猟犬ガル

 真っ暗な世界をさまよっていた。ベスと家族になった夢をスルトという男に見られた。気力だけで走り回る間抜けな猟犬おれ


 自分のやってきたことが有史以来の大失態だと思えた。一瞬だがベスを殺そうという考えが頭を過った。そんな事はしなかったにせよ、彼女を怯えさせた。


 ベスを独りにしてしまった。剣闘士と共に餓鬼界に行った骸骨ガイも独りかもしれない。パピィは、アンナ様は。


 何もかも上手くいかなかった。深淵は前ほど怖くなかった。俺にはアンナ様やベスのほうが心配だったからだ。


 それに……あの球体が俺と同じ闇属性だから、抑えられたのもある。ある意味、ラッキーだったんだ。


 あれ程の闇を操る魔物は他にいない。深淵の魔王アバドン。数万の飛蝗を引き連れ、ありとあらゆる物を食いつくす悪魔だ。


 頭のなかで様々なシナリオが浮かんだ。スルトは獄中で処刑される魔物たちと契約をし続けた。傷付き、まともな判断も出来ない魔物と。


 死を受け入れた魔物は喜んで契約した。もう傷つかないですむのだ。興奮してはしゃぎ回ったような魔力の痕跡すらある。


 捨て犬だった俺には魔物たちの気持ちが分かった。すがりたかっただけ、繋がりたかっただけだ。


 俺にも猟犬の両親がいた。母は寝ていた俺の首に牙を剥き、殺そうとした。親父はギャンブル好きで借金まみれのまま、のたれ死んだ。


 そんな俺を薬中の母は憎んでいたんだと思った。俺は何の感情も持たないようにした。


 牙を向けられても無抵抗だった。母は黙ったまま口を閉じ、何も言わなかった。


 捨てられた俺は、猟犬の群れに育てられた。俺のような子犬は沢山いたが、みんな痣だらけで、飢えていた。恨み、憎しみ、悲しみを抱えていた。


 そんな空虚な闇の魔力がスルトに宿っていた。深淵の恐怖より胸の苦しみが酷かった。それから何日も、気が変になりそうなまま過ごすしかなかった。


 息が出来なかった。もう……持ちこたえられないと思った。今まで、どうやって乗りきったのかさえ分からなかった。


 そう思った矢先にわずかな光が見えた。笑ってる親父が見えた。猟犬はみんな使い捨ての駒だったのに、親父はいつも笑ってた。


 光は真理、親父の心理を写しだした。俺は初めて本当のことを知った。


 死んでいく仲間の家族を養うためには、借金が必要だった。親父は頭は悪かったが、強かったから、金貸しは幾らでも貸したんだ。


 薄暗い光はまた見えた。薬中だった母の心を写しだした。借金を返そうと必死に生きていた母は、心も体もぼろぼろだった。


 借金が返せないとなると、見せしめに薬漬けにされた。母は……俺だけは守ろうと必死に抵抗したが、駄目だった。もう、生きているのも奇跡だったのだ。


 俺と心中しようとした。でも、母は思いとどまった。涙が溢れだして、喉が締め付けられるような気がした。どうしようもなかった。


 今度はもっと明るい光だった。ベスとマリッサ、マイロの三人が手を繋いで笑っていた。幻に違いないと思った。


 彼女は修道女シスターの姿をしていたし、魔力に囚われた表情はすっかり抜けて、まるで……聖女みたいだった。


 番犬ケルベロスが天使になんて、なれる訳がないんだ。初めはそう思った。だが俺はベスに言った言葉を思い出していた。


 俺に勇気をくれ。俺に愛を……尻尾は俺に無限の力を与えた。


 いいのかな。俺なんかのために聖女が三人も祈ってるなんて、涙がでるぜ。いいのかな。


 また親父が見えた。傷口が腐って、死にかけていた。親父は、仲間のために借金まみれになったが、まだ笑っていた。


 皆を愛していた。俺は、とんでもない誤解をしていたんだ。母は……母も笑っていた。そんな親父を愛していた。俺を愛していた。

 

 アンナ様とパピィまで、聖女の姿で俺の名を呼んでいたんだ。目の前にはマイロとマリッサもいた。


猟犬ガルちゃん!」

猟犬わんこっ!」

「ガル!!」


 ワンワン

 ワンワ-ーン!


