ビリビリと地面が揺れた。鋭い鉤爪と、サメのように何重にも並んだ牙。


 鋼のような筋肉を覆う体毛は長く、紫に近い藍色だった。まさに、その姿は魔獣そのものだった。


「やれやれ、儂がおとりになる。先にサキュバス……誰も聞いとらんじゃないか!?」


 老騎士は冷静に声を掛けようとしたが、三人は既にサキュバスを追って走っていた。


 誰にも相手にされない寂しい老騎士は気持ちを切り替え、地を蹴り砂を巻き上げながら突進してくる巨獣にロングソードを構えた。


「ふっ、少しは老人をいたわれ。もっても十分か、そこいらじゃぞ」


 老騎士は壮絶なスピードで向かってくるベヒーモスの剣歯をくぐり抜け、下段から剣を振り上げるが、かすり傷ひとつ付けることは出来なかった。


 狂乱した魔獣の口からは血の混じった気泡が飛沫し、生暖かい臭気が漂った。


「なんちゅう、硬さじゃ」


 魔獣の牙と鉤爪は虚しく空を切るばかりだった。狂乱状態のために、後退することもなく軌道の読みやすい単純な突進だったからだ。


 老騎士は既に恐怖だけではなく、相手の攻撃をコントロールするすべも学んでいた。


 呪文に集中しながら、後ろに飛んだサキュバスの一人は目を疑った。四十人の勇者軍を仕留めた魔獣ベヒーモスが、たった一人の老騎士を追い回し、致命傷が与えられないなど考えられなかった。


「くっ、あんな老騎士が……どうして」


 空に舞い上がったサキュバスを追う、マックスは如意棍接を伸ばし真下から蹴りあげ、バランスを崩したサキュバスの翼を凪払った。


「……!!」


 ボクは半透明のマジックシールド、アローグラスを乱造し、ばらまいた。空間固定しながら足場にする事で、空中にいるサキュバスへと道を作る。


 走りながら腰にあるグリップを握りしめた。骸骨から貰った魔力の指輪から、片手でも軽く扱いやすいウォンドに魔力を送る。


 アローグラスと呼ばれる三十センチ角の魔法盾には迷彩効果があり、ボク以外には見えない仕様になっている。


 空中を走る兵士は、珍しいと見える。サキュバスの死角へ入り背後をとるのは容易かった。


「遅いっ!」


 通称、殴り魔法。重力を利用した魔法を流し込むと、サキュバスは地面に向かって引っ張られるように落ちていった。


 軽く当てただけのつもりだったが、ノックバックは大きかった。ウォンドのグリップが指の関節に食い込み、痛みが走った。


 魔術師クラインはもっと早かった。火炎に包まれたサキュバスが、地べたをはいまわっている。


 緑色のツタがモゾモゾと現れて、三匹のサキュバスを縛り上げていく。自然を利用した有機物百パーセントの天然素材だ。


 魔術師は勝負はあったと言うように、優しく語りかけた。


「命まで、奪う気はない。あの魔獣を大人しくしてくれれば、それでいい。終わりにしよう」


「……くそっ、これだから嫌だ。餓鬼界を見た連中は、強くなりすぎる」


 ツタによって捻りあげられたサキュバスの体は艶やかな緑色の光沢で、成熟した女性のシルエットを見せた。


「負けを認めなさい」


「……っん……ん。貴方のような、武人に殺される日を夢に見ていた。さあ、とどめを差して。その短剣を私に射し込んで、深く」


 ボクは目を擦って、サキュバスを見た。人間と変わらない真っ白で、すべすべの肌が見えた。締まったウエストとふくよかな胸があらわになって、局部だけがツタで隠れていた。

 

「やめるんだっ。それ以上卑しく惨めな姿を晒す必要はない」


 叫びながら、ボクは距離を取って魔術師クラインを見た。彼はマントを取り出し、目の前にいたサキュバスに被せた。


「………くそっ!」


 彼の胸を、サキュバスの尻尾が貫いていた。その尻尾は器用に心臓を掴み出し、くるりと回してみせた。


「ゲフッ……」


 三匹のサキュバスは、魔力を失ったツタを引きちぎり、ボクとマックスに飛びかかろうとした。ボクは許すつもりは無かった。


 八方から放たれたマジックアローがサキュバスを撃ち抜いていた。ばら蒔いたアローグラスに反射した魔法の矢は三匹を同時に仕留めていた。


 当てるのは得意だ。そして、アローグラスが幾つ必要か、何処に必要か。そこまで分かっていながら……クラインを守れなかった自分が許せなかった。


 マックスが駆け寄り、彼の血だらけの胸元を押さえていた。魔術師クラインは最後に言った。


「何も言うな……先に行って、テーマパークで待ってる」


「馬鹿野郎、一緒に行くって言ったじゃないか。なんだよ……先に行くって」


「そういうことにしてくれないか。生まれて初めて遊びに行く約束をしたんだ。台無しにするようなことは……言うな」


「分かったよ、クライン。先に行って下見しといてくれ。いつか皆を連れて行くからな」


 老騎士は雄叫びをあげ、魔獣に剣をかざした。その叫びは、切なく悲しげに聞こえた。


「うおおおおおお---------!!」


 ターネルは二本の角を掻い潜り、ベヒーモスの眉間にロングソードを突き立てた。老騎士の関節からは血が吹き出していた。


 その一撃は真っ直ぐに、どれほど洗練された剣技より真っ直ぐに見えた。老騎士はその一撃に全てを賭けた。


 彼は長年連れ添い、まるで家族のような存在だった。だから、死の間際にその一撃を見てニヤリと笑ったのだ。それだけで充分だというように。


 魔獣は砂ぼこりを巻き上げて、地にふした。どす黒い大量の血が砂を濡らした。客席からは止むことのない声援と拍手が鳴り響いていた。

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