捜査騎士フレイ

 真っ暗な道を降りて行く感覚。視覚や嗅覚が感じられない。難しく考える必要はない。ただ足を前に出して行進を続けるだけだ。


 ボクはアンナの従者パピィの作り出した魔法陣から、転移の道を歩いていた。仕組みは解らないが厩舎の倉庫の扉をくぐり、回廊を進んでいくだけだ。


 子供の頃、兄貴と一緒に祭りを見に行った夜みたいだった。船がたくさん港に着くと市場は活気に溢れ、屋台や出店が並び、輪投げやメリーゴーランドが船乗り達を出迎えた。


 空気は冷たく、時たま暗闇から人の気配がした。あの日は観覧車に乗る約束だった。だが、兄貴はなけなしの金を路地裏にたむろする海賊たちの賭博に使った。


 逆さに三つ並んだカップのどれかに金貨が入っているやつだ。兄貴はボクら二人なら何回でも勝てると信じていた。


 海賊帽を被った痩せ男は、金貨に蓋をしてカップをくるくると回した。どんなに早く手を動かしても、中身の金貨を潜らせても無駄だった。ボクには金貨が見えた。


 あっという間に親父の半月分の給料がボクと兄貴に手渡された。ボクは、怖くなって兄貴に嘘をついた。親父がくるから引き上げようと。


 兄貴は最後に一回と言って聞かなかった。お前はいい勘してると言って嬉しそうに笑った。


         ※


「段差があるぞ」

「王子も気を付けて」

 周りを歩く兵士の足音と話し声がする。先頭を歩くのは老騎士ターネル率いる精鋭部隊。だから、心配することは無い。ほんの三分、五分程度だ。たったの数歩で状況は一変する。


「帰らせてくれえっ!」

「いやだぁ、助けてくれっ」


 胃が持ち上がって背筋が凍り付くような感覚。呼吸が乱れ、手が震える。数歩前の暗闇からは鋼の鎧の擦れる音と剣と盾がかち合う音。動揺した兵士達の叫び声が聞こえた。


「逃げろっ!!」

「引き返せないのか」


「ハァ……ハァ……」

 ボクは取り返しのつかない過ちを犯したのではないか。全身から冷たい汗が吹き出し、手の平が冷たくなり、喉が乾いた。


 アンナとパピィは先に行かせてくれと進言したが、王子もクラインも鼻で笑った。


 細腕のアンナとMPがたったの十五しかない従者に何が出来る? 捜査騎士シーカーのボクと彼女たちは後方に付いて進んだんだ。およそ戦力は期待されちゃいない。


「なんて無様なっ」

「下がっていいとは言ってないぞ!」


 闇の向こうで老騎士と王子が怒鳴りあっている。ボクは怖じ気づいて横を歩いていたはずのアンナに手を伸ばした。史上最悪のバカになった気分だった。ボクの手は空を切った。


「……っ!」

「行くわよ、フレイ。離れないで」


 ああ、アンナ。ごめんよ、ボクは何かを間違えた。アンナ、待って、行かないでくれ。キミを危険な目に合わせたくないんだ。慣れていない眼は真っ白な世界を映し出した。


「うわああああっ!!」

「死ねぇ! 死ねぇ!」


 前後に行き交う兵士達の悲鳴。ボクの混乱した頭は押さえ付けられ、ぐいと後ろに引っ張られた。足が引っ掛かり、尻を着いたけど、腕はボクを引きずって行った。


「入り口を固めろっ!」

「防御魔法を展開しろ!」

「ファイアウォール、ファイアウォール」


 足元には兵士達の死体が転がっていた。幾つも……幾つも。手足が地面に張り付いてビクともしない死体だった。


「うげえっ……!」

 吐きそうになって、目を背けた。視線の先には魔法により半透明の防御壁が作られていたけど、この先にいたのは……人間の顔を持った巨大な蜘蛛。


 全身をまっ黒に染めた巨体が、地下に広がる細長い部屋を駆け回り、ビリビリと地面が振動していた。


 足元には、白い線のような絨毯が敷き詰められている。蜘蛛は巣を張って待ち構えていたんだ。


「な、なんてこった。こいつはただの悪魔じゃない」

「そうね……あれは魔王バエル」


 この従者はなんでこんなに冷静でいられるんだ。アンナを見ると同じように冷静だ。下手に動かないのには理由があるはず。


「………」

 蜘蛛には耳も聴覚もありはしない。足元に張られた糸のような絨毯が、動く者を感知している。慌てふためいて、ジタバタするものを先に襲っているんだ。


「そうよ。動かないほうがいい。勘がいいわね」パピィは言った。「まだ、兵士たちは死んでない。後からジワジワ殺す気だわ」


 魔王バエル。魔王と言えば勇者と王家の軍勢が何十年もかけて、やっと対等に渡り合える種族だ。


 地獄の大侯爵とか東の軍勢を率いる王などと異名を持つ魔王バエルを前に、どうして冷静でいられる? 


