獣人アンナ

 ナダの森の中心部。セレーヌ川とマイロの村の近辺に、この小さな城があるの。元々は森にこっそり建てられた別荘だったらしいわ。


 あやふやな記憶。長くて苦しい夢を見ていたけど、目を覚ませば何も覚えてはいない感覚。


 村では、災いで失われた人々のお葬式を見たわ。みんなが、涙を流し抱きあったり悲しみを分かちあっていたの。


 パピィも、恩師のカリン先生と手を繋いで溢れだす感情を共にしていたの。


 今のわたしには……この感情の背後にどんな真実があるのか、分からないの。大事な事を忘れてしまっている気がするから。


 獣人の能力を使った一時的な記憶障害だと言うけど。でも、人の名前が出てこないって、辛いのよ。


 後ろめたくて、胸がどきどきする。自分の力じゃ、どうしようもないことだと思っていても。一番大事なことを覚えていないのだから。


 記憶を消し去ることで、私はぐっすりと寝ていられるのかもしれない。傷付けた人々を忘れることで、心の平常を保っているのかもしれない。


「アンナ様は、自分を疑ってばかりだすな」


「うん。私はこのままじゃ駄目だって思うから、焦っちゃうの。だって、死んでいった仲間の事を思い出せないなんて」


「あまり、深刻に考えないほうがいいだす。死ぬのは自然なことだす。おらだって、パピィだって、みんな死ぬだす……ご、ごめんだす」


「ううん、大丈夫よ」


 グリフはパピィと結婚して、城に住んでいるわ。散歩や授業で村に行くときは必ず一緒にいてくれる。


 猟犬やガイは城付近を見張って、リーバーマンやレオは村の見張りをしてくれる。


「おら、バカだから余計な事を言ってしまっただす。アンナ様はみんなが愛してるだすから、自分を責めちゃいけないだすよ」


「ありがとう。頭が混乱して、どうしたらいいのか分からないの」


「怖がらせただすね。結婚して、おらは凄く強くなる時があるんだす。でも、逆に凄く弱くなる時もあるんだす」


 愛する人を失うかもしれない。それは明日かもしれないし、たった今かもしれない。


「怖いと思うこともあるだす。おらは、ただ……死んだとしてもパピィとはずっと一緒にいられる気がしてるんだす」


「まあ、愛を誓いあったおかげね」


「違うだすよ、アンナ様のおかげだす。それがアンナ様の持つ力じゃないかと思うだす」


 ちょっと何言ってるのか分からなかったけど、少し元気がでたわ。しっくりこなかった私はガイとも話そうとしたけど、気付いてしまったの。


「……ガイじゃなかったのね。リーバーマンが造ったゴーレムだったんだわ」


 間近で見たガイは微妙な部分が違っていたの。よく見たら、元々単純な顔立ちが、もっと単純な顔になっていたわ。


「ごめんよ。騙すつもりじゃなかったんだが、アンナさんに骸骨の事を忘れて欲しくなかったんだ」


 そこには、いつも裸のリーバーマンがいたの。つるつるの頭を撫でながら照れたような顔をしたわ。


「いいえ、ありがとう。私、ガイがいなかったら不安で気持ちが折れてしまっていたと思う。だから、今まで演じてくれて、ありがとう。ガイは……王都に?」


「ああ、そうだ。嘘をついたけど、アンナさんが回復してくれたなら、良かった」


「……うん」


 嘘は悪いことだけど、友達の骸骨ガイを忘れて欲しくなかったんだ、どうしても。そんな気遣いは嬉しかったわ。


 ガイは魔物と人間が共に暮らせるように王都にお願いに行ったんだわ。自分の力じゃどうしようもなかったことを、やろうとしている。


 たったひとり人間に加わり、危険な王都に行ったんだわ。前世で、人間に騙され殺されたガイが。


「……ガイが、ガイが心配だわ」


「お、思いだしたんだね。パピィを呼んでくるよ」


 頭を抱えて座り込む私を心配して、リーバーマンは城に向かったわ。私は独りきりで深く考えた。ひとりの力じゃ何も出来なかったことを。


 だから地下組織に頼ったんだわ。地下組織に身を委ねたの。だけど彼らのやり方も自分たちのやり方と、違いはなかった。


 争い、略奪しあうだけで何も産み出さなかった。仲間のフォックスピッドは回復魔法を唱え続けて、私を生かした。


 どうして……私なの? フォックスピッドなら誰だって時間や次元を操り、切り貼りする能力はあるはずよ。


 右手に魔王バエルのくれた光が灯った。左手には魔王ベルゼブブの闇も灯っている。私を助けたフォックスピッドの光、地下組織の仲間の光が混ざって、沢山の色が一つになっていく。


