人面鳥パピィ

 まる二日は移動しっぱなしだったわ。泥のこびり付いたブーツはほつれ、汗と血のしみ込んだチュニックは黒く変色していたわ。


 王子の側近である魔術師クラインは、老騎士ターネルの腕を回復魔法で繋ぎ合わせると、状況を見て部隊はロザロへ引き返すべきだと進言したそうよ。


 でも王子はそれを許さなかったわ。湖畔から林道をぬけバックマン城を目指すようね。そこで馬車と食料を補給し城騎士を携えて、王都へと帰還するつもりらしいわ。


 その判断は否定出来ないでしょうね。パニックになっている都市に近づくことは危険が増すうえに、民衆が王家に期待や不満をぶつける可能性もある。喚き散らす王子の声はここまで聞こえた位だわ。


「俺に死者のブーツを履けというのか!」

「お、王子。気が向かないのは分かりますが、足を守らねば危険でございます」


「俺はこのままでいいっ」

「駄目です。腕を治したばかりのターネルに担がれて、どこまで行けると?」


 王子はふくれっ面で、不満を叫んでいたわ。まるで聞き分けの無い子供ね。忍耐強い魔術師も、さすがに声を尖らせていたわ。これじゃ、先が思いやられると思ったわ。


「もうじき、蠅や毒蛙がここにも現れます。四の五の言っている場合ではございませんぞ」

「ふん……いいだろう。だが怖くて言ってるんじゃない。怖がるのは奴らのほうだ」


 アンナ様はプリンスガードと呼ばれる長槍を持った衛兵に囲まれて、ずっと前を行進させられていたわ。


 この騒ぎで逃げ出すのは難しいことではないと思っていたけど。従者を併せても三十人弱しか残ってはいない状況なんだから。


 でも、途中から私の横にはフレイと名乗る痩せた男が付いているのよ。長い黒髪に魔法使いのようなローブ姿の若い男。なかなか、いい男ではあるけど信用は出来ないわ。


「喉が渇いてないか? これを」

「気持ちはありがたいけど……怪しい物に口はつけないの」

「ああ、これはちゃんとした水。ほら、ボクも飲んでる」


 彼は水筒から水をひとくち含むと、すすぐように味わってからごくりと呑み込んだわ。私は黙ってその水筒を受け取った。


「礼はいらない」

「余計飲めなくなったけど、有り難う」


 彼はしばらく、自分は安全だと言いたいように両手をあげて歩いていたわ。周りには私のような従者以外に負傷兵や、女中や馬丁しか居なかったから、彼の存在は浮いていたわ。


「キミがアンナの従者だってのは知ってる。言いたいことがあるんだけど」


「私の正体が人面鳥ハーピィだっていいたいのなら、そうよ。ご名答。こっちも言いたいことがある」

「……はっきり言うね」


「はっきり言わせて貰うわ。アンナ様も貴方達も何が起こっているか分かってない」

「き、キミには分かっていると?」

「少なくともここの誰よりね」


 十の災い――今ではあまり知られていないようだけど、魔界の古代史には幾度となく問題になっている事象だわ。神の怒りを受けた天罰なんて言われている。


 一つ目、川の水を血に変える。

 二つ目、毒蛙が放たれる。

 三つ目、ブヨが放たれる。

 四つ目、あぶが放たれる。

 五つ目、疫病を流行らせる。

 六つ目、腫れ物が噴き出す。

 七つ目、雹が降る。

 八つ目、飛蝗イナゴが放たれる。

 九つ目、暗闇が世界を覆う。

 十の目、長子を皆殺しにする。


 実態の分からないことは、とにかく神のせいにしておけばいい。何時の時代も知恵の無い者の考え方は一緒ね。


 通りすがりの自由騎士や下女、裸の子供が口々に言っているのは、神の仕業だとか天罰だとか、そんなところよ。


 怖がるのは当然。大抵の人間は不安に駆られて、バカげた行動に出る。世界の異変に頭が付いていかないのね。大きな街では牢獄が破られたり、暴徒が宝物庫に押し入ったりしてるそうだわ。


