獣人アンナ
悪魔バエルと私は向き合ったの。ただ、向き合ったと言っても、にらめっこじゃないわ。真剣にたまの取り合いよ。
玉は玉よ。命とか魂、あっちの玉じゃないわよ、嫌だわ。乙女に何てことを言わせるのよ。とにかく……蜘蛛手の毒気も糸の粘りも私には効かなかったの。
私が
悪魔には自分の意思が無いなんてパピィは言っていたけど、私は心の中で問いただしたの。何故、どうして、貴方ほどの悪魔が人間界に害をなすのって。
お願いだから、聞かせて欲しい。そう思っていたのよ。お前らを殺す、お前らを支配するって、言ってたけど信じなかったの。本当は自分の意思があるのね。私には分かるわ。そう信じてみたの。
『ひねくれた性格じゃなぁ』
「……!!」
――その時、その瞬間、私はどこかのお城の中にいたわ。
可愛い白いテーブルに、白いティーポット。出窓に掛かったピンクのカーテン。大きなベッドにはフリルのいっぱい付いたカバーが掛けてあったわ。そして白いタイツを履いた王子様が、私の目の前に現れるの。
『まさか、この年でタイツを履かされるとは思わんかった』
「………あ、貴方は!?」
しわくちゃの老人の顔だったの。魔王バエルがそこにいたのよ。もじもじと恥ずかしそうに王子のファッションで突っ立っていたのよ。
「どうして、そんな恰好をしているの? こ、これは幻覚ね、きっと」
『ああ。お前さんの意識に入ったせいで、こんな姿になってしもうたわ』
「すごく……似合ってるわよ」
『社交辞令はいい。座ってもいいかな』
彼は白い椅子に座ると私の部屋を見まわして言ったの。
『随分と可愛らしい部屋じゃのぉ。そんな風には見えんけど』
「あら、失礼しちゃうわね。でも、本当は十歳だからかも」
『なるほど』バエルは髭をいじって笑いながらうなずいたわ。
『だから、そんなに素直なんじゃな。ふぉっふぉふぉふぉ』
魔王バエルは、ただのお爺さんだったわ。たわいもない話しをしながら紅茶をすすって、時間が来るまで待たせて欲しいと言っていたの。
だから私はパンケーキを出して、おもてなしをしたわ。あの城に戻ったみたいに楽しい気持ちだったの。私も一枚だけ食べちゃったの。たっぷりのシロップでね。
『どうして今のような事態になったか、知りたいんじゃろうなぁ』
「ううん、そんなことよりパンケーキはおいしい?」
沢山焼いたから、沢山食べて欲しかったの。だって元気がなかったんですもの。魔王はずっと笑っていたけど、最後には話を聞けといいだしたわ。
「あら、ご迷惑だったかしら?」
『い、いいや。凄く嬉しいわい。気にすると痩せちゃうぞ』
「あははは、胸だけ出ちゃったのよ。太ってないわよ」
彼のいる場所は世界中の悪い意志が、集まってしまうそうなの。薄汚れた魔力と負のエネルギーが濁流になってなだれ込む場所だそうよ。でも、それが世界を浄化することには必要なことなのね。
彼は、この膨大な負の魔力を利用しようとする者こそが本当の悪魔だと言ったわ。過剰なエネルギーは手に負えないと言っていたの。
『儂らは、ただの器官みたいなものなんじゃ。魔力をかき集めて浄化するために存在しておる。悪い魔力がここに落ちてくれば、喰らい、支配しなきゃならん。だから悪魔に意志はない。儂も同じじゃよ、少しハンサムなだけじゃ』
「……ぷっ。う、うん」
『笑ったな』
私はとても心配になったの。餓鬼界にいる悪魔たちは、共同体のように思えたから。
寂しくないのかなぁ、とか親とはぐれた子供のように思えたの。自分の意志が無いなんて、まるで迷子の子供だと感じたわ。
『ふぉふぉふぉふぉ。同化種族じゃから寂しいとは感じないし、ここでの死は解放と同じ意味なんじゃ。この世界を楽しんでいる悪魔もおるが……そいつらに同化されたら、戻れなくなるから気をつけるんじゃよ』
