剣闘士マックス

 僕の名前はマックス。勇気マックスのマックスちゃんだ。夢は……子供の頃に諦めた。ずっと憧れていたのは勇者だった。


 旅の仲間と魔王を倒す夢だ。がっかりなのは目の前にいる顔色の悪いただの衛兵が、その魔王だということ。


 青い勇者風の革鎧は、腹や膝が剥き出しで、防御力はあてにならない。何でこんな鎧かって? そりゃ貴婦人方に肉体美を見せるためって教わったけど、本当はちがう。派手に内臓をぶちまけて血を流すところを見せるためだ。


 それでも、僕たちは剣闘士で生き続けることに決めた。王家は貴族を惨めだと言い、騎士は剣闘士を奴隷と憐れむ。


 僕たちは悲惨な魔物を殺して英雄になり、その魔物の中には騎士より強く、王家より正義感を持った良い奴もいると知った。


 だからパニックになった。そう言ってガイたちと笑った。それが僕たちだった。下をみればきりがない。自分らしく生きることは、僕の新しい夢になった。


 アンナ。あの時、赤髪をなびかせた彼女は剣闘士と同じ無防備なビキニアーマーを着ていた。いま、頬を殴られ血を滲ませた口には血と砂が混ざり滴っている。


 そいつを見たガイは冷静じゃなかった。あいつも怒るんだと思うと、僕は……自分が同じように手を震わせて怒っていたことに気付いたんだ。


『アンナ様に、指一本触れてくださるな。もし、触れようものなら、手前は貴殿を許しませぬぞ!!』


「プッ……ハッハッハ。たったの四人で援軍気取りとは、お前らは勇者のパーティーにでもなったつもりか?」


 ゴゴゴゴゴゴォ……


 背後から砂漠が波打った。広大な砂漠の海をうねらせ、巨大な頭を覗かせる魔物。全長五十メートルのサンドワームは丸い口を開けて真上から、襲いかかった。


 僕らは四方に飛んだが、重い盾を持ったレオは砂に足を取られた。アンナとかいう娘に向かおうとしたガイは、きびすを返しレオに体を押しあて、退しりぞけた。

 

 砂が巻き上がり、巨大なサンドワームは骸骨兵士を飲み込んだ。レオは尻もちをついて自分を庇ったガイが地中深く沈んでいくのを見た。


 僕は持ち前の身軽さで砂を蹴り、魔王に斬り込む。武器を持っていないように見えただろうが、如意棍接にょいこんせつは伸縮自在だ。僕は左右から棍を撃ち込んだ。


 ドカッ……カッカカッ


 連撃を受け流しながら、魔王はたまらず後ろに飛んだ。アンナの背中を掴み、振り返って叫んだ。その手のひらからは銀色に光るナイフのようなトゲがつきだしている。


「この娘が、どうなってもいいのかっ」

「………」


 ドッ……ン

「!?」

「言ってなかったかな。伸縮自在だって」


 決めポーズにはふれず、魔王はアンナの髪を掴んだまま膝を着いた。彼女の喉元に銀色の刺をあてて、不遜な笑みを浮かべた。


「ング……人質の意味が解らないようだな。殺してやるよ。遊ぶのは死骸でもいいんだ」

「かよわい娘を脅すとは、まさに悪魔だな」


 魔王が手をあげた瞬間、アンナの喉元からは、砂が流れ落ちた。彼女の顔からもサラサラと砂が流れ落ちていく。


「………なにっ!?」


 リーバーマンはアンナに肩をかして、城へと走っていた。真っ先にアンナと砂人形をすり替えたのは、彼だからこそ出来る秘技だ。


「土と砂は彼の友達だ。いつも泥団子や泥人形を作っていたからな」


 魔王の手元が光った。酒場の巨大蝿が打ってきた刺に似ていた。僕は棍棒をクルクルと回して刺を払い落とした。

 

「なんだとっ! 最初から詳しく聞かせて貰おうか」

「いや、真に受けないでくれ。言ってて悲しくなる」


 如意棍接にひび割れが出来ていた。魔王の打ち出す刺はかなり強度が高いようだ。サンドワームの巨体に度肝を抜かれていたレオが、体制を立て直した。


「ガイが、ガイが持っていかれちまった」

「彼なら大丈夫さ。二人でこいつを倒すぞ」


「ああ、俺の盾に入れ」

 レオは四角い大盾に隠れながら、魔王にハンドスピアを投げつけると僕の横についた。真っ青な顔をしてガイの無事を祈ってるみたいだ。


「弱気になるな、レオ。あいつは恐怖心を操る悪魔だ」

「今まで生きてきて、感情に振り回された事はなかった。でも、ガイに会って俺は……」


 恐怖心も、幸せも、悲しみも、感情に左右されなかったから……分からないんだ。レオは動揺していた。いや、怖がっていた。

 