「フレイ、柔軟に対応しましょう」

「は、はい……って、経験値が足りなすぎるよ」


 年下の従者パピィに勇められた。これは初任務の洗礼だと思った。恐怖に駆られて固くなったら駄目だ。柔軟に、頭を柔らかく。固定観念に縛られていたら、勝機は見いだせない。


 弱点はおそらく人間の顔をした頭部。長い手足の棘にも毒性がある。一番の問題はその口から吐き出される糸と、足元に敷き詰められた糸。思うように移動出来なければ、一方的に蜘蛛野郎の餌になる。


「水の用心で抜けるわ」

「私は空中から支援します」


 アンナは滑るように駆け出し、パピィは両手を広げ、左右に大きな翼を広げた。兵士たちとターネル、ハンス王子は驚いた顔を向けた。


 それが魔法か何かで、魔物そのものだとは思わなかったのかもしれない。ボクは魔術師クラインの声に、すかさず被せた。わざとらしくて、僅かな抵抗だけど。


「き、貴様は……何者だ、パピィ!?」

「さすがは、実験魔法学者だ、パピィ!」


 確かに硬く、厳しい精神をもった老騎士ターネルや魔術師クラインは頼りになる騎士だ。堅牢で強靭、剣圧や魔力では遥かにパピィやアンナを凌いでいる。


 その騎士が逃げ惑い、喚き散らしている。

「駄目だっ! とても勝ち目は無い」

「悪魔だっ、あいつは悪魔だ」


 ――もっと体格がよければ?

 強い鎧を付けていたら? 膨大な魔力があれば? もっと強力な武器を持って来てたら?


 言い訳は要らない。固いものは折れるんだ。遅かれ早かれ自分より強い敵は現れる。


 糸が吹き出され、這いつくばる兵士達。蜘蛛の長い腕に弾き飛ばされ、左右に舞う鎧は、まるで金貨の入ったカップみたいだった。


 人が上下左右に振られては、糸によって張り付けられていく。アンナは兵士の前に走り、蜘蛛手を受け流した。彼女の細い肩や腕からは、血が流れていた。


 柔らかい……彼女は力が無くても、戦っていた。それに比べて、ボクはまともに戦闘をしたこともなかった。


 今までパーティーを組んだこともない。組もうにもメンバーがあと三人足りなかった。


 あの夜、カップを回した海賊帽を思い出していた。あの人は見せてくれた。トリックの先には空間固定魔法、移動魔術、加速魔法、幻覚魔法、隠匿術、重力波、あらゆる魔術の基本型。


 相手をよく見ろ。相手の行動のひとつずつに逆の事をしてやれ。それは相手を認め、受け入れることに似ている。


 ボクは海賊帽と腕試しが出来て嬉しかったんだ。心から敬意を表し、お礼を言った。金貨の場所は分かったけど、敗けを認めたんだ。


 勝利の原則は全て……あそこにある。


 ボクは脱いだローブを敷き、蜘蛛手をくぐり、丸い腹部に飛び込んでいた。ナイフをくるりと回して逆手に持つと、ゆっくりだけど力強く、腹と胴体の接合部に入れた。


 膨大な経験値なんか必要ない。分母をいくら増やしても、得る量はそれぞれだと思った。学ぶんだ。相手を……理解するように努めるんだ。


 そうすれば、たった一度の経験で得られる物にも、底知れない価値があることに気づく。本当の価値に。

 

 魔王バエルは動きを止めた。しばらくは、動いて手足をばたつかせていたが、もう怖くはなかった。


 


 海賊帽はボクに配当金をくれた。ウインクをして観覧車に乗りたいんだろ、と言った。同じものを見たと感じた。知りたかったんだ。


 どうして分かったの。貴方もボクと同じなの? そう聞くと海賊帽は言った。見なくても顔に書いてあると。


 見ること、感じることが全てだった。それで……それだけで良かった。


 アンナが好きだ。心の中に、にそっとしまっておきたいと思った。誰にも見られたくないと思った。


 一方的な愛なんて伝える必要はないし、彼女の力になりたいが、お荷物にはなりたくなかった。ただそれだけだった。そしてボクは狂ってしまうほど、ひとりぼっちだった。


 



 

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