猟犬ガル

 街の中心部までは、そうかからなかった。聖堂で神父のおっさんが、たった一人で呪文の詠唱を続けているらしい。


 ベナール教会の聖門には、傷付いた剣闘士達で溢れていた。どいつもこいつも、うなだれてメソメソしてやがる。


 月刊剣闘士グラディエーターに載ってる有名人もいた。地獄の三天使とか、死者の裁判官。戦場の踊り子も、口ほどにもなく半ベソをかいていた。


 綺麗に手入れされた中庭で見覚えのある剣闘士達を見つけた。


 ワンワン!

 ワンワン!


「……無念っ、無念っ、無念っ」

「ちくしょう。ちくしょう」


 何があったんだ。修道士や僧侶の話を聞くと、数時間前に剣闘士達は餓鬼界に強襲をかけたらしい。


 剣闘士たちは骸骨ガイが土の用心で見繕った特別製の鎧を着ていた。こいつの効果で、瀕死の者は教会に引っ張り戻されたらしい。


 結局、ダメージを受けて戻って来たって訳だ。汗だくの小さな神父を両端から修道女が支えながら、喚いていた。


「もうお止めください神父さま。もう誰もおりません。誰もいないんです」

「………ブツブツ」


 まつってある樹輪の宝珠は弱々しく、輝いている。転移の魔方陣はその真下だ。神父が詠唱をやめれば、骸骨ガイの場所を見つけるのは困難になる。

 

「みんな戻ったんです。戻らないのは骸骨兵士と、あの三人。彼らは祝福の鎧を拒んだ者達です。とっくに死んでいるでしょう」

「………ブツブツ」


「もう、呪文を唱え続けても彼らは戻りません。お止めくださいっ」

「………ブツブツ」


 骸骨兵士が死ぬ訳ないじゃないか。俺は少し怖くなった。死ぬことは無くても戻れないって可能性はあるからだ。


 やつがカタカタ笑う顔を思いだした。とんだバカ犬ですなぁ……なんて言いながらアンナ様と一緒に、趣味でもない大工仕事で犬小屋を作ってくれた。


 あいつと俺はずっと一緒にいると思ってた。それが当たり前だと信じていた。今は遠い別の世界にいるんだ。


 もし、もしも俺が死ぬときは、アンナ様と骸骨とパピィに挟まれて、川の字になって寝ながら死ぬのだと思っていた。


 勝手な話だけど、そんな訳はないんだけど。漢字が違うけど……違うのか? 俺は修道士たちに吠えた。


 ワンワン!

 ワンワン!

猟犬ガルさま。神父さまは、もう魔力が有りません。このままでは命に関わります」

「………ブツブツ」


 ワンワン。

 だったら、お前らが代わってやれよ。俺には分かった。神父は詠唱を続けながら叫んでる。心の中で大声あげて叫んでる。


 死んでない。まだ死んでない、まだだ、まだだ、まだ死んでるもんかってな。本当に立派なおっさんだ。生まれつきの聖職者なんだな。


 だが、魔力の完全枯渇は死を意味する。お前が先に死んでどうする。


 ワンワン!

 ワンワン!


『仕方ない、ラルフ神父っ。俺が行って助けてくるから、持ちこたえろよ』


 小さな神父は、いっぱいの涙を溜めた顔でうなずいた。泣くんじゃねぇよ。泣いたらペロペロしちゃうぞ。


 察した修道士や修道女たちは、俺を囲んで、同じようにうなずいた。やっと意志の疎通が出来たみたいだ。


 ワンワン!

 ワンワン!


『心配すんな。俺がついてりゃ、アンナ様も骸骨もパピィも、剣闘士も助かるぜ』


 転移の魔方陣がゆっくりと開いていく。俺は飛び込もうと、軸足を踏ん張った。おっさんの目線の先が、俺を通り越して後ろに向いている。まだなんかあるのかよ。


 振り向くと見覚えのあるカールした髪と青いレオタード姿が……ゆっくりと、こちらに歩いてくるのが見えた。


『………!!』


 ステンドグラスが割れ、灰色の空が見えた。曇った空に雷鳴が轟いた。教会の聖門にいたのは、見間違えようもない。


 ベスだった。あの主人スルトとかいうやつとジムの姿もあった。


 剣闘士が這いつくばっている。更に後ろにはロザロの守護騎士団も、ガタイのいいグリフィンと街の魔物たちまで揃ってる。


「………」

 乾いた空気と肉の焼けた匂い。魚兜の剣闘士は血まみれになって倒れている。


 息のあった剣闘士は三方から同時にベスに伐りかかった。彼女は左手を真上にあげるとクルリと身を翻した。


 火炎が輪を描いて吹き上がると、剣闘士は頭を下にして飛んでいった。ベスの戦闘力で、そんな芸当が出きるわけがない。


 そいつは、その女がニタァと笑いかけると、俺は背筋が冷たくなった。首をかしげてベスは言った。


「ねぇ、待ってって言ったじゃない?」

『追って来たのか。ほ…本当にベスなのか』


「ねえ、言ってよ。綺麗だって」

『お前がベスなら喜んで言うぜ』


「ねえっ、ねええっ、ねえええっ! 言ってよおおおっ、好きだって、綺麗だってえ!!」

『………!!』


 彼女は剣闘士を火炎で凪払いながら、突進してきた。俺は一瞬で理解した。だから間違っている可能性はある。


 これはテストだ。そうに違いない。ベスみたいな綺麗なメスわんこが、俺を好きになる訳はないんだ。

 