 ゴゴゴゴゴゴッ……。 


 また砂漠が波打ち、サンドワームが地中でのたうち回っているのが分かる。ガイは死んでるけど生きている。


 たった三日だが、ガイと何度も死線をくぐってきたから分かる。何度も手合わせした。


 ガイは殺っても殺られても、表情ひとつ変えなかった。有利でもピンチでも変わらず冷静な顔をしていた。当たり前だけど。


 魔王が気を取られた瞬間、僕は真上に飛び上がり如意棍接を振りあげた。全身全霊の一撃を食らわしてやる。渾身の一撃を。


「………!!」


 衛兵の兜をとった魔王の頭部に、もう一対の複眼があった。銀色に光る手を真上にかざすと、無数の刺が僕に向かって放たれた。


 魔王は手加減していたんだ。僕は可笑しくなった。こんな馬鹿げた反応速度で無数の刺を打ち出す魔王と、なんで戦おうと思ったんだろう。


「プッ、ハハハ。死ねえ!」

「まだまだっ」

 

 ガッカカカカ……。


 まだ僕は速くなる。まだ強くなる。空中でクルクルと如意棍接を回し、刺を弾くと真っ直ぐに魔王の頭に棍棒を振り下ろした。


 如意棍接は空を斬った。ひび割れがひろがり、棍棒はバラバラに散っていった。武器を失った僕の全身を、無数の刺が貫いていた。


 棍は魔王の足元に四散していた。僕が握っていたのは血まみれの柄だけだった。肩や膝、左耳から大量の出血。


 立って居られない。全身が焼けるように熱かった。両膝をつき、倒れることも出来なかった。動くのは眼球と舌だけだ。


 その舌を使い、頬肉を探した。左頬は削ぎ落ちて無くなっていた。耳たぶが千切れ、ぶらさがっていた。魔王は顔と顔を近づけた。


「どれだけ速い攻撃だろうが、丸見えだ。私から見たら、あんなのはスローモーションだ」


 魔王の顔は透き通るような青白い肌をしていたが、腕や体は黒く、爪は銀色に光っていた。


「そうだ。そういう顔が見たかった。もっと絶望しろ、もっと苦しめ」


「………」


 魔王は真っ黒な腕を伸ばしていた。一方は、レオの喉を掴んでいた。レオは逃れようと喘いでいたが、その手はびくともしなかった。


「これが刺さると、もう動けなくなる。どんな生き物も同じように。後はゆっくり、生きたまま体液を吸いとってやる」


 もう一方は、遠く砂漠の先に続いていた。先のほうで二股に別れ、アンナとリーバーマンを捉えていた。


「やっと静かになったな」

「………」


 ゴゴゴゴゴゴッ……。

 

 地中から飛び出したサンドワームは異物を豪快に吐き出した。巻き散る砂を這い出すように、骸骨兵士がゆっくりと立ち上がるのが見えた。


「ハハハ。もう一匹、ガラクタが残っていたみたいだな。あいつは確かに不味そうだ」


 ガイは砂漠を転げ回り、何度も倒れた。だが何度も立ち上がり、よたよたとこちらに歩いてきた。


「雑魚の骸骨にしては、よくやったな。サンドワームを追い払っちまうとは」


 カタカタ

 カタカタ……。


 ガイからボロボロになった死神の鎧が、崩れ落ちた。大きな鎌をズルズルと、引きずりながら、よたよたと歩いてくる。


「惨めだな。なまじ死なない体を持つというのも、憐れなもんだ。骨のある奴だが、もう骨休めの時間だ。月の砂漠に散骨してやろう。プクククク……」


 音もなく風も無かった。ガイはボロボロだったが、それは他に力を溜めていたからだ。僕には分かった。ガイはソウルイーターを担ぎ上げ、魔王に向き合った。


 骸骨剣。


「……馬鹿だなぁ、当たるわけないだろ。まだやる気かよ。まさにナチュラルボーンウォリアーだな」


 僕はガイを見て教わっていた。やつは死を受け入れている。恐怖心を持つのは悪いことばかりじゃない。


 怖いのは馬鹿じゃない証拠だ。僕は自然と恐怖心を受け入れていた。それでなお……。


「………如意棍接っ」


 その瞬間、魔王の足元に散らばっていた小間切れの棍は一斉に長い棍棒へと姿を変えた。大量の棍棒が重なりあい、魔王の体を複雑に包み込んだ。


「なっ……なんだとっ! う、動けない」

『ファイア! ボーン!!』


 魔王の首が、月の砂漠に飛ぶのが見えた。骸骨兵士の半月刀が砂の上に影を落としていた。

 

 最後に勝つのは、恐怖心じゃない。絶望じゃない。そいつを乗り越えた先にある勇気だと思った。


 それが出来なかったら……その勇気がなけりゃ、絶対に勇者にはなれないんだ。僕は前のめりに砂に顔を埋めた。


 千切れて惨めかもしれないが、この笑顔を見せてやれないのが、残念だと思った。


 

 

 


  


 

 

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