ケルベロス

 街の中心部、サンベナール教会跡地。瓦礫と灰の中心に黒く大きな岩が残っている。これが猟犬ガルだと知るものは少ない。


 私はずっと彼を見てる。たまにラルフ神父が教会の仕事を手伝わないかと聞いてくるけど、とてもそんな気持ちにはなれなかった。


 街の復興は遅れていた。近隣の村から難民が入ってくるせいだという者もいた。川の汚染と毒蛙や蚋のために流通が滞っていた。


 更地になった教会は不法な闇市と化していた。屋台が並び、何の肉が入ってるか分からないスープや菓子が売られていた。


「汚ないガキどもだねっ! お金がなけりゃ何も買えないよ。あっちにお行きっ」


 ボロボロに破れた服、色褪せた肌。靴は穴があき、片方はなかった。子供たちは近くの村から流れ着いた難民だった。


 少し背の高い娘は、まだ小さい弟に菓子を買いたいみたいだ。女店主の甲高い声がする。


「そんなんじゃ、芋一つしか買えないってんだよ。この街の物価が分かんないのかい。商売の邪魔だよ!」


「ごめんね、マイロ。お菓子は我慢してちょうだい。お芋を貰いましょう」

「うん。ぼく、我慢する」


 女店主は娘の手から銅貨を奪いとると、一番小さな芋を放り投げた。芋が私のほうへと転がってきた。私は芋を拾うと小さな男の子にそっと渡した。


「………猟犬わんこだ」

「えっ?」


 マイロと呼ばれた男の子は、そう言って黒く硬い岩を見上げながら抱きついた。


「お姉ちゃんっ! これ見て。猟犬わんこだよね、そうだよね。銅像が建てられたんだ」

「どうしたの。そんな訳ないでしょ」


「やったね。ぼく、こんな街きらいだと思ってたけど…違ったんだ。ねえ、だって猟犬が街のシンボルならさ、みんな良い人だよ、きっと」


 この岩の塊を見て……猟犬だと分かる子供がいるなんて。


 ずっと無気力だった私は、立ち上がり売店の店主に言った。こっそりと、神父からもらった銀貨を台の上に置いた。


「あんた、子供を騙すんじゃないよ。芋はもっと買えるだろ? お菓子も二つ貰うわ」


 娘はマリッサ、男の子はマイロといった。私は二人に芋とお菓子を渡した。二人は黒い岩を見て安心したみたいに微笑んでいた。


「はい、どうぞ。猟犬ガルを知っているの?」

 