 森のなかに気配がした。同族の匂いがしたわ。木こり姿の老人が、ゆっくり歩いてくる。擬人化した魔物と分かったのは、彼を知っていたから。


「あなたは、獣人ジムね」


「やあ、アンナさん。能力に目覚めたようだが、もう遅い。私が勝つ」

 

「あなたと戦う理由なんてないでしょ?」


 ジムは首を振ったわ。彼が黙っていても主人であるスルトは怒っているのね。恐らく、ふたりの魔王を倒したことで計画が、大幅に狂ったことを。


「時空間を司る獣人にとって……」ジムは気だるそうに話した。


「全てを終わらせ、やり直すというスルト様の考えは、魅力的だ。だから、ロザロ周辺の生命は、すべて消え去るはずだった。痛みも苦しみもなく。そこから新たな意識と協調性を持って、やり直したいと思った」


 カタカタ

 カタカタ。


 骸骨姿のゴーレムは、間に割って入った。ショートソードと丸盾を持ってジムと向き合ったわ。彼は骸骨ガイの姿を見て少し困惑したの。


「誰も傷付けず……自分ばかりが、傷付くやり方もあるだろう。だが屍になってまで、夢物語を追い求めるのは、間違っているとは思わないか? 惨めだとは思わないか」


 意を決したようにジムは右手を振り上げたわ。マジックアロー。骸骨兵士は砂粒になって、風に散っていく。


「……!!」


 辺りには猟犬ちゃんや剣闘士レオ、リーバーマンとグリフ、パピィも居た。ジムは落ち着いていたわ。安心したようにも見えた。


「アンナを独りにする訳がないか。これはすべて泥人形ゴーレムだね。友達のいないリーバーマンらしい」


「同族を殺そうなんて輩に言われたくないね。こう見えても私は剣闘士のリーダーだ」


「ふん。なら情けは無用だな」


 一斉に動いた泥人形が弾け飛ぶ。バラバラになりながら泥の手足は、ジムの足首や腕を掴んでいた。その瞬間、ジムの姿が見えなくなった。


「き、消えた!? んぐっ……」


 リーバーマン本体の背後から、短剣が突きつけられた。脇腹から、飛び出した銀色の剣先が見えた。


「捕まえたぞ! アンナさん、逃げてっ」


 砂粒に覆われた彼の体は、ぐるりと反転してジムを抱き抱えたわ。泥人形がわらわらと、周りを固めて、ジムを飲み込んでいく。


 瞬間移動、そこにジムは居ない。闇の魔力が漂っているだけ。


「ぐわああっ!」


 頭をのけぜらせ、叫び声をあげたのはリーバーマンの方だった。血を吐きながら、よたよたと逃げまどった。


「ハァ…ハァ…ハァ…」


 リーバーマンは汗だくで過呼吸になっていたわ。左右に瞬時に現れては消えるジムが、短剣で彼を斬りつけていく。


 ガキィ……。


 短剣を止めたのは、レオの大盾だわ。すかさず、足払いを仕掛けたのは猟犬ちゃん。振りきられた短剣を寸前でかわしたのは……。


「ぐっ、グリフィンまで。いつの間にかゴーレムが本物と入れ替わっているのか!」


 私は時空間を行き来するジムを、冷静に見つめたわ。レオに攻撃を弾かれ、グリフには攻撃が当たらず、パピィを斬れば砂粒になる。


「ならば、闇に落ちろっ」


 バチバチッ!!


 黒い雷がクモの巣のように、空間を切り裂いたわ。レオも猟犬ちゃんも、パピィもグリフも、リーバーマンも歪んだ雷に捕らえられ、飛び散ったの。


「………」


 ジムは目を疑った。森には誰も居なかった。すべてはリーバーマンの作り出した泥人形だったのか。いや、自分は幻覚を見ているのか。


「あ、アンナ……君か? 君がやったのか。何をしたんだ。どうやって消した」


「同じ次元にいる。どこかにいる。死んだ仲間もいる、ずっと一緒にいる。生まれてくる前もここにいるし、死んだ後もここにいる」


「な、何だって?」


 大切な人が死んだり、別れたりするのは辛いことよ。もう話したり触れたり出来ないのは悲しいことよ。でも、にいる。


「始まりも、終わりもないの。ここに、みんながいる。ここに死はない。私も貴方も誰も居ない……でも、ここには皆がいる」


 獣人の時空間能力。私はジムの間違った能力の使い方を見て、理解したの。やっと全てを思い出すことが出来たの。


 きっとそういうことなんだわ。別れや死は怖いけど、こう考えれば良かったんだと気がついた。


 私の中に、みんながいる。

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