獣人アンナ
衛兵や守護騎士の間には、恐怖が蔓延していたの。いつの間にか兵士たちの頭数が少なくなっていたわ。
最初いた場所の、パピィの作った転移トンネルに戻ってしまったみたい。それなりの魔力があれば、トンネルは開けるわ。詳しく知らないけど。
もう何人も勝手にバックマン城に引き返してるみたい。ハンス王子に人望がないから、多少は仕方ないと思っていたわ。私は震えてる衛兵を掴まえて話を聞いたの。
「駄目だ。ここは悪魔のオーラが漂ってる。みんな死ぬんだ。みんな最後には必ず死ぬんだ」
「それは知ってるの。もっと小さい時にも知っていたわ。当たり前じゃないの。みんなどうしちゃったの?」
そばにもっと重症な患者がいたわ。ガタガタと膝を震わせて、頭を抱えているの。振動で地下迷宮を揺らすほどの震えだったわ。
「おら、怖いだす。おら、きっと酷い目にあってパピィに嫌われるだす。あらグリフ、まだいたの? ウザいわね、なんて。怖いだす、怖いだすよおぉ」
「それ……いつも言われてるじゃない。いつからそんな臆病になったのよ」
「わ、分からんだす。顔色の悪い衛兵のおじさんと話してたら、急に怖くなっただす」
「……なんですって」
私はパピィに伝えなきゃと思ったわ。彼女はかなり前の方を歩いてるはず。走る私にハンス王子と老騎士ターネルの声が聞こえたわ。
「下がっていいとは言ってないぞ!」
「兵士が少なく
兵士が少ない。四十人はいたはずの兵士は見たところ五人しか居なかった。軍隊蟻の魔物にも手こずってるの。
「どうしたの?」
「アンナ様っ」
私は肩を掴まれたわ。パピィとフレイが制した。どうやら二人とハンス王子はまともみたいだわ。私はパピィに聞いたの。
「なんで、みんなびびってるの?」
「びび……。ええ、十の災いのひとつと考えられますわ。これは疫病です」
少しずつ兵士たちの間に疫病が広がっていたんだわ。そして気がつくと、時すでに遅し。分断した部隊にはわずかな戦力しか残ってない。
「なんていう疫病かしら」
「臆病風ですわ」
「………冗談よね?」
「れっきとした病気ですわ。これにかかったら一ヶ月は引きこもりの自粛生活になるほど、恐ろしい病気ですのよ」
「ごめんなさい。パピィも、もしかして」
「ええ、私は普段から引きこもりですから、多少の免疫が御座いましてよ。脳みそもマルチタスクとリモートで耐えてみせます」
疫病って言うくらいだから大陸からくるウィルスみたいのを想像していたの。パピィは、私とハンス王子は子供だから、病にかからないと言っていたわ。
意外性を見せたのは
「と、とにかく私達でなんとかしなきゃ。病原菌をばらまいてる兵士がいるはずだわ」
老騎士ターネルは、ロングソードを振り上げて軍隊蟻を倒したわ。やはり、恐怖なんて経験豊かな騎士には通用しないのね。
「誰かっ! 代えの……を持ってこい」
きっと刃こぼれした剣を取り替えるんだと思ったわ。勇ましい老騎士は悲しみにうちひしがれた目をしたの。
「誰か、代えのパンツをっ」
「………漏らしたのね、恐怖で」
魔術師クライン。彼なら何とかできるかもしれないと思ったの。そっと老騎士の肩を叩いて励まそうとしているわ。
「無理だ。友よ、もうパンツは無い。私が全部使ったからね。取りにいかせた兵士が帰ってくると思うか」
「くっ……無念じゃ」
地下に降りたはずの私たちは、城の中庭に出たわ。そこから外を見ると、星空と月が輝いていたの。
この城に入ってすぐ奥に魔王の部屋があるわ。案内図に書いてあったから知ってるの。
「ひっ、外を見たの!? アンナ様っ」
「外には月の砂漠しか無いわよ」
「いいえ、魔王の軍隊がうじゃうじゃいるわ」
「何言ってるのパピィ! 居ないわよ」
誰もが立って居られないほど怯えていたの。だんだん見ている私も王子も怖くなってきたわ。ハンス王子はフレイを呼びつけたわ。
「囲まれているっ、もう駄目だ!」
「王子、落ちついてください。ありゃ幻影です。王冠で映し出す国王と同じです」
「こっ、国王と同じだと……ひっひいいっ」
「怖がらないで大丈夫と言ってるんです。子供だからって、王子だからって甘えてたら駄目です。しっかりしてください」
「なんだと。お前こそ何だフレイ。冷酷非道の魔物捜査官が聞いて呆れるぞ。魔物が見抜けないとはな」
「魔物とて善なる者はおります。それを裁く権利が王家にあるとは思えません」
「俺が間違っているというのか? 国王が間違っていると言うんだな。じゃ貴様は何だ」
頼れるのはフレイだけだと思ったけど、先に王子に取られたわ。ちょっと甘えて呼びつけようか迷ったけど、遅かったみたい。
「……!!」
「あれは恐怖の現れだよ。互いに責めあっているように見えるけど、本当に責めているのは自分だ。自責の念に潰される寸前だ」
「そうは見えないわ」
「怖いだろ……とっても怖いはずだ。みな死ぬのだ。みんな必ず死ぬ」