 二人は少し警戒した面持ちだったけど、菓子を受けとると私に笑いかけた。


「うんっ! わんこはね、犬掻きがすごくてガーッてするんだ。尻尾はブルブルーンってまわるんだよ。弱そうなんだけど、本当はでっかくて強くて、みんなや村を守るんだ」


 姉は興奮する男の子の腕をつかんで、止めた。袖のないほうの腕だった。


「マイロ、それ言ったら駄目でしょ」

「そうだった。嘘だから、ごめんね。変身はね、しないんだ」


「ぷっ……大丈夫よ。私も猟犬のことは知っているから。私は彼と同じ魔物なの」


「えっ!? 本当に。じゃ、友達の友達だね」


 彼らは自分の村を離れ、難民キャンプで暮らしていた。こんな姿になっても猟犬は、人間の子供に希望を与えていた。


 私は誇らしかった。神父に頼んで、難民キャンプの手伝いをすることに決めた。カールした髪は結んで修道女シスターの服に納めた。


 それから毎日、材木集めや、炊き出しを手伝った。しばらくすると、子守りや老人の入浴まで手伝うようになった。


「ベス姉ちゃんっ、買い出しに連れて行って」

「駄目よ、ベス姉さんとは私が行くのっ」


 子供たちは私の修道服を引っ張りあった。私はいつの間にか小さな神父に感謝していた。毎日が忙しさとの戦いだったが、私は癒されていた。


「ほらほら、喧嘩しないの。みんなで一緒に行きましょう。それ以上喧嘩したら、面白くて目が離せなくなっちゃうわ」


「あはははは! ベス姉ちゃん最高」


「ふふっ、マイロとマリッサは本当に仲良しね。いつも一緒なんだから」


「ベス姉ちゃんも一緒だよ。ずっと一緒にいてくれたらいいのになぁ」


 勇者や魔法使いとは違うけど、街の人達と仲良くしたり、悩み事を聞いたりするのは大切なことだと知った。


 神父のような人が居なければ、難民キャンプの人達は、貧しさと先の見えない不安に駈られ暴動を起こすかもしれない。


 剣闘士は自由を求め、街の守護騎士を襲撃するかもしれない。浮浪者や無職の人々は、暴力と略奪を始めるかもしれない。


 神父は武器は持っていなかったけど、勇者だった。勇者と同じように戦い、苦しみ、小さな勝利を重ねていた。それは並大抵のことじゃない。


「こんにちは。また小さい神父がきたよ」

「川に魚が戻ったらしいわね。もうすぐみんなは、村に戻れるかもしれないわ」


 そんな努力の甲斐もあり、難民キャンプは平和だった。それが、くる日までは。



 その日、ラルフ神父は額に汗をかいて走ってきた。キャンプで私を探していた。


「どうかしましたか、神父さま」


「ベス、大変です。すぐに隠れたほうがいい。連中の中には擬人化を見抜く捜査騎士シーカーもおります」


 その男たちは浪人騎士だった。薄汚い格好をしていたけど、標準装備である銀のショートソードを持っていた。


 幸い街にいた魔物たちは、僅かだった。グリフ宅急便は街の復興のためアイス山脈リッジとヴェルファーレ峠を結び、新鮮な食糧を調達するため飛び回っていたから。


 ロザロの守護騎士や剣闘士は、武器を捨て破壊された家や燃えてしまった兵舎の復旧に従事していた。


 そこに現れた浪人騎士に、騎士兵舎はあっさり占拠されてしまったという。


「どけっ! 魔物を匿っていたら、さっさと出したほうが身のためだぞ」


 魔法の使えない人間も、魔物を殺して得られる魔石があれば、魔力を得ることが出来る。それに加え、魔石をだせば、どんな犯罪者も王国から恩赦が与えられるのだ。


「おい、この街には食糧も女もたんまりあるぜ。なんで自分等だけ、助かってんだ」


「この街は魔物とグルなんだ。自分たちだけ助かるように、何か取引してやがるのさ」


 港町ベルローは、災いで甚大な被害を被ったもう一つの大都市。ここに魔物がいると知った浪人騎士たちは、ロザロになだれ込んだ。


「貴様らだけで、独占してるんだな。何て卑怯な奴らだ」


 わずか一日で守護騎士シティガードの隊長ネルソンは魔物を養護しているとされ、その地位から引きずり降ろされた。


 貴族も皇族も、街の住人もあてにはならないと神父は嘆いた。


「いま、ロザロにいる魔物は安全ではありません。浪人騎士たちは、魔物を庇う人間も容赦なく斬りつけます」


 マイロやマリッサに迷惑がかかると思った。もし魔物の友達がいるなんて口を滑らせたら、あの子たちに危険が及ぶ。


「そんな……分かりました。ありがとう御座います、ラルフ神父」



 幸せな時間は過ぎたと思った。私は少ない荷物をまとめて、ひとり街を出ることにした。


 日が落ちるのを待って、最後に……もう一度だけ、猟犬のところに行った。彼に少しの間だけどお別れを言うために。


 こっそりと街から消えるつもりだった。気づけば、いつかの屋台の女店主が身を震わせていた。私を見て何か言っている。


「あ、あんた。ゴメンよ、密告しなきゃあたしらが疑われるんだ」


 囲まれていた。銀のショートソードを抜いた浪人騎士たちが、ぞろぞろと闇市の屋台から出てくる。武骨な騎士は大きな口を開けて、抜けた歯を見せていた。


「おい、貴様が修道女のふりした魔物だな。しらみ潰しに探したが、こんなところにいやがったか」


「貴方たち、キャンプの子供たちに手は出してないでしょうね?」


 広場全体にくすくす笑いがこだました。


「へへへっ、強情で口を割らなかったからな。ガキなら何人か殺しちまったかもな」


 騎士たちは、返り血を浴びていた。同じ人間を殺したのか……見せしめにするために斬りつけたのか。それだけの為に。


「娘もいたな。斬ったのは腕だけだ」


 私の手はわなわなと震えていた。怖いからじゃなく、悔しかったからだ。猟犬の友達を守れなかったら、自分が自分を許せない。


 口髭をはやした太った騎士は言った。


「グヘヘ……へへ。その修道服を破って、裸にひんむいてから、死ぬまでひっぱたいてやる。たっぷり楽しめそうだ」


「……話しを聞いて貰えないかしら」


「時間を無駄にする気はないな。どんな話だろうが、答えはノーだ」


 私は両膝をついて、手を合わせた。修道女が祈りを捧げる姿になった。


「命乞いだとよ。残念だが、教会はなくなって神はどっかに行っちまったぞ。フハハハ」 

「ぐわっははは」


 猟犬ガル。貴方みたいに、なりたかったよ。貴方は友達を守れる最強の魔物よ。私には無理みたい……ごめんね。


 自分に何が出来るか、計算した。逃げる? 戦う? あきらめる? 私は組まれた手に火炎魔法を集めていた。


 昔、大怪我をするからと、絶対にやるなと言われた魔法だった。


 灼熱の爆弾が手を広げた瞬間に、私もろとも破壊する自爆魔法。きっと浪人騎士は巻き込まれ灰と化すだろう。


 神様……私の命で祈りが届くなら、マイロとマリッサ、そして猟犬を助けてください。私はどうなっても構わないから。

 

 

 

 


 

 



 

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