「いろいろ複雑なのね。よく分かんないわ」
『まあ、お前さんなら大丈夫じゃろう。澄んだ心を持っておるから。でも、なんでこんな所にきたんじゃ?』
「十の災いを止めにきたのよ」
『ほほぉ……そりゃ難儀じゃな。儂の蛙が持っていかれたのはそれじゃったか』
「止め方は知ってる?」
『うむ。魔王ベルゼ、ぶっ、っぶ! げっほ…ごほっ!』
「だ、大丈夫かしら。無理しないでね」
『げほっ、げほっ。す、すまんのぉ、あんまり話せないみたいじゃ』
彼らの魔力を吸い取って、利用している者がいると言っていたわ。これ以上その話をしようとすると、ゲロを吐きそうになるそうよ。気分が悪そうだったわ。それに彼は時間を気にしていたの。
「ねえ……もしかして死ぬの?」
『ああ。でも落ち込まなくていいぞ。むしろ、そうして欲しいんじゃ』
「いい魔王だったわよ」
『ふふっ、優しいんじゃな』
「ハンサムな魔王には、優しくしちゃうわ」
『ふぉふぉふぉ、最期にこんな可愛い子にお茶に誘われて、とっても幸せじゃったよ。白タイツだけはゴメンじゃったが。ありがとう……御礼に少しだけ分けてあげよう』
魔王バエルは私の手をそっと握ったの。私、泣いちゃったの。だって、しわくちゃだったけど、とても暖かくて優しい手だったから。
「……ひっく、ひえぇーーん」
『泣かんでもいいんじゃよ』
「だっで、貴方を殺したら、私たちは天国には行けないわ。だっで貴方は……」
『しーっ』
彼は一本指を立てて口元にあてたわ。私たちだけの秘密にしてって言いたいのね。魔王はきっと天使だったのよ。
だから餓鬼界でも意識があったんだわ。彼の手と、私の手はとっても眩しく輝いていたんですもの。
気が付くと私は、大きな魔王の死体の前にひざまずいていたの。全身が麻痺したみたいに動かなくて、でもジワジワと温かかったわ。とっても、とっても胸が苦しかったの。
取り返しのつかないことをした気分だったわ。私の向かっていく未来は、私たちの希望は、本当に報われるのかしら。
あんなに優しい魔王が、穢れた餓鬼界でひっそりと死んでいくような世界で。
醜く歪んだ魔王の死骸は私に語り掛けたわ。頭に直接響いて来たのよ。
『……いいんじゃよ。悪事に利用される位なら喜んで死を受け入れる。初めから、そう決めていたんじゃ。それより自分のことを大事にするんじゃよ。さよなら、アンナちゃん』
「………」
ぼんやりと、魔王の魔力が流れて行くのが見えたわ。遥か遠い世界だけど、どこかで見たことがあるの。
闘技場だわ。いつか見たフォックスピッドのジムと
やめてっ……二人はそんな力を望んでないわ。契約なんて無効だわ。私は目を覆って叫びそうになって、振り返ったの。
走り去る
猟犬ちゃんっ……駄目よ。戻るのよっ、戻って、二人を助けてあげて。ジムとベスを守ってあげるのよ。
私の声は届かなかったわ。そして、二人の心から光が消えていくのが分かったの。男の人が見えたわ。薄汚いボロを纏った痩せた人だったわ。
私は力が抜けて前のめりに、倒れかけたわ。意識は戻り、肩を貸してくれたのは……フレイだった。
あの痩せた男と、フレイの顔がだぶって見えたの。まるで同じ人間が、別の場所で交差したように感じたわ。
「大丈夫かい? アンナ。ボク、やったよ。あの魔王を倒したんだ」
「あ、貴方は……いったい」
私は何を見たのか混乱していたの。フレイに立ち上がらせてもらうと、胸に手をあてて落ちつくように努めたわ。
「な、何かあったのかい」
「いいえ。何でもないわ」
魔王バエルは、二人だけの秘密だと言ったわ。私は
……そう思ったのよ。
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