隣に腰掛けたのは顔色の悪いおじさんだったの。衛兵の姿をしていても、彼が悪魔だと分かったわ。
「……いつかは死ぬ。その大発見はひけらかさないでも知ってるの。貴方の発明でも何でもないわ。貴方は誰?」
「あはっ、あはははっ、怖くないのかい。君の大事な人も、好きな人もみんな死ぬんだよ」
「死なないっ! 死なないよっ。私の仲間は死なないの。だから怖くないもんっ」
「……はあ。馬鹿だね」
骸骨兵士は死なないって思ったの。ガイは死んでも生きていたんだよ。生きて、生きて、生きて、生きていたんだもの。
「わたしは魔王ベルゼブブ。人間達の恐怖心を魔力にする。君の友人がどうなっているのか、知りたいかい? 恐怖に心を奪われている姿をみたら、どうなるかな」
「怖くないわ」
魔王は左手をあげて、パチンと指を鳴らしたわ。すると暗闇の中で、犬かきしてる
「………!!」
「その友人は、孤独という恐怖に取り付かれて、今にも深淵に飲み込まれようとしてる」
「……そんな。猟犬ちゃんは負けないわ。よく見て。尻尾が振られてる」
優雅に犬かきしている猟犬の尻尾はスクリューのように回転していた。ちいさく舌打ちした魔王は手をあげて、今度はパピィとグリフに指を向けたわ。
「こっちも重症だね。お互いが疑心暗鬼という恐怖にかられている。嫌い、嫌われる、自分の心まで分からなくなり、怒りに似た恐怖に襲われてる。離別の恐怖だ」
「……ふたりなら大丈夫。どんな試練だって絶対に乗り越えるわ。グリフはパピィに渡したんだわ。パピィの薬指には指輪が輝いてるもの」
魔王は肩をあげて、呆れた顔をしたわ。首を振ってため息をついて立ち上がったの。もう一人は……感覚がまるで無い。
暗闇に写された骸骨兵士には何の感情もなかった。魔王は、ただの屍を見て吐き気をもよおした。骸骨兵士は砂粒になって消えていった。
「まやかしの砂人形。こざかしいまねを」
「私を怖がらせようとしたみたいだけど、逆効果だったわね」
彼の腕が伸びたのを見たわ。その瞬間、衝撃と痛みが腹部から背中に突き抜けた。筋肉がこわばって足の力が抜けた。健が切れたみたいに、力が入らず立っているのがやっとだった。
「うっ……っぐ!」
魔王は石みたいに硬いこぶしを振り上げ、続けざまに私の顔面を殴ったわ。視界がぶれて口の中に血の味が広がり、意識が朦朧とした。気を失わないように必死にこらえ、彼の言葉に集中したの。
「たったひとりで、歯向かうつもりか? 私はバエルみたいに罠をはって、じっと待つような弱虫じゃない。自ら敵中に入り、狩りをするのを楽しんでいる」
「貴方は弱虫な卑怯者よ」
「なんだとっ!」
私は血の混じった唾を魔王の目に吐いてやった。ゆだんした彼は一瞬、怯んだの。ショートソードを抜こうとした矢先だった。
「………うっく」
柄にはすでに、彼の手があった。剣の奪いあいになり、私は思い切り尻もちをついたわ。星空が見えた。いっそ諦めてしまいそうになる。でも、ベルトごと外れた剣に手を伸ばしたの。
動けなかったわ……右の足首が掴まれていた。目を拭きながら彼は薄笑いを浮かべたの。空いてる左足で躊躇なく彼の顎に蹴りをいれたわ。
私は立ち上がって、城門から砂漠に向かって走った。しまった……武器を拾って逃げれば良かった。もう遅い、本能には逆らえない。逃げなければ殺される。
全速力で水の用心を使い、城から出たわ。怖くない、怖がったら負けだと自分に言い聞かせたわ。ずっと振り向かず逃げようと思ったの。でも、出来なかった。
しばらく走った私は振り向いて、魔王がどう動くかを確かめたかった。みんなを置いてひとりだけ逃げるのは、違うんじゃないか……そう思ったの。
「………!!」
魔王はすぐ後ろにいたわ。四つん這いで走り飛びかかってきたわ。私はもつれ合い、砂漠の斜面を転げ回ったの。
「きゃああああっ」
「怖いと言えっ!」
「ひぃやぁ、いやぁ、嫌よっ」
血と砂が口のなかで混ざりあった。私は腹這いになって起き上がろうと、砂をかいた。そこには人が立っていたわ。
三人の剣闘士に囲まれ、真ん中に立っていたのは骸骨兵士ガイだったわ。隣には闘技場にいた勇者と戦士もいた。
「僕ちゃん……怖いわ」
「あんなの怖いに決まってる。あの速さで逃げてる後ろにべったりだぞ」
『手前も怖いのです。でも砂人形は違います』
「あははははは」
カタカタ
カタカタ……。
私の目は涙に滲んだわ。私を守ると約束したガイは、遥か遠い世界から駆けつけてくれた。それが、信じられなかったの。信じられないほど、嬉しかったの。
「ガイ、会いたかった。会いたかったよ」
『手前も体の一部が欠けたような気持ちでした。ほとんど、欠けてますけど』
カタカタ
カタカタ……。
『アンナ様に、指一本触れてくださるな。もし、触れようものなら、手前は貴殿を許しませぬぞ!!』
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