 罠だ。俺がいけない子だから、試されてるんだ。いつも後先考えないで、誰かを傷つけて来たんだ。また戦いに夢中になって、現実逃避に夢中になって、調子に乗っていたから。


 ああ……神様、もう許してくれ。優しくて綺麗なベスに、そんなことをさせるのは。俺が馬鹿だってんなら、俺が傷つけばいい。


 木槌を振り上げた剣闘士が、飛びかかるベスの視覚を外した場所で構えていた。反対にはナイフを咥えた剣闘士がバレエみたいな姿勢で待ち構えてる。


 彼女は俺を愛していない。もともと俺の妄想だった。優しくもないし、冷たい性格だった。よくて、俺を見る眼が寛大だっただけ。


 俺がやるべきことは彼女を止め、せっかく人間と魔物が手を組んだっていう事実を、大切に曲げないことだ。


 アンナ様の言ったこと。アンナ様の願う夢を曲げないことだ。


 それは未来の親のいない子や、寂しい犬のため。未来の眼の悪い鳥や、孤独な屍のためでもあるんだ。


 だから、ベスを殺す。


 次の瞬間、俺は剣闘士を蹴散らしてベスのもとに向かっていた。ベスは両手を広げ、俺が胸に飛び込んでくるのを待っていた。


「あああっ、猟犬ガルっ! 仲間になってくれるのね! 帰ってきてくれるのね」  

『さあ、そいつはどうかな』


 全身の毛が逆立って、本能が俺を操っているみたいだった。ベスと重なる瞬間に分かった。ベスが俺と刺し違えようとしているのが。


 骸骨……剣……!!


 一か八かだった。ベスの腕からは灼熱の剣が伸びていた。俺は空中でヘルター用心スカルターを使い、向きを変えた。


 水の滑り台の上で尻尾を振ったんだ。あいつの剣術が俺にも使えるとは意外だった。俺は昔から、やれば出来る子だった。


 水は剣を溶かし、風はベスを魔方陣へと引き込んだ。着地と同時に体を丸めてターンする。発動された風の用心は全力でベスの体を前へと放り投げた。


 俺はベスと共に魔方陣に飛び込もうとした。すぐさま、ベスの背中に頭からぶつかった。ふたりはもつれあって、聖堂に入った。


 驚いたことに……そこには聖堂も魔方陣も無かった。一瞬にして消し炭にされ、更地が広がっていた。


 かろうじて魔法防壁を展開した修道士が三人、そして神父が膝をついていた。


 ガルルッ!

『何をした。スルト』


 痩せたボロ服の囚人、スルトは何も言わなかった。だがやつが闇を操り、魔方陣を教会ごと消しさったのは分かった。


 俺は大型化してベスを左足で制したまま、スルトとジムに向きなおった。ベスがわめく。

「何故こんな無駄なことを。何故、わたしを殺さないっ!」


 殺そうと思えば、殺せたろう。とっさに骸骨ガイの技がだせたのは、やつのおかげだ。完全にベスの背後を取れた。


 俺にベスを殺せるわけがないだろ。きっと彼女は操り人形にされただけだ。俺は大抵は間違えちまうが、これだけは間違えられない。

 

 試されてるのは俺じゃなく、ベスだった。スルトは俺を無視してベスに言った。


「あれだけの魔力を与えて、誰も殺してないとは。がっかりだよ、ベス」


「ち、違います。こいつを仲間に……そう、おっしゃいました。仲間になってくれたら嬉しいと」


「君には忠誠心がない。大義の為には冷酷無比になれなくてはいけない」


 ガルル……。

 俺はジムを頼った。いつも冷静で、ときには自己犠牲を厭わない、誇り高きジムを。


『目を覚ませジム。そいつは真っ黒だ』

「スルトさま。まだ契約者は五匹おります。この街は危険です。人間の騎士も魔物も入り交じって団結しようと……」


「もういい。ベスの魔力は街の破壊に使うことにする。試してみたい魔法もあるしな。お前はいらない」

 

 目の前にヒトの頭くらいの黒い魔力が現れ、球体になり浮かんでいた。触れたら消し炭になるような邪悪な魔力だった。


「お、お待ちください。スルトさまっ!」


「裏切ったはずの貴様らが笑って、裏切られた私や死んでいった魔物たちが苦しんでいる。気に食わないよな」


 丸く渦巻いている黒く禍々しい球体が、浮いていた。スルトとジムはその球体を残して、真上に飛んでいく。飛び去っていく。


 俺はそれを、じっと見つめるしか出来なかった。この球体がどれほどヤバいものか、考えただけで身体が固まっちまった。


 骸骨やパピィ、アンナ様とは、もう二度と会えない……そう感じていた。



 

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