 ごめんよ、ごめん。親父とお袋に謝りたかった。俺を捨てたと決めつけ、恨んでいた。だが、俺だってベスに牙を剥いた。


 母親と同じだった。皆を守りたかった親父と同じだった。それが俺なんだと知った。誰にも愛されないと思っていたが、そんなのは嘘だった。


 俺は千切れんばかりに尻尾を振りはらった。尻尾から光は広がり、いつの間にか闇はなくなっていく。闇を砕くには、光が必要だった。


「………!!」


 その瞬間、アンナ様とみんなが俺とひとつに繋がっている感覚だった。


 一度はアンナ様としか味あわなかった感覚が、ベスも、パピィもマリッサも、マイロも神父まで繋がっている感覚だった。


 ワンワン

 ワンワ-ーン!


 俺の遠吠えが響き渡る。大きな遠吠えが、更に大きく響き渡る。ますます大きな遠吠えになっていく。


 俺は完全に元の姿に戻っていた。獣人アンナ様の能力だと感じた。フォックスピッドの転移魔法は時空間を操る。


 アンナ様は、親父とお袋に合わせてくれたんだ。そして俺を導いてくれた。俺はみんなのもとに駆け寄り、抱きついた。


 パピィが何か話していた。頭が脈打つように痛かった。俺は身を寄せて耳を傾けた。


「あ、アンナ様っ。また小さくなってますわ。十歳のアンナ様に戻ってしまったわっ!」


 アンナ様は見慣れた子供の姿で、驚いた顔を見せた。懐かしい笑顔が、俺を安心させた。


 ワンワン

 ワンワン

『あ、アンナ様の胸がなくなってしまった。更地になってしまった』


「おすわりっ!」


 修道女の姿をしたベスは両手で口をふさぎ、涙をポロポロと流していた。


猟犬ガル……わたし、わたし」


『ありがとうベス。暗闇で君が見えた。暗闇で聖女が見えた。聖女が導いてくれた』


「やだ、わたしったら……ぐすっ、こんな格好可笑しいでしょ」


『いや、似合ってる。君は聖女だ、礼を言う』


「猟犬……わたしこそ、ありがとう」



         ※

 

 それから数日後。


 アンナ様は部分的に記憶を失うことがあった。獣人の力を使い、時空間を操ることの弊害だった。


 パピィは、グリフ宅急便に頼んで俺達を連れて、アンナ様の城に飛んだ。一番初めに、俺たちがいた城だ。


 ベスやグリフも部屋の掃除を手伝ってくれた。城壁や落とし柵は、剣闘士やレオが直してくれた。


 

「おはようございます、アンナ様」

「ふあぁ~~っ。おはよ、パピィ。ガルちゃん、それにガイ」


 パピィがガウンを持ち上げて見せる。メイド姿に戻った彼女は以前と同じようにアンナ様の面倒を見ている。


「今日は、お外に出るからズボンとシャツにするの」

「まあ、今日は天気も良いですし猟犬わんこも喜びますわ」


 大きな鏡の前に立つとパピィがすぐ後ろに立って、アンナ様の赤い髪に櫛を入れた。


「アンナ様は完璧ですわね。綺麗な青い瞳に、さらさらで指から落ちてしまいそうな綺麗な髪。なんでも揃っているわ」


「ありがとう。でも、ゴワゴワで毛むくじゃらの魔獣にもなれるのよ」


「……ええ。そうでしょうとも」


「この城砦に来て、どれくらいたつのかしら。記憶が混濁としているの」


 ワンワン

 カタカタ……。


『マイペースが一番だと言っております』

「うん、ゆっくり思い出すね。猟犬ガルちゃん。ありがとう」


「今日は配達員が来ますのよ」

「まあ、えっと……ギリアム、違った。グリフだったわね? パンケーキを焼くわ!」


 アンナ様はエプロンを着けると鎧戸を開け、調理場に行き、小さな手でフライパンを握った。


「……魔王軍の中にも平和を求める声が沢山あるのよ。人間と仲良くやっていかなきゃいけないって気がするの」


 ワンワン!

 カタカタ……。

「なあに?」

『たくさん遊んで、はやく元気になれば思い出すと言っております』

「そうね。今日はいっぱい散歩にいきましょ」




 城門の前には、番犬ベスとグリフ、剣闘士レオとリーバーマンが立っていた。


 骸骨兵士の役はリーバーマンの泥人形がやっている。声を発しているのは、ちょっとした遠隔魔法だ。


 今はアンナ様に、少しずつ記憶を戻してもらうために、みんなが頑張っている。あの懐かしい日々と同じ道を、もう一度歩いている。


「ガル。ちょっとだけ話せる?」

『ああ、もちろんだ。ベス』


 彼女は俺に話すタイミングを待っていた。ベスはスルトと契約を交わしているが、失った二つの頭のおかげで、今は解放されている。


「スルトが、王都を占拠したわ。骸骨ガイとマックスが心配だわ」

『なっ……何だって!?』

 


 

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