 不安な気持ちというのには慣れていたわ。その心理のからくりも知っているし、打ち勝つ方法も分かる。でも問題の根本を考えることが何より大事よ。


 十番目の災いである長子の皆殺し。これが最大の問題だわ。アンナ様もハンス王子も、マイロも死ぬという事実。考えただけで、私の胸は苦しくなる。


「人間の古代史にも、十の災いというのはある。その災いから身を守るために、階級制度や身分制度を作ったと考える学者もいる」


「貧富の差ね」


「ああ。貧富の差は戦争をうみ、戦争は魔術や剣術や文明の発達に繋がる。人間の歴史は十の災いから多大な影響を受けてる」


「フレイ……貴方、なかなか博識ね。荒れた港町の出身だって聞いたけど」

「ははは。育った街の治安は最低だったけど、常に勉強はしてきたんだ」


 ついつい笑顔が洩れたけど、私は首を横に振って言ったわ。


「ふふふ、自慢にはならないわね」

「人間界の古文書に長子を守るには部屋にこもり、入口に山羊の血を塗ったとある。何のまじないかは解らないけど、それで助かったとある」


「……山羊の血、悪魔サタンと同じ匂い。つまり、災いを起こしているのは神々でも何でもなく、ずっと格下の悪魔。餓鬼界の悪魔ってところかしら」


 湖の水は血でも何でもない。赤い藻は魔界にもあるが、主に餓鬼界に生息する特産品だといわれてるわ。


 次元転移によって大量発生させた藻に、同じくそれを餌にして大量発生した毒蛙を送り込む。

 転移の際に時間跳躍タイムリープが掛かっているため、いきなり大群が押し寄せたとういうわけよ。


 次元転移の痕跡が見つかれば、追えるはずだわ。直接、餓鬼界に乗り込んで呪われた魔法を止められるかもしれない。


 唐突にその時、前方の騎士たちの叫びが聞こえた。


「アンデッドだ!」

「腐った死体だ!」

 

 林道トレイルを引き返してくる騎士たちの、鎧を鳴らす音がしたわ。たかが下級魔物モンスター。フレイは逃げてくる騎士の腕を掴むと、怒鳴るように聞いたわ。


「どうした? なぜ浄化魔法を使わない」

「知るかよ、離せ。効かないんだ。魔法がまったく……効かない」


 なんですって。私はフレイの脇を抜けてアンナ様のもとへ走ったわ。ボロ切れを纏ったアンデッドが脇道からゾロゾロ現れ、騎士や従者が走り回る中を掻き分けて迫ってくる。


 腕や足を斬りつけてもアンデッドは足を止めずに騎士たちに食らい付いてくる。かぶりつかれた者は悲鳴を上げて地面をのたうちまわっていたわ。

 

 目の前の衛兵は基本装備のショートソードを振り上げて動く死体の腕を飛ばしたわ。泥と悪臭を散らすだけ。衛兵に覆い被さるように掴みかかってくる。


 魔法使いは浄化魔法を唱え続けていたわ。聖水や聖氷の槍が飛び交っていたけど、アンデッドはバランスを崩すだけ……攻撃を物ともしなかったわ。


「聖水錬成! ホーリーなるランス! 聖水錬成」


「駄目だっ、効果がない」


「よく見るんだ」


 フレイは私と同時に気付いたわ。死体の顔をよく見ると、眼球や口からは白い蛞蝓なめくじの腹が膨れ、飛び出している。

 

 私は初級魔法、マジックソルトを詠唱して蛞蝓に叩きつけたわ。そうよ、ただの塩よ。私は両手に塩を持ってアンデッドを凪払ったわ。


 そいつの体は壊れたオモチャのように、関節を違えて全身を丸めるように地面に倒れたわ。


「アンデッドじゃない!」

「ええ、丸い目に丸い口。ワームスラッグには塩が効くわ」


 腐敗の進んだ頭部が熟しているのかと思ったけど、違う。丸い目には乳白色の透明な蛞蝓の腹が飛び出している。おぞましい口には、ヒルのような細かい牙が何重にも生えている。


「マジックソルト!」

「クレイジーソルト!」

 

 私とフレイは林道を左右に走ったわ。ワームスラッグは、死体の体を乗っ取る蛞蝓型のモンスター。下手な魔法より、ほとんど魔力を消費しない初級呪文で充分の効果が出せる。

 

 フレイは弓なりになって死体を殴りつけていく。私はそこまで大胆じゃないけど、負けてられないと思ったわ。人面鳥が蛞蝓に負ける訳がなくってよ。


 グシュ……グチャ……。

 バシュ……グシャ……。


「ははっ、ボクらはいいコンビになれそうだ! そう思わないか?」

「そういうのは、いらないわ」

 

         ※


 バックマン城では城代が落とし格子の城門で、王子を迎えていたわ。鎖帷子を着た城騎士たちは疲弊しきった顔をしていたわ。みな、この異変に対処するのに不眠不休の戦いを強いられているのね。


 城門と厩を過ぎると、この城がほとんど無人だと分かった。私とアンナ様、フレイはこの短期間に飛び抜けて出世してしまったのよ。

 

 あの馬鹿王子のプリンスガードになるなんて……先が思いやられるわ。

 

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